ニューギニア島

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ニューギニア島
所在地 パプアニューギニアの旗 パプアニューギニア
インドネシアの旗 インドネシア
所在海域 太平洋アラフラ海珊瑚海
座標 南緯5度30分00秒 東経141度00分00秒 / 南緯5.50000度 東経141.00000度 / -5.50000; 141.00000座標: 南緯5度30分00秒 東経141度00分00秒 / 南緯5.50000度 東経141.00000度 / -5.50000; 141.00000
面積 786,000 km²
最高標高 4,884 m
最高峰 プンチャック・ジャヤ
最大都市 ポートモレスビー
プロジェクト 地形
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ニューギニア島とメラネシア

ニューギニア島(ニューギニアとう、英語New Guineaインドネシア語Nugini)は、太平洋南部に位置するであり、インドネシアパプアニューギニアの2カ国の領土である。島の西半分を領有するインドネシアは東南アジアの国家であるが、島はオセアニアに含まれる。また、メラネシアの島々の一つである。

オーストラリアとはトレス海峡を隔てその北側にある。パプア島 (Papua)・イリアン島 (Irian)とも呼ぶ。

面積は約78.6万km2で日本の国土の約2倍の大きさである。世界の島の中では、グリーンランドに次ぐ面積第2位の島であり[1]、大陸を含めても8番目に広い陸塊である。

名称

三通りの呼称があるが、ニューギニア島パプア島イリアン島それぞれの由来は異なる。

行政

ニューギニア島の行政区分。西から

東経141度線フライ川を境に、西部をインドネシア、東部をパプアニューギニアが領有する。

インドネシア領は、西端の半島を西パプア州、残りの大部分をパプア州が占める。

パプアニューギニア領は、北部のモマセ地方、南部のパプア地方、その間の山岳部の山岳地方に大別される。

自然

ニューギニア島の地形図
固有種カンムリバト

北は太平洋ビスマルク海、西はハルマヘラ海セラム海、東はソロモン海、南はアラフラ海トレス海峡および珊瑚海に囲まれている。

島の中央を険しい山脈が東西に走る。西から、マオケ山脈ビスマーク山脈オーエンスタンリー山脈と名づけられている。オセアニアで最も標高が高い地域で、オセアニア最高峰のプンチャック・ジャヤなど高峰が並ぶ。島の北西部はドベライ半島(鳥の頭半島の意)、南東部はパプア半島(鳥の尾を意味する呼び名もある)と名付けられている。

高山地域を除き、鬱蒼とした熱帯雨林が広がる。

島の南部にフライ川、北部にセピック川が流れる。東端付近にミルン湾がある。

歴史

ニューギニア島の植民地支配(1884–1919年)。

ニューギニア最初の人類は、氷期の頃にスンダランドから移住してきた人々であると考えられ、オーストラリアアボリジニに近い系統であるオーストラロイドパプア人の祖先)とされ、現在も多数派である。その後、海洋民族で青銅器文明を持つアウストロネシア系の諸民族(メラネシア人マレー人ジャワ人)が到来した。

大航海時代オランダ人やポルトガル人が来訪したが、熱帯雨林と湿地帯が大半を占めるこの島は活用方法が無く、ほとんど手付かずであった。しかし、やがて植民地主義の到来で獲得競争がこの島にも訪れ、西半分をオランダ、東はオーエンスタンレー山脈ビスマルク山脈で南北に分割、北をドイツ、南をイギリスが領有した。後に、イギリス植民地は1901年に独立したオーストラリア英連邦)のニューギニア植民地となる。

第一次世界大戦後、1920年国際連盟によってドイツ植民地をオーストラリアの委任統治領とした[2]。この地は太平洋航海の中継点として利用するほかは、使途が無かった。このころまで、険しい山中は無人であると思われていたほどである。

第二次世界大戦の開戦によって島の北半分が日本によって占領される。南部の拠点であるポートモレスビー確保のために、日本軍とオーストラリア軍の間でニューギニアの戦いが始まり、東部を中心に戦闘を繰り広げた。アメリカ軍がオーストラリアを拠点に空輸作戦や上陸作戦を実施し、北部沿岸一帯での激戦の末に日本が敗退すると、各国が植民地経営を再開した。

インドネシア独立戦争1945年 - 1949年)を経て、1949年にオランダはインドネシアの独立を認め、オランダ領の西ニューギニア1949年 - 1962年)が成立した。オランダは、1961年にオランダ領の西ニューギニアを西パプア共和国として独立を認めたが、インドネシアが侵攻したため(パプア紛争1963年–現在)、国連による暫定統治を経て、インドネシアへ併合されてイリアンジャヤ州(「偉大な東」という意味)となった。2002年パプア州に改称された。

北東のオーストラリア委任統治領(旧ドイツ領)は、国際連合の信託統治領として引き続きオーストラリアが支配した。1975年に、南東のオーストラリア領パプア準州(旧イギリス領)とともに英連邦の一員として独立を認められ、同年9月16日パプアニューギニア独立国が成立した[3]

住民

コロワイ族英語版の男性

先住民パプア系の諸民族で、今も多数派である。ニューギニア高地人とも呼ばれ、外界から孤立した内陸部で独自に農耕を発明し、多数の部族社会にわかれて暮らしていた。

海岸沿いの地域には、近代以前に、海洋民族であるメラネシア人などアウストロネシア系の諸民族が入植した。

西ニューギニアには、インドネシア独立後、マレー人(特にジャワ人)が入植をしている。

脚注

  1. ^ 国土技術研究センター意外に大きい日本の国土 本州は世界第七位の大きな島
  2. ^ 国際機関太平洋諸島センターパプアニューギニア 第一次世界大戦
  3. ^ 国際機関太平洋諸島センターパプアニューギニア 1973年自治政府発足、1975年3月外交・国防を豪州から譲り受け

関連項目