テレビ熊本

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株式会社テレビ熊本
TV-Kumamoto Co., Ltd.
本社(熊本市北区徳王1丁目)
種類 株式会社
略称 TKU
本社所在地 日本の旗 日本
861-5592
熊本県熊本市北区徳王1丁目8番1号
北緯32度50分22.32秒 東経130度42分28.36秒 / 北緯32.8395333度 東経130.7078778度 / 32.8395333; 130.7078778座標: 北緯32度50分22.32秒 東経130度42分28.36秒 / 北緯32.8395333度 東経130.7078778度 / 32.8395333; 130.7078778
設立 1968年昭和43年)3月
業種 情報・通信業
法人番号 5330001003121 ウィキデータを編集
事業内容 テレビジョン放送事業(フジテレビジョン系列)
放送番組の制作・放送時間の販売・スポーツ・文化事業
代表者 代表取締役会長 本松 賢
代表取締役社長 河津 延雄
資本金 3億円
純利益 3億1601万4000円(2020年03月31日時点)[1]
総資産 165億6212万5000円(2020年03月31日時点)[1]
従業員数 71名(2020年3月現在)
決算期 3月31日
主要株主 フジ・メディア・ホールディングス(19.2%)
主要子会社 株式会社TKUヒューマン
株式会社熊本リビング新聞社
関係する人物 河津寅雄
外部リンク https://www.tku.co.jp/
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テレビ熊本
英名 TV-Kumamoto Co., Ltd.
放送対象地域 熊本県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 TKU
愛称 TKU、テレビくまもと
呼出符号 JOZH-DTV
呼出名称 テレビくまもとデジタルテレビジョン
開局日 1969年4月1日
本社 861-5592
熊本県熊本市北区徳王1丁目8番1号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 8
デジタル親局 熊本(金峰山) 42ch
アナログ親局 熊本(金峰山) 34ch
ガイドチャンネル 34ch
主なデジタル中継局 人吉 19ch 10W
水俣 27ch 100W
主なアナログ中継局 水俣 38ch 500W
人吉 42ch 100W ほか
公式サイト https://www.tku.co.jp/
特記事項:
2006年12月1日に地上デジタル放送を開始。
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株式会社テレビ熊本(テレビくまもと、: TV-Kumamoto Co., Ltd.) は、熊本県放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。

通称ならびに愛称ひらがなテレビくまもととしている。コールサインはJOZH-DTV1968年10月に設立し、翌1969年4月1日に開局した。フジテレビ系列局。

放送局概要

テレビネットワークはフジテレビFNNFNS系列であるが、くまもと県民テレビ(KKT)開局までは日本テレビ(NNN)系列、熊本朝日放送(KAB)開局まではテレビ朝日(ANN)系列とのクロスネット局でもあった。

略称TKUは、「TV Kumamoto UHF」の頭文字からきている。略称にUHFの"U"がつく例はアナログ放送の親局がUHFだったテレビ局でよく見られるが、大抵は「U○○(UHB等)」「○U○(SUT等)」のパターンのため、「○○U」は唯一のケースである。

局キャラクターとして、局名(社名)にちなみ、1998年より「てれくまくん」を採用していたが、2019年4月1日より、チャンネルIDと社名にちなんだ「くまはち」に交代した。

西日本新聞産経新聞などと親密で、また朝日新聞読売新聞毎日新聞も出資している。

なお、設立発起人の一人で同局のオーナーでもある河津龍介も発行済み株式を1割強保有する大株主として名を連ねている。

2019年1月からのキャッチコピーは、「リズム!TKU」

沿革

旧ロゴ(1989年~2018年)
  • 1967年昭和42年)
    • 10月13日 - 熊本にUHF民放局への電波割り当てが決定される[2]
      • 1962年から1967年10月の電波割り当てまでに、11社が放送局の設置申請を行っていた。TKUの母体となる「熊本中央テレビ」(河津寅雄系)は最後発(1967年7月29日)の申請であった[3]
    • 10月21日 - 免許申請の一本化調整を開始。「新熊本放送」(日本社会党森中守義系)以外の10社が受け入れる[4]
    • 11月14日 - 前日(11月13日)に新熊本放送が免許申請を取り下げたことを受け、熊本中央テレビに対し予備免許が交付される[5]。当時のキャッチフレーズは「新しき光と音の誕生」で武者小路実篤の作であった[6]
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月5日 - 創立事務所を熊本市桜町2-9(当時の熊本県町村自治会館隣)に設置[7]
    • 3月12日 - 創立総会を開催[7]
    • 5月18日 - 第1回株主総会を開催。社名を熊本中央テレビ株式会社から、現在の株式会社テレビ熊本へすることを決定する(NHK熊本中央放送局との混同が理由)。同時に略称もTKUと決定された[8]
    • 12月3日 - ネット系列をフジテレビ系中心とすることを決定。
      • フジテレビはTKUへの全面支援と、熊本放送(RKK)で放送されている番組の全面切り替えを約束した。一方で、日本テレビは巨人戦中継をRKKに残す意向があった上に、NETテレビ(現在のテレビ朝日)は「好きな番組をネットしても良い」とのスタンスであった[9]
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 正午からテストパターンを発射[10]
    • 3月17日 - サービス放送を開始[10]
    • 4月1日 - 午前8時10分に熊本県内2番目のテレビ局として開局[11]
      • 先発局(NHK・RKK)は県域放送局の指定がなかったため金峰山送信所は無指向性で送信されていたが、TKUは熊本県域局として開局した関係で、北から310度(おおむね北西、佐賀県方面)には送信アンテナが設置されなかった。このため、熊本県北の有明海沿岸ではゴースト障害が発生していた[12]
    • 4月6日 - TKU初の自主制作番組『TKU週間展望』放送開始。1週間のニュースを取り上げ社説風に解説する15分番組[13]
    • 9月18日 - 矢部中継局(TKU初の中継局)が開局[14]
    • 9月20日 - 高森中継局(後の南阿蘇中継局)がVHF局として開局[14]
      • 高森局(南阿蘇局)と小国局がVHF局として開局したのは、チャンネル割り当てに空きがあったためである。1969年当時はUHF局の受信に別途UHFコンバーターが必要であることが一般的であり、VHFでの開局は視聴者側の対策(コンバーターの設置)が不要という点で優位であった[14]
  • 1974年(昭和49年)10月 - テレビ中継局数がRKKと同数になる[15]
  • 1976年(昭和51年)10月 - 熊本県北地域の受信対策として玉名中継局が開局[16]
    • 金峰山送信所へのアンテナ増設はサガテレビが同意しなかったため断念し、中継局設置により受信対策を実施した。玉東中継局も同様の目的で1978年3月に設置。これにより玉名・玉東局でカバーされない荒尾市を除き、受信障害はおおむね解消された[16]
  • 1981年(昭和56年)12月14日 - 新キャッチフレーズ「くまもとが好き だからTKU」を公表。放送上では翌1982年から使用される[17]
  • 1982年(昭和57年)12月 - 本社の増築棟竣工。(運用は翌年4月から[18]
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月18日 - 新マスターが稼動開始し、同時に音声多重放送も開始される[18]
    • 6月 - 開局以来初の視聴率三冠を獲得する[19]
    • 8月 - 「くまもとが好き だからTKU」が楽曲として使用開始される。メロディーは公募によるもので、約800点から当時18歳の男性の作品が選定された[17]
    • 10月 - 旧マスター室を報道センターに改修[20]
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月 - ワイドニュース番組『TKUニュースアイ』放送開始[20]
    • 12月 - 金峰山送信所に北面アンテナ(北から315度)が設置される(出力は1/10の1kW)。なお、1982年に開局したKKTは当初から北面にもアンテナが設けられていた[21]
  • 1986年(昭和61年)7月 - TKUとKKTの金峰山送信所が全方向フルパワー化される[21]
    • サガテレビや九州朝日放送(KBCテレビ。TKUと同じ34chを使用する中継局があった)からの了解も得られた上で実施。北面アンテナはスピルオーバー防止対策として、主ビームを足元に向けるように調節された[21]
    • 金峰山送信所のフルパワー化に伴い、玉名中継局の位置付けが「熊本県北地域の主要中継局」から「二岳、三岳の山陰になる地域のための中継局」に変更、出力は7月19日[22]に30Wから10Wに減力された[21]
  • 1987年(昭和62年)4月3日 - 『若っ人ランド』が金曜深夜の番組として放送開始(同年10月より土曜17時に番組枠を移動)[23]
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 1月1日 - Visual Identity(VI)導入に伴い、開局20周年マークとして「TKU」ロゴを2代目に変更(ただしロゴ変更から1998年までは現在の物より細かった)、呼称「テレビくまもと」の使用開始[24]スターダストレビュー作詞・作曲のイメージソング『NEW DAY BEGIN ~愛は風にのって』も使用開始[25]
    • 4月1日 - 開局20周年を迎える。第1回TKUの日を開催[26]
  • 1998年(平成10年)
    • 10月1日 - 開局30周年記念キャッチコピー「ドラマちっくTKU」およびイメージソング『ドラマちっくTKU~輝いて~』を使用開始。オープニング(1日の放送開始映像)も同日から変更される。イメージソングはサーカス(TKU主催「音楽畑コンサート」の常連アーティストであった)によるもの[27]
  • 2006年(平成18年)
  • 2009年(平成21年)
    • 1月1日 - 地上デジタル放送でウォーターマークの表示を開始(ただし、ワンセグでは非表示)。
    • 4月1日 - 開局40周年を迎える。この年、開局40年記念として、地球環境をテーマにしたキャッチコピー「明日(アース)のために、できること。」が1年間使用された。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 正午(午後0時)地上アナログ放送終了。その後、7月25日の午前0時までにアナログ放送は停波。地デジに完全移行し、現在に至る。
  • 2018年(平成30年)12月14日 - 開局50周年を機に、新ロゴマーク(4代目)およびキャッチコピーを発表(2019年1月1日より使用開始)。新キャッチコピーは「リズム!TKU」。[28]

ネットワークの移り変わり

主な送信所

フジテレビ系列のリモコンキーID地図
旧・金峰山送信所(アナログ、2015年撮影)
蘇陽中継局(アナログ)

リモコンキーID - 8

親局
名称 識別信号 チャンネル 空中線電力
熊本 JOZH-DTV 42ch 1kW
送信機はNEC製。アナログ時代とは異なり、熊本放送の施設を間借りし県内全民放テレビ局とエフエム熊本(FMラジオ)と共に施設を共同使用している。
中継局
名称 チャンネル 空中線電力
人吉 19ch 10W
水俣 27ch 100W
天草牛深 27ch 0.3W
阿蘇 42ch 1W
阿蘇北 19ch 0.3W
南阿蘇 23ch 3W
肥後小国 18ch 1W
清和 35ch 1W
蘇陽 43ch 1W
矢部 20ch 1W
三加和 42ch 0.3W
砥用 38ch 1W
菊水 35ch 0.1W
三角 33ch 0.3W
湯浦 42ch 0.3W
芦北 42ch 0.3W
立田山 27ch 0.3W
波野 42ch 1W
熊本託麻 18ch 0.3W
玉名 42ch 1W
玉東 42ch 0.3W
牛深魚貫 32ch 0.1W
新和 27ch 0.3W
崎津 28ch 0.1W
河浦 14ch 0.3W
水上 30ch 0.1W
鹿北 31ch 0.3W
本渡北 37ch 0.3W
本渡 48ch 0.3W
倉岳 42ch 1W
栖本 18ch 0.1W
有明上津浦 43ch 0.1W
御所浦 14ch 0.1W
19ch 0.1W
小川海東 39ch 0.1W
松島教良木 43ch 0.1W

アナログ放送

2011年7月24日停波時点 アナログ中継局の内小国中継局南阿蘇中継局のみVHF波で送信していた。

  • 熊本(親局):34ch 10kW JOZH-TV 金峰山 送信機は東芝
  • 水俣:38ch 500W
  • 小国[注釈 2]:8ch
  • 南阿蘇:4ch
  • 人吉:42ch

ケーブルテレビ再送信局

長崎県ケーブルテレビジョン島原(カボチャテレビ)では、テレビ熊本のアナログテレビの再送信を行ってきたが、2011年7月24日のアナログ放送終了をもって同社での再送信も終了した。これでテレビ熊本は、熊本県の民放4局の中で唯一、県外のケーブルテレビ局による再送信が実施されていないことになる(2013年春以降は熊本放送も)。

資本構成

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[29][30][31][32][33]

概要

フジテレビ日本テレビテレビ朝日のトリプルクロスネット時代には、西日本新聞社と同比率で読売新聞社務臺光雄)と朝日新聞社広岡知男)の社長が個人大株主となっていた。

2015年10月1日

株主 比率
フジ・メディア・ホールディングス 19.2%

過去の資本構成

主な番組

アナウンサー

男性

女性

過去に在籍していたアナウンサー

男性

  • 安藤博之
  • 佐々木義尊
  • 千々波明輝
  • 友枝孝介
  • 三浦彰
  • 渡邊哲夫(静岡県民放送〈通称:静岡けんみんテレビ、現:静岡朝日テレビ〉を経てフリー
  • 福田浩一(1986年 - 2007年5月。事業部へ異動。退職後、フリーアナウンサーへ転向)
  • 山本琢也(在籍時に急性くも膜下出血で死去)
  • 守田喬(1969年 - 2011年)
  • 荒木恒竹(1985年入社)アナウンス部長。在職中に逝去。

女性

  • 矢部絹子
  • 古沢久美子
  • 浅田麻梨乃(米国留学を経て、現・テレビ朝日社員)
  • 岩永暁子
  • 瀬山英子
  • 中島道子
  • 若松美雪
  • 橋本絵理子(1980年 - 1985年。退職後、フリーアナウンサーへ転向)
  • 小門容子(退社後、タレントに転身)
  • 野田亜紅
  • 横田浩子
  • 白浜美津子
  • 勝田麻吏江
  • 風戸直子
  • 田中(現・仲野)朝子(2006年 - 2009年12月。退社後、ホリプロ所属のフリーアナウンサーになる)
  • 西村佳良子
  • 木村佳那子(2010年 - 2011年、元静岡放送契約社員。退社後、千葉テレビ放送へ移籍)
  • 藤本愛英(2001年 - 2011年。一旦家庭に入った後、フリー情報誌出版の仕事を始める)
  • 長安智子(2010年 - 2012年。四国放送から移籍。退社後、NHK山口放送局の契約キャスターになる)
  • 井後真奈美(2001年 - 2014年3月)

自社主催イベント

関連施設

特色

  • ローカル制作番組強化の一つとして、1993年から熊本県出身の偉人を発掘・顕彰して後世に伝えようと大型ドキュメンタリードラマ「郷土の偉人シリーズ」を制作、毎年11月3日文化の日)前後に合わせてFNS九州各局で放送している。また、2013年4月から月~金曜日に朝の情報番組「英太郎のかたらんね」をスタートさせるなど、自社制作番組の強化やニュース番組の充実に取り組んでおり「英太郎のかたらんね」が7年連続同時間帯視聴率トップ独走中、また「TKU Live News」も同時間帯で平均視聴率トップをとるなど自社番組の視聴率も好調である。
  • 2004年に熊本の放送局で初めて国際標準規格ISO 14001を取得している。
  • 本社所在地は1991年に編入によって熊本市(現在の熊本市北区)になるまで飽託郡北部町であり、全国的にも珍しい郡部(町または村)に社屋を持つ放送局で、民間放送局(ケーブルテレビ局とコミュニティFMラジオ局を除く)としては唯一郡部(町または村)に本社を置く放送局であった[注釈 9]。また、在熊テレビ局では唯一、本社を開局時から移転していない。

補足

関連人物

脚注

注釈
  1. ^ 但し、日本テレビ系はニュース番組供給部門(NNN)のみに加盟し、一般番組供給部門(NNS)はニュース系列脱退まで未加盟。
  2. ^ アナログ放送ではNHKを除いて旧国名の「肥後」を中継局名に加えていなかった。
  3. ^ a b テレビ熊本 代表取締役社長
  4. ^ a b c テレビ熊本 取締役
  5. ^ テレビ熊本 非常勤取締役
  6. ^ フジテレビジョン 代表取締役会長
  7. ^ テレビ熊本 代表取締役会長
  8. ^ 関西テレビ放送 代表取締役社長
  9. ^ 同様の事例はNHK沖縄放送局(沖縄県島尻郡豊見城村)でもあるが、こちらは合併ではなく移転(那覇市おもろまち)による。なお豊見城村は後に市に昇格している。
  10. ^ 国政選挙運動期間中の公明党に関しては、公職選挙法の規定により、放送局の都合で断ることができないため、有償扱いで出稿を認めている。
  11. ^ なお、同じ創価学会系の学校教育機関である学校法人創価学園については、熊本県内に当該法人が管理運営する学校教育機関が存在しないため、同学園のCMは当局での放送は行われていない。
  12. ^ 2004年のFNS27時間テレビ出演時岡村先生にいじられクローズアップされる。
出典
  1. ^ a b 株式会社テレビ熊本 第53期決算公告
  2. ^ 『テレビ熊本30年史』p.20
  3. ^ 『テレビ熊本30年史』p.21
  4. ^ 『テレビ熊本30年史』p.22
  5. ^ 『テレビ熊本30年史』p.23
  6. ^ 『テレビ熊本30年史』p.24
  7. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.25
  8. ^ 『テレビ熊本30年史』p.28
  9. ^ 『テレビ熊本30年史』pp.33-35
  10. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.38
  11. ^ 『テレビ熊本30年史』p.43
  12. ^ 『テレビ熊本30年史』p.74
  13. ^ 『テレビ熊本30年史』pp.48-49
  14. ^ a b c d 『テレビ熊本30年史』p.53
  15. ^ 『テレビ熊本30年史』p.73
  16. ^ a b 『テレビ熊本30年史』pp.75-76
  17. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.109
  18. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.112
  19. ^ 『テレビ熊本30年史』p.124
  20. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.118
  21. ^ a b c d 『テレビ熊本30年史』pp.147-148
  22. ^ 『テレビ熊本30年史』p.320
  23. ^ 『テレビ熊本30年史』p.167
  24. ^ 『テレビ熊本30年史』p.158
  25. ^ 『テレビ熊本30年史』p.159
  26. ^ 『テレビ熊本30年史』p.160
  27. ^ 『テレビ熊本30年史』pp.212-213
  28. ^ TKUのロゴが変わります!キャッチコピーは「リズム!TKU」”. テレビ熊本. 2018年12月28日閲覧。
  29. ^ 総務省 電波利用ホームページ”. 総務省. 2016年1月1日閲覧。
  30. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、444頁。 
  31. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、471頁。 
  32. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、439頁。 
  33. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、301頁。 

参考文献

  • 30年史編纂委員会『テレビ熊本30年史』テレビ熊本、2001年。

外部リンク