ウラジーミル・シュメイコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。高木あゆみ (会話 | 投稿記録) による 2020年2月6日 (木) 09:03個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ナビゲーションに移動 検索に移動
ウラジーミル・シュメイコ
Владимир Филиппович Шумейко
Vladimir Shumeiko.jpg
生年月日 (1945-02-10) 1945年2月10日(77歳)
出生地 ロストフ・ナ・ドヌ
出身校 クラスノヤルスク工科大学
前職 設計者、技師長、企業支配人、最高会議副議長、第一副首相

在任期間 1994年1月13日 - 1996年1月23日
大統領 ボリス・エリツィン
テンプレートを表示

ウラジーミル・フィリッポヴィッチ・シュメイコВладимир Филиппович ШумейкоVladimir Filippovich Shumeiko1945年2月10日 - )は、ソビエト連邦及びロシア政治家エリツィン時代の初期に急進改革派に属し、第一副首相ロシア連邦議会上院連邦会議初代議長(在任期間:1994年1月13日1996年1月23日)を歴任した。

1945年2月10日ロストフ・ナ・ドヌに生まれる。1963年クラスノヤルスク工科大学を卒業する。同年電機工場に就職する。1967年ソ連共産党に入党する。電気計器関連企業合同で設計者を皮切りに、技師長、総支配人を歴任する。

政界入りは、1990年のソ連人民代議員大会で民族会議(民族院)評議員に選出されたことに始まる。急進改革派に属し、ボリス・エリツィンに接近する。1991年11月最高会議副議長に就任。1992年6月ロシア連邦政府第一副首相に任命される。エリツィンと議会の間の対立が先鋭化すると、1993年9月1日にエリツィンによって、汚職を理由にシュメイコとアレクサンドル・ルツコイ副大統領は解任されるが、これは、反エリツィン陣営の中心人物となったルツコイを解任するためで、シュメイコは、9月22日に第一副首相に復帰し、1993年10月には出版情報相を兼務する。モスクワ騒乱後、新たに創設された連邦議会の上院連邦会議議員選挙に立候補し、当選する。1994年1月13日初代上院議長に選出された。1996年1月23日まで在職。