アルフレッド・シスレー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Pyb (会話 | 投稿記録) による 2020年7月7日 (火) 09:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎ギャラリー: file HD)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

アルフレッド・シスレー
ルノワールによるアルフレッド・シスレーの肖像。1864年。
誕生日 (1839-10-30) 1839年10月30日
出生地 フランスの旗 フランス王国 パリ
死没年 1899年1月29日(1899-01-29)(59歳)
死没地 フランスの旗 フランス共和国 セーヌ=エ=マルヌ県モレ=シュル=ロワン英語版
国籍 フランスの旗 フランス
芸術分野 絵画
テンプレートを表示

アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley, 1839年10月30日 - 1899年1月29日)は、フランス生まれのイギリス人の画家

略歴

洪水と小舟 1876 オルセー美術館

シスレーは1839年10月30日、裕福なイギリス人の両親のもとパリに生まれた。父親ウィリアム・シスレーは絹を扱う貿易商で4人兄弟の末っ子だった。

1857年、18歳のときにロンドンに移り叔父のもとでビジネスを学ぶが、商業よりも美術に関心を持ちターナーコンスタンブル等の作品に触れた。4年後中断してパリに戻り、フレデリック・バジールのすすめでマルク=シャルル=ガブリエル・グレールのアトリエで学び、クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワールらと出会う。彼らは共に、スタジオで絵を描くことより戸外で風景画を制作することを選んだ。このため、彼らの作品は当時の人々が見慣れていたものより色彩豊かで大胆であったため、展示されたり売れることはあまりなかった。彼らの作品は当時のサロンの審査員からは受け入れられなかった。1860年代、シスレーは父親の援助により他の画家たちよりは経済的に恵まれた立場あった。当時はとくにルノワールと親しく、ルノワールはシスレーの父親やシスレーと恋人の肖像画等を描き、前者を1866年のサロンに出品している。

1866年、シスレーはパリに住むブレトン人ウジェニー・レクーゼク (1834年-1898年、マリー・レクーゼクとしても知られる)と交際を始める。二人の間には息子ピエール (1867年生) と娘ジャンヌ (1869年)が生まれた。[1]当時シスレーはアヴニュー・ド・クリシー近くに住んでおり、パリ在住の画家の多くが集まるカフェ・ゲルボワの常連ともなっていた。

1868年、シスレーの作品はサロンに出展され入選を果たすが、あまり評価されなかった。

1870年、 普仏戦争勃発し、ブージヴァルに住んでいたシスレーは敵兵により家・財産を失い、翌年には父が破産、経済的必要を満たすために作品を売るしかなくなる。しかしシスレーの作品はなかなか売れず、以後彼は死ぬまで困窮した中で生活することになる。[2] 1871年、パリ・コミューンを避けルーヴシエンヌにほど近いヴォワザンへ移住。その後、アルジャントゥイユブージヴァルポール=マルリにも移住。

経済的困難もあったが、後援者の助けもあり何度かイギリスに短い旅をしている。最初の機会は1874年で、第一回印象派展の後に熱心な収集家で著名なオペラ歌手であったジャン=バティスト・フォールの招きによりイギリスに滞在(7~10月)している。シスレーはロンドン滞在中、テムズ川上流のモレジーで20近くの作品を制作した。

1875年にはモネ、ルノワール、ベルト・モリゾとともに水彩画、油彩画の即売会を開催する。

1880年代に、パリの東南方、セーヌ川の支流のひとつであるロワン川沿いに活動の拠点を移した。

1881年には再びイギリスを訪れている。

1889年にはモレ=シュル=ロワンに移住。1893年よりモレ=シュル=ロワンのノートルダム教会を連作で14点描いた。

1897年にはパートナーのウジェニーと共に再びイギリスを訪れ、8月5日にはカーディフで婚姻届を提出した。[3] 二人はカーディフ近郊のペナースに滞在し、シスレーは少なくとも6枚の油彩画を制作した。8月中旬にはガウワー半島のLangland Bayのホテルに移り、少なくとも11枚の油彩画を制作した。10月にフランスに戻っており、この旅が祖国を訪れた最後になった。カーディフ国立美術館にはこの時の作品が所蔵されている。

その後、シスレーはフランスの市民権を得ようと申請するが、却下された。2度目の申請時には病気が原因で却下されたという。[4]

シスレーは1899年1月29日、モレ=シュル=ロワンにて喉頭癌のため死去した。妻が癌で亡くなった数か月後のことで、二人はモレ=シュル=ロワンの墓地に埋葬された。

典型的な印象主義者

シスレーの900点近い油彩作品のうち大部分は、パリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画で、人物、室内画、静物といった他のジャンルは全て合わせてもおそらく20点に満たない[5]。他の印象派の画家の多くが、後に印象派の技法を離れたなかで、シスレーは終始一貫、印象派画法を保ち続け、もっとも典型的な印象派の画家といえる。1900年頃、アンリ・マティスカミーユ・ピサロに会った際、マティスが「典型的な印象派の画家は誰か?」と尋ねると、ピサロは「シスレーだ」と答えたという。

代表作

日本にあるシスレー作品

タイトル レゾネ番号 制作年 技法・素材 サイズ 所蔵先 備考
森へ行く女たち 4 1866年 油彩・カンヴァス 65.2x92.2cm ブリヂストン美術館
マントからショワジ=ル=ロワへの道 20 1872年 油彩・カンヴァス 46.0x56.0cm 公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託[6][7]
ルーヴシエンヌの一隅 54 1872年 油彩・カンヴァス 45.9x39.8cm 三菱一号館美術館寄託
洪水 24 1872年 油彩・カンヴァス 51.0x73.6cm 個人〈日本〉
ルーヴシエンヌの風景 91 1873年 油彩・カンヴァス 54.0x73.0cm 国立西洋美術館
マルリーの水飼い場 69 1873年 油彩・カンヴァス 98.1x130.5cm ポーラ美術館
ブージヴァルのセーヌ川 1873年頃 油彩・カンヴァス 京都国立近代美術館寄託
牧草の牛、ルーヴシエンヌ 130 1874年 油彩・カンヴァス 60.0x73.0cm 富士美術館
1875年頃 油彩・カンヴァス 38.0x25.8cm 姫路市立美術館(國富奎三コレクション)
舟遊び 277 1877年 油彩・カンヴァス 45.6x56.0cm 島根県立美術館
セーヴルの跨線橋 1879年 油彩・カンヴァス 37.9x55.5cm ポーラ美術館
サン・クルー近くのセーヌ川、増水 343 1879年 油彩・カンヴァス 38.4x55.3cm 上原近代美術館
マルリーの通り 1879年 油彩・カンヴァス 38.0x55.2cm 大原美術館
シュレーヌのセーヌ河 314 1879年 油彩・カンヴァス 50.0x65.0cm イセ文化基金
セーヴル磁器工場 1879年 油彩・カンヴァス マスプロ美術館旧蔵
セーブルの坂道 1879年 油彩・カンヴァス 46.4x61.2cm 個人(旧蔵)
ヒースの原 404 1880年 油彩・カンヴァス 50.0x65.0cm 個人
秋風景 1880年 油彩・カンヴァス 50.0x65.0cm 公益財団法人上原美術館 上原近代美術館
村への道 1880年 油彩・カンヴァス 京都国立近代美術館寄託
ヴヌー・ナドンの冬 445 1881年 油彩・カンヴァス 52.5x71.0cm 村内美術館旧蔵
サン=マメスのロワン河畔の風景 1881年 油彩・カンヴァス 34.2x48.5cm 鹿児島市立美術館
モレへの道 1882年 油彩・カンヴァス 54.0x73.0cm 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)[7]
サン=マメスの平原、2月 414 1881年 油彩・カンヴァス 55.0x73.0cm サントリーコレクション
森のはずれ、6月 538 1884年 油彩・カンヴァス 66.0x73.0cm サントリーコレクション
サン=マメス6月の朝 545 1884年 油彩・カンヴァス 54.6x73.4cm ブリヂストン美術館
サン=マメス 1885年 油彩・カンヴァス 54.5x73.0cm ひろしま美術館
サン=マメスのロワン河 626 1885年 油彩・カンヴァス 38.7x55.6cm ポーラ美術館
サン=マメのロワン運河 1885年 油彩・カンヴァス 38x55.7 ヤマザキマザック美術館[8]
麦畑から見たモレ 635 1886年 油彩・カンヴァス 51.0x73.0cm 松岡美術館
モレのポプラ並木 689 1888年 油彩・カンヴァス 54.0x73.0cm 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)[6][7]
モレ=シュル=ロワン、朝の光 678 1888年 油彩・カンヴァス 60.0x73.0cm 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)[6][7]
モレのロワン川、洗濯船 1890年 油彩・カンヴァス 54.3x65.4cm 吉野石膏株式会社(山形美術館寄託)[7]
森へ続く道 708 1889年 油彩・カンヴァス 38.3x55.8cm 村内美術館[9]
葦の川辺─夕日 1890年 油彩・カンヴァス 54.0x73.0cm 茨城県近代美術館
ロワン河畔、朝 1891年 油彩・カンヴァス 59.6x57.4cm ポーラ美術館
積み藁 844 1895年 油彩・カンヴァス 60.5x73.2cm 諸橋近代美術館
ロワン川沿いの小屋、夕べ 1896年頃 油彩・カンヴァス 65.0x81.0cm 公益財団法人吉野石膏美術振興財団(山形美術館寄託)[6][7]
レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ 871 1897年 油彩・カンヴァス 65.0x81.0cm 東京富士美術館
レディース・コーヴ 880 1897年 油彩・カンヴァス 54.0x65.0cm ブリヂストン美術館
春の朝・ロワンの運河 884 1897年 油彩・カンヴァス 60.0x73.0cm 個人
鵞鳥のいる河畔 1897年 カラー・リトグラフ 21.5x32.0cm 横浜美術館
風景(ロワン河畔の荷車) 1899年第3ステート(初刷1890年) エッチング 13.5x21.6cm 横浜美術館(小島烏水旧蔵)
  • 『アルフレッド・シスレー展 ─印象派、空と水辺の風景画』pp.162-163を元に、脚注資料を用いて修正して作成。空欄は詳細が不明なもの。なお同書によると、個人所蔵の作品がさらに数点あるという。
  • レゾネ番号は、カタログ・レゾネ(F.Daulte,alfred Sisley:catalogue raisonné de l'oevre peint ,Édition Durand-Ruel,Lausanne,1959)の番号。

ギャラリー

脚注

  1. ^ Turner 2000, pp. 400–401.
  2. ^ Denvir 2000, p. 265.
  3. ^ www.museumwales.ac.uk
  4. ^ BBC Radio 4 6th November 2008, Misfits in France
  5. ^ 展覧会図録「シスレー展」P11
  6. ^ a b c d 山形美術館編集・発行 『吉野石膏コレクション フランス近代絵画50選』 2016年、pp.22-23,86
  7. ^ a b c d e f 吉野石膏株式会社編集・発行 印象社制作 『吉野石膏コレクション 西洋編』 2018年8月31日、pp.25-30。
  8. ^ 木島俊介監修 ヤマザキマザック美術館準備室編集 『ヤマザキマザック美術館[作品選]』 ヤマザキマザック美術館、2010年4月22日、pp.34-35。
  9. ^ 森へ続く道 _ 村内美術館  家具と絵画のコラボレーション

参考資料

和書

  • リチャード・ショーン 著、島田紀夫・松島潔 訳『アート・ライブラリー シスレー』西村書店、2012年。ISBN 978-4-890-13673-5 
  • レイモン・コニア 著、作田清 訳『シスレー イール=ド=フランスの抒情詩人』作品社、2007年。ISBN 978-4-8618-2120-2 
展覧会図録

洋書

  • Turner, J. (2000). From Monet to Cézanne: late 19th-century French artists. Grove Art. New York: St Martin's Press.. ISBN 0-312-22971-2 
  • Denvir, B. (2000). The Chronicle of Impressionism: An Intimate DIary of the Lives and World of the Great Artists. London: Thames & Hudson. OCLC 43339405