2012年の白馬岳大量遭難事故

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小蓮華山より望む白馬岳(2000年7月)

2012年の白馬岳大量遭難事故(2012ねんのしろうまだけたいりょうそうなんじこ)とは、2012年5月4日飛騨山脈(北アルプス)・白馬岳登山中の医師6人が低体温症死亡した山岳遭難事故である。

事故の経緯[編集]

雪で覆われた白馬岳(1999年5月)

5月3日[編集]

北九州市の63歳から78歳の男性医師6人が、栂池高原スキー場長野県北安曇郡小谷村)からゴンドラリフトを利用して入山。栂池ヒュッテに1泊した。

5月4日[編集]

午前5時頃、6人は栂池ヒュッテを出発。この時点の天候は晴天で無風だった。しかし、午後になって天候が急変し、みぞれ混じりの強風が吹き始めた。

午後1時頃、6人は小蓮華山付近で単独行の登山客に、午後1時半頃には小蓮華山から白馬大池方面に10分ほど下った地点で10人パーティの登山客に、それぞれ目撃されている。白馬岳山頂にある白馬山荘白馬村)によれば、この頃の尾根の気温は氷点下2度以下にまで冷え、風速20 m以上の強風が吹き続けていたという。

午後5時40分頃、「北アルプス・白馬岳を登山中の6人パーティと連絡がつかない」という届出が6人の家族から大町警察署に対してなされた。届出を受けた大町警察署の署員は6人の携帯電話に電話をかけてみたが、6人中5人にはつながらず、1人は呼び出し音はするものの応答がなかったという。

5月5日[編集]

午前5時40分、長野県警の捜索ヘリが松本空港を出発。しかし、現場付近には雲が垂れ込めて風も強かったため、接近することができないまま帰投した。

午前8時頃になって、三国境付近を通りかかった登山者が稜線で倒れている6人の登山者を発見。白馬山荘を通じて警察に通報した。

午前8時20分頃、天候が少し回復したため、長野県警の捜索ヘリが再度現場へ向かったところ、小蓮華山で滑落した別の登山者を発見。そのため、この遭難者を救助したのち、再び現場へ引き返した。

午前9時41分、長野県警の捜索ヘリが通報のあった場所で6人が倒れているのを発見。6人中5人は1箇所に集まっており、うち2人は手袋をしておらず、近くに手袋が落ちていた。もう1人はその場から滑落したらしく、100 mほど下で倒れていた。遭難者の体の一部は厚さ10cmほどの氷に覆われており、地面に張り付いていた。そのため、救助隊員は遺体を傷つけないようにピッケルで氷を割ってヘリコプターに収容した。

遺体は2人ずつ3回に分けて搬送された。遭難者の荷物も回収する予定であったが、再度ガスが立ち込めてきたため、近くにあった2つのザックを回収するのがやっとであった(残りの荷物は、後日、白馬村山岳遭難防止対策協会の隊員によって回収された)。6人の死因は、いずれも低体温症であった。

事故の原因・要因・背景など[編集]

この遭難事故は「気象遭難」に分類されるものであり、(天候判断のミスおよび撤退判断の遅れ・欠如などにより)厳しい気象条件下に晒される状態に陥り低体温症を引き起こしたことが主な要因である。

  • 5月4日の朝の天気はそれほど悪くなかった(擬似好天)が、正午前後から天候が急変し、みぞれ混じりの雨だったのが、午後になってブリザードのような吹雪に変わった。なお、天候の変化は急激かつ突発的なものだったが、当日は冬山の気象の典型的な疑似好天パターンであり、予想天気図をチェックしていれば天候の変化は予測できたとされる(長野県警航空隊や日本山岳会の春山天気予報配信では、4日の天気は荒天であると予想されていた)。
  • 事故当日、6人が歩いた栂池高原から白馬山荘までのルートでは、冬期から春期にかけて山荘が営業していない。晴天の夏でも7〜8時間かかる行程を1日で登り切らなければならず、吹雪き始めた時点で、進むにも戻るにもほぼ中間地点におり、判断に迷ったのではないかとされる。
  • 当初、関係者の発言として、遭難者が全員軽装だったことが大きく報道された(「Tシャツの上に夏用の雨がっぱを着ただけの軽装備だった」「6人とも防寒用のダウンやフリースを身に着けていなかった」「この時期、冬山装備が常識の北アルプス登山では考えられない軽装」など)。その結果、遭難者やその家族にいわれなき誹謗中傷が浴びせられた。しかし、長野県警によると、後日回収されたザックの中には防寒具が入っており、6人中2人はダウンジャケットを着用していた。また、上半身のウェアだけで7枚重ね着していた人もおり、いちばん薄着であった人でさえ、半袖と長袖のシャツにアウターのジャケットを着ていた。これは春山で行動するウェアとしては決して軽装ではない。現場では使用した形跡のあるツェルトが発見されるなど、悪天候に対処しようとした工夫も見られる。

外部リンク[編集]