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1991年の読売ジャイアンツ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1991年の読売ジャイアンツ
成績
セントラル・リーグ4位
66勝64敗 勝率.508[1]
本拠地
都市 東京都文京区
球場 東京ドーム
球団組織
オーナー 正力亨
経営母体 読売新聞社
監督 藤田元司
選手会長 岡崎郁
« 1990
1992 »

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1991年の読売ジャイアンツ(1991ねんのよみうりジャイアンツ)では、1991年の読売ジャイアンツの動向をまとめる。

この年の読売ジャイアンツは、2回目の藤田元司監督体制の3年目(通算6年目)のシーズンである。

概要

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読売ジャイアンツの当年及び近年のシーズン成績
最終成績














O
P
S





1991 リーグ4位4位13066640.508534529.25312842120506.7193.725776藤田元司
1990 日本シリーズ敗退優勝13088420.677589399.26713467144499.7622.837048藤田元司
1989 日本一優勝13084442.656520358.26310677131478.7302.566961藤田元司
1988 リーグ2位2位13068593.535518442.26813463125416.7433.093671王貞治
1987 日本シリーズ敗退優勝130764311.639608447.28115955116366.7763.063168王貞治
1986 リーグ2位2位13075487.610600437.2701558695413.7703.122679王貞治
1985 リーグ3位3位13061609.504616562.27915778114500.7913.962685王貞治
1984 リーグ3位3位13067549.554637517.2681869481501.7953.663980王貞治
1983 日本シリーズ敗退優勝13072508.590622542.27515613489474.7753.773785藤田元司
1982 リーグ2位2位130665014.569511439.254133112103407.7152.935594藤田元司
1981 日本一優勝13073489.603517418.26813511987411.7412.884779藤田元司

前年2位広島に22ゲーム差をつけてペナントレースを独走し優勝しながら、日本シリーズ西武を相手に1勝もできず敗退した影響が残ったままシーズンを迎えることになったが3年目の藤田監督はこのシーズンのテーマを「選手の自主性」と定めて西武野球との差を埋めようとしたものの、リーグ内では従来のチーム戦略を踏襲するものとなった。しかしその結果、前年の日本シリーズで露呈した弱点がこの年現れることとなった。野手陣では新外国人のフィル・ブラッドリーが一定の成績を収め、原辰徳駒田徳広なども奮闘するが打線の繋がりに欠いた。また守備面でのエラーで決勝点を奪われる試合が多く、失策数も前年48個だったのが76個だった。さらに、チーム盗塁阻止率も正捕手の村田真一の弱肩や中尾孝義の衰えもあってこの年.156で2年連続12球団ワーストを記録し、なかでも8月13日の大洋戦では8盗塁を許す惨状であった。投手陣も前年ほどの安定感はなく、先発陣は孤軍奮闘の桑田真澄を除いて斎藤雅樹槙原寛己木田優夫らが軒並み不調でチーム防御率が3.72へ低下し、桑田と香田勲男以外は貯金を作れず(香田も貯金は1つだけ)前年80勝を挙げた6人での合計は56勝に終わる。最後はヤクルトとの3位争いに敗れて1979年以来12年ぶりのBクラスとなる4位に転落した。カード別成績では最下位の阪神に19勝7敗と大きく勝ち越した以外は貯金を増やせず、5位の大洋には13勝13敗と苦戦した(2桁セーブを記録している投手がいるチームに勝ち越しできずストッパーが固定されてない阪神にしかシーズン勝ち越しできなかった)。シーズン終了後、藤田監督の腹心だった近藤昭仁ヘッドコーチ・松原誠打撃コーチが解任された。ブラッドリーもチームになじめず、シーズン終了後に退団した。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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オーダー変遷
開幕:4/65/16/17/28/19/1
1 篠塚利夫[注 1] 緒方耕一篠塚利夫緒方耕一西岡良洋岡崎郁
2 川相昌弘 川相昌弘川相昌弘上田和明川相昌弘川相昌弘
3 ブラッドリー 篠塚利夫吉村禎章駒田徳広駒田徳広駒田徳広
4 原辰徳 原辰徳原辰徳原辰徳原辰徳原辰徳
5 岡崎郁 ブラッドリーブラッドリー岡崎郁ブラッドリーブラッドリー
6 吉村禎章[注 2] 西岡良洋駒田徳広ブラッドリー岡崎郁吉村禎章
7 駒田徳広 駒田徳広村田真一吉村禎章[注 3]ゴンザレスゴンザレス
8 中尾孝義 村田真一福王昭仁吉原孝介村田真一村田真一
9 槙原寛己 木田優夫斎藤雅樹宮本和知斎藤雅樹宮本和知

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1991年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 大洋-- 広島-- 中日-- 中日-- 中日-- 広島-- 広島--
2位 広島1.0 ヤクルト0.0 ヤクルト1.5 ヤクルト1.0 広島4.5 中日3.0 中日3.0
3位 ヤクルト1.0 中日2.0 巨人5.0 広島3.5 ヤクルト6.0 ヤクルト8.5 ヤクルト7.0
4位 巨人1.0 巨人2.0 広島6.0 巨人5.0 巨人6.0 巨人9.5 巨人8.0
5位 中日1.5 大洋2.5 大洋12.0 大洋13.5 大洋16.5 大洋13.0 大洋10.0
6位 阪神4.5 阪神8.5 阪神20.5 阪神22.0 阪神24.0 阪神23.0 阪神26.0
1991年セントラル・リーグ成績
順位球団勝率
優勝広島東洋カープ74562.569---
2位中日ドラゴンズ71591.5463.0
3位ヤクルトスワローズ67632.5157.0
4位読売ジャイアンツ66640.5088.0
5位横浜大洋ホエールズ64661.49210.0
6位阪神タイガース48820.36926.0

オールスターゲーム1991

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  • 監督
藤田元司
  • ファン投票
桑田真澄
篠塚利夫
岡崎郁
原辰徳
吉村禎章
  • 監督推薦
槙原寛己
駒田徳広

できごと

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4月

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  • 6・7日の中日との開幕2連戦を連敗スタート。連敗スタートは11年ぶり。
  • 14日の広島戦で桑田真澄がプロ初セーブを記録。
  • 27日の大洋戦で宮本和知は、初回の先頭打者のヒット1本のみに抑え、完封勝ち(四球1)。
  • 30日に実質的オーナーの務臺光雄名誉会長が逝去。

5月

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  • 22日のヤクルト戦で、プロ3年目の松谷竜二郎が完投で初勝利。

6月

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  • 21日の大洋戦、5回まで0対8と大きくリードされたが、打線が奮起し9回までに同点に追いつくと、延長11回に村田真一のタイムリーでサヨナラ勝ち。
  • 25日のヤクルト戦は5対16と大敗。16失点は球団史上ワースト5番目の記録(当時)。

7月

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  • 19日の中日戦、7回まで8対0と楽勝ムードも、8回に先発の槙原寛己が崩れて7失点するなど8対9と逆転負けを喫する。
  • 22日、デニー・ゴンザレスの入団を発表。
  • 28日のヤクルト戦に負けて、自力優勝が消滅した。

8月

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  • 13日の大洋戦で8盗塁を許す。この試合の先発は斎藤雅樹、捕手は村田真一であった。また、6回に斎藤が投じた62球は、1回における投球数としては当時日本記録だった(現在は2位タイ)。

10月

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  • 5日の阪神戦で原辰徳がセ・リーグ新記録の12犠飛。
  • 12年ぶりのBクラスが確定。

選手・スタッフ

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表彰選手

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リーグ・リーダー

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受賞者なし

ベストナイン

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原辰徳(外野手、2年連続2度目[注 4]
桑田真澄(投手、3年ぶり3度目)
駒田徳広(一塁手、3年連続3度目)
川相昌弘(遊撃手、3年連続3度目)

ドラフト

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順位選手名ポジション所属結果
1位 谷口功一投手天理高入団
2位 小原沢重頼投手城西大学入団
3位 松岡正樹捕手平安高入団
4位 伊藤博康外野手東北福祉大学入団
5位 三好正晴投手川口工業高入団
6位 羽根川竜投手東北高入団

脚注

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注釈

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  1. 偵察メンバーの水野雄仁と交代。
  2. 偵察メンバーの吉田修司と交代。
  3. 偵察メンバーの香田勲男と交代。
  4. 三塁手部門で3度受賞しており、通算5度目。

出典

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  1. 年度別成績 1991年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年12月16日閲覧。
  2. 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1992』ベースボール・マガジン社、1991年。ISBN 4-583-02951-9
  3. 読売巨人軍公式HP 背番号変遷”. 読売ジャイアンツ. 2016年12月16日閲覧。