1975年オーストリアグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| |||
| 日程 | 1975年シーズン第12戦 | ||
| 決勝開催日 | 8月17日 | ||
| 開催地 |
エステルライヒリンク | ||
| コース長 | 5.911 km (3.673 mi) | ||
| レース距離 |
29周 171.419 km (106.515 mi) (当初の予定は54周[1]) | ||
| 決勝日天候 | 雨(ウェット)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:34.85[W 1][2] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:53.90[W 2][3] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
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| 2位 | |||
| 3位 | |||
1975年オーストリアグランプリ(1975ねんオーストリアグランプリ、英: 1975 Austrian Grand Prix、正式名称: Memphis Großer Preis von Österreich)は、1975年のF1世界選手権の第12戦として、1975年8月17日にエステルライヒリンクで開催された自動車レース(オーストリアグランプリ)[W 4]。
第8回のオーストリアグランプリであり、エステルライヒリンクでの開催は6回目であった。また、ヨーロッパグランプリの冠がかけられたレースでもある[4][注 1]。レースは全長約6kmのサーキットで予定されていた54周のうち29周が行われ、総走行距離は約171kmとなった。豪雨によりレースは短縮され、ポイントはハーフポイントが付与された。
概要
[編集]決勝日朝のウォームアップランでの事故でマーク・ダナヒューとコースマーシャルが死亡するという悲劇に見舞われた[5][6]。
雨天の中で行われたレースを制したのは、マーチ・751を駆るイタリア人ドライバーのヴィットリオ・ブランビラだった。これはブランビラの7年に渡るF1キャリアにおける唯一の勝利となった。ブランビラはヘスケス・308を駆るイギリス人ドライバーのジェームス・ハントに27秒差をつけて勝利を収めた。さらに8秒遅れて3位に入ったのは、シャドウ・DN5を駆るイギリス人ドライバーのトム・プライスで、彼の短いF1キャリアにおいてわずか2回のうち最初の表彰台獲得となった。
背景
[編集]- ドライバーズ・チャンピオンシップの行方
- ニキ・ラウダはランキング2位のカルロス・ロイテマンに17点差、同3位のエマーソン・フィッティパルディに18点差を付けて首位となっていた[W 5]。本GPでラウダが両者に18点以上の差を付けた場合[注 2]、初のドライバーズチャンピオン獲得が決定する[W 6]。
エントリー
[編集]本GPは30台がエントリーされ[4]、多くのチームでドライバーの変更が行われた[W 6]。
シャドウはF1に復帰したフランスのマトラV12エンジンを搭載した新車DN7を投入し、フランス人ドライバーのジャン=ピエール・ジャリエに与えた[W 6]。サーティースは第10戦イギリスGPの多重事故で損傷したマシンの修復のため前戦ドイツGPを欠場したが、修復が終わりジョン・ワトソンが復帰した。これにより、ロータスは新人ブライアン・ヘントンに頼らざるを得なかった[W 7]。エンバシー・ヒルはアラン・ジョーンズに代わり、第4戦スペインGPの事故による負傷が癒えたロルフ・シュトメレンが復帰した[W 7]。エンサインは2台をエントリーし、約1年間F1から離れていたクリス・エイモンが復帰しN175を、ロエロフ・ヴンデリンクがN174を走らせる[W 6]。ヘスケスはアメリカ人ドライバーのブレット・ランガーを2台目のドライバーとして起用し、母国GPを迎えるハラルド・アートル(ヴァルシュタイナー)を加えて3台体制とした[W 6]。ウィリアムズは前戦ドイツGPの事故で負傷したイアン・アシュレイに代わり、スイス人ドライバーのヨー・フォンランテンを起用する[W 6]。BRMは新型V12エンジンを搭載して復帰した[W 6]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
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ニキ・ラウダが今季7回目のポールポジションを獲得し、地元のファンを沸かせた。
本GPは予選からアクシデントが相次ぐレースとなった。コパスカーのウィルソン・フィッティパルディはヨッヘン・リント・コーナーの手前でクラッシュし、大破したマシンに手を挟まれて骨折する重症を負った。弟のエマーソン・フィッティパルディは真っ先に事故現場へ駆けつけ、兄の救助にあたった[4]。ロータスのブライアン・ヘントンはコース上のオイルに足を取られてスピンし、バリアに激突してマシンは修復不可能な状態となったため、決勝の出走を諦めざるを得なかった[4]。
土曜日は朝から降った雨により、金曜日のタイムで予選順位が決定した[4]。
第4戦スペインGPでのクラッシュから復帰したロルフ・シュトメレンは26位(上記2名及びマーク・ダナヒュー(後述)が決勝に参加できなくなったため、決勝は23番手スタート)に留まった。エンサインでF1に復帰したクリス・エイモンも24位(同21番手)が精一杯だった。ヘスケスでのデビュー戦となったブレット・ランガーは17番手と好スタートを切った。新たにマトラエンジンを搭載したシャドウのジャン=ピエール・ジャリエは14番手に終わった[W 7]。
マキのトニー・トリマーは本GPもマシントラブルの連続で、予選を通過できなかった[6]。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 12 | フェラーリ | 1:34.85 | - | 1 | |
| 2 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:34.97 | +0.12 | 2 | |
| 3 | 1 | マクラーレン-フォード | 1:35.21 | +0.36 | 3 | |
| 4 | 10 | マーチ-フォード | 1:35.38 | +0.53 | 4 | |
| 5 | 11 | フェラーリ | 1:35.41 | +0.56 | 5 | |
| 6 | 8 | ブラバム-フォード | 1:35.71 | +0.86 | 6 | |
| 7 | 4 | ティレル-フォード | 1:35.78 | +0.93 | 7 | |
| 8 | 9 | マーチ-フォード | 1:35.80 | +0.95 | 8 | |
| 9 | 2 | マクラーレン-フォード | 1:36.12 | +1.27 | 9 | |
| 10 | 3 | ティレル-フォード | 1:36.14 | +1.29 | 10 | |
| 11 | 7 | ブラバム-フォード | 1:36.43 | +1.58 | 11 | |
| 12 | 21 | ウィリアムズ-フォード | 1:37.60 | +2.75 | 12 | |
| 13 | 5 | ロータス-フォード | 1:37.61 | +2.76 | 13 | |
| 14 | 17 | シャドウ-マトラ | 1:37.62 | +2.77 | 14 | |
| 15 | 16 | シャドウ-フォード | 1:37.64 | +2.79 | 15 | |
| 16 | 23 | ヒル-フォード | 1:37.69 | +2.84 | 16 | |
| 17 | 25 | ヘスケス-フォード | 1:37.87 | +3.02 | 17 | |
| 18 | 18 | サーティース-フォード | 1:37.96 | +3.11 | 18 | |
| 19 | 27 | パーネリ-フォード | 1:37.97 | +3.12 | 19 | |
| 20 | 30 | コパスカー-フォード | 1:38.14 | +3.29 | DNS 1 | |
| 21 | 28 | マーチ-フォード | 1:38.19 | +3.34 | DNS 2 | |
| 22 | 29 | マーチ-フォード | 1:38.43 | +3.58 | 20 | |
| 23 | 6 | ロータス-フォード | 1:38.72 | +3.87 | DNS 1 | |
| 24 | 31 | エンサイン-フォード | 1:38.75 | +3.90 | 21 | |
| 25 | 14 | BRM | 1:39.53 | +4.68 | 22 | |
| 26 | 22 | ヒル-フォード | 1:39.56 | +4.71 | 23 | |
| 上位26台が決勝進出 | ||||||
| 27 | 32 | ヘスケス-フォード | 1:40.72 | +5.87 | 24 3 | |
| 28 | 33 | エンサイン-フォード | 1:42.58 | +7.73 | 25 3 | |
| 29 | 20 | ウィリアムズ-フォード | 1:42.80 | +7.95 | 26 3 | |
| 以上3台が繰り上がって決勝進出 | ||||||
| 30 | 35 | マキ-フォード | 1:44.88 | +10.03 | DNQ | |
| 出典: [W 1][W 10] | ||||||
- 追記
マーク・ダナヒューの事故死
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アクシデントは予選だけでは終わらなかった。
日曜日の朝、晴天で行われたウォームアップの走行中[6]、マーク・ダナヒューはタイヤのパンクにより、ピット後のフルスロットルで走る右コーナーのフェスト・ヒューゲル[注 3]でクラッシュした。マシンはキャッチフェンスとコース沿いの広告看板を突破した[W 12]。コースマーシャル1名が死亡し、もう1名も重症を負った[6]。ダナヒューは当初、手首の骨折と脳震盪の軽症と発表されたが、地元の病院で激しい頭痛と引きつけを起こした。フェンスの鉄骨の一部がヘルメットの上から頭を強打し、脳内出血を起こしていたためであった。その後、ヘリコプターでグラーツの病院に搬送されて手術を受けたが、2日後に死亡した[W 12][W 13][5][6]。
決勝
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ウォームアップが行われた朝は晴れていたが、「晴のち雨」の予報通り午後から雨雲が広がってきた[6]。
26台がグリッドに着き、スタートが目前に迫ろうとした頃、雨が降り出してきた。主催者はウェットレースを宣言し、マシンはピットに戻されウェットタイヤに交換された[8]。
45分後、再び各車がグリッドに着き、ようやくレースが始まった。ニキ・ラウダが先頭でスタートし、4列目から飛び出したジェームス・ハントとパトリック・デパイユが続いた。マリオ・アンドレッティはスピンアウトし、ボブ・エバンスは新たなBRMエンジンのトラブル[W 6]でリタイアした。
ヴィットリオ・ブランビラは水しぶきをかき分けて3位に浮上し、ロニー・ピーターソンは10位から4位に順位を上げた。
12周目までにラウダのマシンがウェットコンディションに完全に対応できていないことが明白となり、15周目にはハントが猛然と追い抜き、今季5度目のトップに立った。しかしこのリードは束の間だった。ヘスケスのDFVエンジンは7気筒しか作動しておらず、ブランビラはその後方で必死に追い上げを続けていた。その前方では、初のウェットレースで慎重な走りをしていたブレット・ランガーが、接近する先頭集団に気づいていなかった。ブランビラがトップを奪取し、ハントがようやくチームメイトを抜くまでにさらに2周を要した。ピーターソンは汚れたバイザーを交換するためピットインを余儀なくされ[9]、ブラバム勢は1台がリタイアし、もう1台も入賞は望めない状況だった[9]。
ヨッヘン・マスは3位を走行中、ハイドロプレーニング現象によりスピンアウトした[9]。これをきっかけにグランプリ・ドライバーズ・アソシエーション(GPDA)とフォーミュラ・ワン・コンストラクターズ・アソシエーション(F1CA[注 4])は主催者にレースの打ち切りを訴え[9]、29周目が終わったところでチェッカーフラッグが振られてレースは終了した[9]。
ブランビラはチェッカーフラッグを受けて片手を挙げた瞬間、コントロールを失ってクラッシュし、壊れたマシンでウィニングランを行った[10]。マーチは歴史的勝利を飾った。しかし、舞台裏では混乱が生じていた。再スタートの準備を進めるチームもあったが、チェッカーフラッグでレースは既に終了していたため、再スタートは不可能だった。レース結果は確定したが、規定周回数の75%を完了していないため(当初予定の54周中29周、53.7%)、獲得ポイントは半分となる。ポイントが半分となったのは第4戦スペインGP以来2度目である[11]。37歳で最年長のブランビラは、自身初にしてF1キャリア唯一の勝利を挙げた。
このレースは、ジャン=ピエール・ジャリエがマトラエンジンを搭載したシャドウ・DN7をドライブしたわずか2レースのうちの最初のレースであった[12]。
初のドライバーズチャンピオン獲得に王手をかけていたラウダは入賞圏内の6位でフィニッシュし[13]、チャンピオン獲得の可能性を残すカルロス・ロイテマンとエマーソン・フィッティパルディがポイント圏外に終わったが、ポイントが半分となったことにより母国GPで初のチャンピオン獲得とはならなかった[14]。ラウダとロイテマンの差は17.5点に広がり、E.フィッティパルディはドライバーズ2連覇の可能性が消滅した[W 6]。ラウダは次戦イタリアGPで6位以内に入賞すれば、無条件で初のチャンピオン獲得が決定する[14]。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 9 | マーチ-フォード | 29 | 57:56.69 | 8 | 4.5 | |
| 2 | 24 | ヘスケス-フォード | 29 | +27.03 | 2 | 3 | |
| 3 | 16 | シャドウ-フォード | 29 | +34.85 | 15 | 2 | |
| 4 | 2 | マクラーレン-フォード | 29 | +1:12.66 | 9 | 1.5 | |
| 5 | 5 | ロータス-フォード | 29 | +1:23.33 | 13 | 1 | |
| 6 | 12 | フェラーリ | 29 | +1:30.28 | 1 | 0.5 | |
| 7 | 11 | フェラーリ | 29 | +1:39.07 | 5 | ||
| 8 | 3 | ティレル-フォード | 28 | +1 Lap | 10 | ||
| 9 | 1 | マクラーレン-フォード | 28 | +1 Lap | 3 | ||
| 10 | 18 | サーティース-フォード | 28 | +1 Lap | 18 | ||
| 11 | 4 | ティレル-フォード | 28 | +1 Lap | 7 | ||
| 12 | 31 | エンサイン-フォード | 28 | +1 Lap | 21 | ||
| 13 | 25 | ヘスケス-フォード | 28 | +1 Lap | 17 | ||
| 14 | 7 | ブラバム-フォード | 28 | +1 Lap | 11 | ||
| 15 | 23 | ヒル-フォード | 28 | +1 Lap | 16 | ||
| 16 | 22 | ヒル-フォード | 27 | +2 Laps | 23 | ||
| 17 | 29 | マーチ-フォード | 26 | +3 Laps | 20 | ||
| NC | 33 | エンサイン-フォード | 25 | 規定周回数不足 | 25 | ||
| Ret | 32 | ヘスケス-フォード | 23 | 電気系統 | 24 | ||
| Ret | 21 | ウィリアムズ-フォード | 21 | ハンドリング | 12 | ||
| Ret | 8 | ブラバム-フォード | 17 | エンジン | 6 | ||
| Ret | 20 | ウィリアムズ-フォード | 14 | エンジン | 26 | ||
| Ret | 10 | マーチ-フォード | 10 | アクシデント | 4 | ||
| Ret | 17 | シャドウ-マトラ | 10 | 燃料噴射装置 | 14 | ||
| Ret | 14 | BRM | 2 | エンジン | 22 | ||
| Ret | 27 | パーネリ-フォード | 1 | アクシデント | 19 | ||
| DNS | 28 | マーチ-フォード | ウォームアップで事故死 | ||||
| DNS | 30 | コパスカー-フォード | 予選でアクシデント | ||||
| DNS | 6 | ロータス-フォード | 予選でアクシデント | ||||
| DNQ | 35 | マキ-フォード | 予選不通過 | ||||
| 優勝スピード(勝者ブランビラの平均速度):177.499 km/h | |||||||
| ファステストラップ:ヴィットリオ・ブランビラ - 1:53.9[W 2] | |||||||
| 出典: [W 14][W 3][W 10][1] | |||||||
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| ニキ・ラウダ | 14周 | 1-14 |
| ジェームス・ハント | 4周 | 15-18 |
| ヴィットリオ・ブランビラ | 11周 | 19-29 |
| 出典: [W 15] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
主な記録
[編集]ドライバー
[編集]- 初勝利 / 初表彰台 / 初ファステストラップ:ヴィットリオ・ブランビラ - いずれも唯一の記録[W 6][W 16]
- イタリア人ドライバーの勝利は1966年イタリアGPのルドヴィコ・スカルフィオッティ以来9年ぶり25回目[W 17]。
- 初表彰台:トム・プライス[W 6][W 18]
- 初参戦 / 初出走 / 初完走:ブレット・ランガー[W 19]
- 初参戦 / 初出走:ヨー・フォンランテン - 唯一の参戦[W 20]
- 初完走:ロエロフ・ヴンデリンク - 唯一の完走[W 21]
- 最終完走:トニー・ブライズ[W 22]
- 最終参戦:マーク・ダナヒュー[W 23]
コンストラクター
[編集]- 通算2勝目:マーチ[W 6] - コンストラクターとしては1970年スペインGPでティレルのジャッキー・スチュワートが勝利を挙げて以来5年ぶりで[W 24][注 5]、チーム(マーチ・エンジニアリング)としては初勝利[W 25]。
- 最終表彰台:ヘスケス[W 6][W 26]
第12戦終了時点のランキング
[編集]
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- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半7戦のうちベスト6戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1923年から1977年まで断続的にヨーロッパ各国の持ち回りで、その年の最も権威のあるレースに対して「ヨーロッパGP」の冠がかけられていた。主に1国1GPの制約を回避する目的で単独イベントとして開催されるのは1983年以降である。
- ↑ 当時のポイントシステムは上位6台に9-6-4-3-2-1の各点が与えられていた。
- ↑ この事故を受ける形で翌1976年に当該箇所のコース幅を狭め、1977年からシケインに改修された。1997年にA1リンクとして再開場された際にコースが大幅に短縮され、この部分はショートカットされたため現存しない[W 11]。
- ↑ 後にFOCAと改称された。
- ↑ 1970年のティレルは、終盤戦を除きマーチの車両を使用していた。
出典
[編集]- 書籍・雑誌
- 1 2 3 (F1全史1971–1975 1993, p. 132)
- ↑ (Lang 1983, p. 93)
- ↑ (Lang 1983, p. 95)
- 1 2 3 4 5 6 (AUTOSPORT 178, p. 90)
- 1 2 3 (F1全史1971–1975 1993, p. 98)
- 1 2 3 4 5 6 7 (AUTOSPORT 178, p. 92)
- ↑ (AUTOSPORT 178, p. 89)
- ↑ (AUTOSPORT 178, p. 94)
- 1 2 3 4 5 (AUTOSPORT 178, p. 95)
- ↑ (F1全史1971–1975 1993, p. 101)
- ↑ (F1全史1971–1975 1993, pp. 99, 101)
- ↑ (Jones 1998, pp. 400–401)
- ↑ (Henry 1989, p. 284)
- 1 2 (AUTOSPORT 178, p. 96)
- ウェブサイト
- 1 2 “Austria 1975 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 “Austria 1975 - Best laps” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 3 “Austria 1975 - Result” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “1975 Austrian Grand Prix Entry list”. RacingSportsCars. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 3 “FIA Formula One World Championship 1975 German Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 “Austria 1975”. STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 3 “Austrian GP, 1975” (英語). grandprix.com. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 “Race Results” (英語). Hesketh Racing. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “Austria 1975 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 3 “Austria 1975 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “Red Bull Ring” (英語). RacingCircuits.info. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 “Donohue dies after surgery”. Eugene Register-Guard. AP通信. (1975年8月20日)
- ↑ “Austrian Grand Prix 1975” (英語). motorsportmagazine.com. 2020年4月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月26日閲覧。
- ↑ “1975 Austrian Grand Prix” (英語). formula1.com. 2014年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2026年2月26日閲覧。
- ↑ “Austria 1975 - Laps led” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:V.ブランビラ”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “Italy - Wins” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:T.プライス”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:B.ランガー”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:J.フォンランテン”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:R.ヴンデリンク”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:T.ブライズ”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:M.ダナヒュー”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “March - Wins” (英語). STATS F1. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “March Racing Results” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月26日閲覧。
- ↑ “戦績:ヘスケス”. F1 DataWeb. 2026年2月26日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1975 Austrian Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2026年2月26日閲覧。
参照文献
[編集]- 『F1全史』シリーズ(NCID BN12600893)
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ASIN B07DP9R68Q。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。
- 『オートスポーツ』(NCID AA11437582)
- 『No.178 1975年10月15日号』三栄書房(現:三栄)、1975年、89-96頁。ASB:AST19751015。
- アラン・ヘンリー 著、早川麻百合、鳥江政弘 訳『チーム・フェラーリの全て』CBS・ソニー出版、1989年。ISBN 4-7897-0491-2。
- Lang, Mike (1983). Grand Prix! Vol 3. Haynes Publishing Group. ISBN 0-85429-380-9
- Jones, Bruce (1998). “Statistics”. The Complete Encyclopedia of Formula One. Carlton Books. pp. 400-401. ISBN 1-85868-515-X
翻訳元
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1975 Austrian Grand Prix(2026年2月12日 19:55:36(UTC))
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- Austria 1975 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- Austrian GP, 1975 - grandprix.com(英語)
- 1975年第12戦オーストリアグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1975年ドイツグランプリ |
FIA F1世界選手権 1975年シーズン |
次戦 1975年イタリアグランプリ |
| 前回開催 1974年オーストリアグランプリ |
次回開催 1976年オーストリアグランプリ | |
| 前回開催 1974年ドイツグランプリ |
(冠大会時代) |
次回開催 1976年オランダグランプリ |