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1974年アメリカグランプリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカ合衆国の旗 1974年アメリカグランプリ
レース詳細
日程 1974年シーズン第15戦
決勝開催日 10月6日
開催地 ワトキンズ・グレン・グランプリコース
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州 ワトキンズ・グレン英語版
コース長 5.435 km (3.377 mi)
レース距離 59周 320.665 km (199.252 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)[1]
ポールポジション
ドライバー
タイム 1:38.978[W 1]
ファステストラップ
ドライバー ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
タイム 1:40.608(54周目)[W 2]
決勝順位
優勝
2位
3位

1974年アメリカグランプリ(1974ねんアメリカグランプリ、: 1974 United States Grand Prix、正式名称: XVII United States Grand Prix)は、1974年のF1世界選手権の第15戦(最終戦)として、1974年10月6日ワトキンズ・グレン・グランプリコースで開催された自動車レースアメリカグランプリ)。

概要

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59周で行われたレースは、ポールポジションからスタートしたブラバムカルロス・ロイテマンが優勝した。同じくブラバムのカルロス・パーチェが2位、ヘスケスジェームス・ハントが3位でフィニッシュした。

最終戦までもつれ込んだドライバーズタイトルコンストラクターズタイトル争いは、マクラーレンエマーソン・フィッティパルディが4位に入賞し、フィッティパルディが2年ぶり2回目のドライバーズタイトルを獲得し、マクラーレンに初のコンストラクターズタイトルをもたらした。

サーティースヘルムート・コイニクがレース中の事故により死亡した。

背景

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チャンピオンシップの行方
最終戦のため、ドライバーズタイトル及びコンストラクターズタイトルが決定する[注 1]
  • ドライバーズタイトル争いは、52点で並ぶエマーソン・フィッティパルディクレイ・レガツォーニ、45点のジョディー・シェクターの3人に絞られた[2]。ドライバーズタイトル争いが同点で最終戦を迎えたのはF1世界選手権の歴史上初である[W 4][注 2]。フィッティパルディとレガツォーニは、相手より1点でも多くポイントを獲得した方がタイトルを獲得できる。両者とも無得点の場合はシェクターが優勝しない限り、優勝回数の差(フィッティパルディ3勝、レガツォーニ1勝)によりフィッティパルディがチャンピオンを獲得する。シェクターは優勝が絶対条件で、フィッティパルディが6位以下、レガツォーニが5位以下にならない限りタイトルの可能性はない[注 3]
  • コンストラクターズタイトル争いは、マクラーレン(70点)がフェラーリ(65点)に5点差を付けており、マクラーレンは2位以上に入賞すれば無条件でタイトルを獲得できる[注 4][注 5]。フェラーリは3位以下に終わればタイトルの可能性が消滅する。
レース前
レガツォーニはレース前のテスト走行中に打撲を負い、フェラーリはイタリアから新しいシャシーを空輸する必要が生じた。シェクターも前戦カナダGPのクラッシュにより、新しいマシンが必要になった[W 5]

エントリー

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(特記のない出典:[W 6]

ロータスは本GPも76を使用するが、スポット参戦のティム・シェンケン[注 6]に託し、レギュラーの2人は72Eに専念する。

サーティースデレック・ベルに代わり、ジョセ・ドレム英語版が復帰した。

1967年ドライバーズチャンピオンを獲得したデニス・ハルムが本年をもって引退するため、本GPが最後のレースとなる[3]。また、タイヤメーカーのファイアストンも本年をもって撤退を表明し、翌1975年からグッドイヤーのワンメイクとなることが決まった[4][注 7]

エントリーリスト

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チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ジョン・プレイヤー・チーム・ロータス 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス 72E フォード DFV 3.0L V8 G
2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス
31 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン 76
イギリスの旗 エルフ・チーム・ティレル 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル 007 フォード DFV 3.0L V8 G
4 フランスの旗 パトリック・デパイユ
イギリスの旗 マールボロ・チーム・テキサコ 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン M23 フォード DFV 3.0L V8 G
6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム
イギリスの旗 ヤードレー・チーム・マクラーレン 33 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス
イギリスの旗 モーターレーシング・ディベロップメンツ Ltd 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム BT44 フォード DFV 3.0L V8 G
8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ
イギリスの旗 マーチ・エンジニアリング 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ 741 フォード DFV 3.0L V8 G
10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 312B3-74 フェラーリ 001/11 3.0L F12 G
12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ
イギリスの旗 チーム・モチュール・BRM 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM P201 BRM P200 3.0L V12 F
15 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン
アメリカ合衆国の旗 UOP・シャドウ・レーシングチーム 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ DN3 フォード DFV 3.0L V8 G
17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ
イギリスの旗 チーム・サーティース 18 フランスの旗 ジョセ・ドレム英語版 サーティース TS16 フォード DFV 3.0L V8 F
19 オーストリアの旗 ヘルムート・コイニク
イギリスの旗 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ FW フォード DFV 3.0L V8 F
21 フランスの旗 ジャック・ラフィット
イギリスの旗 チーム・エンサイン 22 イギリスの旗 マイク・ワイルズ エンサイン N174 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 ヘスケス・レーシング 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス 308 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 エンバシー・レーシング・ウィズ・グラハム・ヒル 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ T370 フォード DFV 3.0L V8 F
27 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
イギリスの旗 ジョン・ゴールディ・レーシング・ウィズ・ヘキサゴン 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム BT44 フォード DFV 3.0L V8 F
イギリスの旗 チェッカード・フラッグ 42 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ブラバム BT42 フォード DFV 3.0L V8 G
アメリカ合衆国の旗 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング 55 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ VPJ4 フォード DFV 3.0L V8 F
アメリカ合衆国の旗 ペンスキー・カーズ 66 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー ペンスキー PC1 フォード DFV 3.0L V8 G
出典: [W 7][W 8]

予選

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(特記のない出典:[5]

セッションは金曜日・土曜日の各2回、合計4回行われた。

金曜日の第1セッション開始直後、ジャン=ピエール・ベルトワーズが3速で派手に駆け上がる右カーブで大きくアウトに膨らみ、ガードレールに派手にクラッシュした。ベルトワーズは足首の捻挫と指の骨折で済んだが、マシンは決勝までに修復する見込みが立たないほどに大破してしまい、決勝の出走を断念せざるを得なかった。この年をもってベルトワーズはF1のシートを失ったため、これがベルトワーズにとって最後のレースとなった[W 9]。同じく第1セッションでパーネリマリオ・アンドレッティもクラッシュし、藁束を車一面に被ってしまった。このセッションはカルロス・ロイテマンが1分39秒26のトップタイムを叩き出し、他のブラバム勢やジョディー・シェクターが1分40秒台をマークした。

第2セッションはマシンの修復を終えたアンドレッティが1分39秒20のトップタイムを叩き出し、ワトキンズ・グレンのファンを大いに湧かせた。フェラーリ勢はオーバーステアに悩まされ、タイトル争いの渦中にいるクレイ・レガツォーニフラット12気筒エンジンのクランクケースに大きな穴を開けてしまった。一方、同じくタイトルを争うエマーソン・フィッティパルディはステディでスムーズな走りを見せ、1分39秒85で初日を終えた。

土曜日もブラバム勢が主導権を握り、ロイテマンが1分38秒台に入る1秒38秒87をマークし、前日のアンドレッティのトップタイム上回り、ポールポジションを獲得した。チームメイトのカルロス・パーチェも1分38秒87をマークした。前戦カナダGPからサイドラジエーターに変更されたヘスケス・308をドライブするジェームス・ハントがロイテマンに次ぐ1分38秒99を叩き出してフロントローに食い込んだ。

ロータス勢は精彩を欠き、ジャッキー・イクスは金曜日に出した1分40秒87がベストタイムとなり、ロニー・ピーターソンは1分41秒を上回ることができず、1分41秒19に終わった。

予選結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター タイム Grid
1 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 1:38.978 - 1
2 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 1:38.995 +0.017 2
3 55 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ-フォード 1:39.209 +0.231 3
4 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 1:39.284 +0.306 4
5 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 1:39.327 +0.349 5
6 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 1:39.478 +0.500 6
7 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 1:39.527 +0.549 7
8 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 1:39.538 +0.560 8
9 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 1:39.600 +0.622 9
10 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 1:40.317 +1.339 10
11 21 フランスの旗 ジャック・ラフィット イソ・マールボロ-フォード 1:40.597 +1.619 11
12 15 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン BRM 1:40.700 +1.722 12
13 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 1:40.700 +1.722 13
14 66 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー ペンスキー-フォード 1:40.834 +1.856 14
15 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 1:40.854 +1.876 15
16 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 1:40.876 +1.898 16
17 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:41.027 +2.049 17
18 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 1:41.188 +2.210 18
19 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 1:41.195 +2.217 19
20 33 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 1:41.300 +2.392 20
21 27 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ローラ-フォード 1:41.370 +2.392 21
22 22 イギリスの旗 マイク・ワイルズ エンサイン-フォード 1:41.500 +2.522 22
23 19 オーストリアの旗 ヘルムート・コイニク サーティース-フォード 1:41.763 +2.785 23
24 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ-フォード 1:41.901 +2.923 24
25 10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 1:42.031 +3.053 25
上位25台が決勝進出
26 18 フランスの旗 ジョセ・ドレム英語版 サーティース-フォード 1:42.031 +3.053 26 1
27 31 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン ロータス-フォード 1:42.243 +4.265 27 2
28 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 1:43.606 +4.628 DNQ
29 42 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ブラバム-フォード 1:43.801 +4.823 DNQ
30 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM No Time 3 DNQ
出典: [W 1][W 10]
追記
  • ^1 - ドレムは予選で上位25台に入れなかったが、決勝スタート直後にアンドレッティのマシンがトラブルを起こしたため、「第1リザーブドライバー」として最後尾グリッドからのスタートが認められた[6]
  • ^2 - シェンケンは予選で上位25台に入れず、ドレムに次ぐ「第2リザーブドライバー」となっていたが、アンドレッティのマシントラブルの際に最後尾グリッドから違法にスタートした[6]
  • ^3 - ベルトワーズは初日1回目のセッションでアクシデントに見舞われ、タイムを記録できなかった[7]

決勝

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(特記のない出典:[8]

レース開始前
決勝日の朝に行われたウォームアップで、ジェームス・ハントの燃料システム、ジャック・ラフィットのホイールスタッドが割れ、マリオ・アンドレッティの電気系統と、様々なトラブルが発生した。サポートレースのフォーミュラB[注 8]のスタート直後にコースの反対側で黒煙が上がった。この黒煙は事故ではなく、エマーソン・フィッティパルディの応援団がブラジルからチャーターしたグレイハウンドバスが駐車場で炎上したことによるものだった。
レース開始から9周目まで
予選を通過した25台と、スタートできない場合に備えたリザーブドライバー2台(ジョセ・ドレム英語版ティム・シェンケン)がその後方にマシンを並べた。この2台はトラブルがなくスタートすれば、即座にピットに戻されることになっていた。
決勝は予定より25分遅れた15時40分にスタートした。ポールポジションからスタートしたカルロス・ロイテマンがハントを従えて好スタートを決めたが、3番手スタートのマリオ・アンドレッティがストップしてしまう。これにより、ドレムは26番手からのスタートが認められたが、同時にシェンケンも走り出してしまった。アンドレッティはメカニックの手によりトラブルが解決し、ロイテマンが2周を消化したところでスタートできたが、5周目に「ピットエリア以外でのメカニックの手による作業」により黒旗が出されて失格となった。同じ周に出走資格のないシェンケンにも黒旗が出された。
レースはロイテマンがリードし、ハント、ニキ・ラウダカルロス・パーチェジョディー・シェクター、フィッティパルディ、クレイ・レガツォーニと続く。2周目、引退を決意していたデニス・ハルムがエンジントラブルでリタイアし、最後のレースはあっけなく終わった。3周目、ラウダがパーチェを抜いて3位に浮上した。フィッティパルディとタイトルを争うレガツォーニは極端なアンダーステアに悩まされて順位を落としていき、タイトル獲得の可能性は急速にしぼんでいく。6周目、ジャッキー・イクスアームコバリアに接触してサスペンションを壊しリタイアした。
10周目:ヘルムート・コイニクの事故死
23番手からスタートしたコイニクは10周目[W 6]、コースに新たに設置された上りの右カーブで一直線に飛び出してコースアウトし、コースとガードレールの間に設置されていた二重のアームコバリアをなぎ倒し、3段組となっていたガードレールの下2段を突き破った際に首が切断されてしまい即死した。コースアウトの原因はスロットルかブレーキの故障とみられる[9]。この年予選落ちの常連となっていたサーティースを駆り、前戦カナダGPでF1デビューを果たしてわずか2戦目[注 9]の悲劇となってしまった[9]。アメリカGPにおいては前年フランソワ・セベールに続く2年連続の事故死であり、本年のF1ドライバーの事故死は第3戦南アフリカGPを前にしたテスト走行中のピーター・レブソン以来2人目である[9]。今回のアクシデントを機にスチール製ガードレールの危険性が再考され、以後はキャッチネットの設置が広がるようになった[9]
11周目からレース終了まで
フィッティパルディが1974年のドライバーズタイトルを獲得した。
コイニクの事故後もレースは続行され、ハントがロイテマンを追い回し続ける。12周目、パーチェの後方につけていたラウダの速度が鈍りだす。チームメイトのレガツォーニのアンダーステアはさらにひどくなり、15周目にフロントタイヤを交換するためにピットインした。コースに復帰する時には20位まで順位を落としてしまった。それでもアンダーステアは収まらず、むしろ酷くなる一方で25周目に再びピットイン。これでタイトル獲得は絶望的な状況となった。さらに悪いことに28周目、ピット直後の右カーブでドライビングミスを犯し、後ろを走るヨッヘン・マスとともにコースアウトしてしまった。2台ともダメージはなくコースに復帰した。ロニー・ピーターソンロータス・72Eもアンダーステアに悩まされ始めピットインする。その際に右のエキゾーストパイプが1本なくなっていたのに気づいたが、取り付け直すのは困難であったため、そのままコースに送り返す。
ロイテマンは2位以下の大きく差をつけて独走していく。2位のハントはリアブレーキにわずかな異常を感じ始め次第に速度を落とし、パーチェが背後に迫ってくる。ハントのトラブルはブレーキだけにとどまらず、右コーナーで燃料が底をつき、エンジンも咳き込みだしてしまう。54周目、パーチェがハントをオーバーテイクして2位に浮上し、ブラバムの1-2体制ができあがり、そのまま1-2フィニッシュを決めた。1972年バーニー・エクレストンがチームを引き継いでからは初めての1-2フィニッシュであった。ハントは息も絶え絶えな状況で3位表彰台を辛うじて守りきった。その直後にフィニッシュした4位のフィッティパルディはレガツォーニに3点差を付け、2年ぶり2度目のドライバーズタイトルを獲得するとともに、マクラーレンに初のコンストラクターズタイトルをもたらした。これは1970年に亡くなった創設者のブルース・マクラーレンの悲願が叶った瞬間でもあった。

レース結果

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順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 Grid Pts.
1 7 アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン ブラバム-フォード 59 1:40:21.439 1 9
2 8 ブラジルの旗 カルロス・パーチェ ブラバム-フォード 59 +10.735 4 6
3 24 イギリスの旗 ジェームス・ハント ヘスケス-フォード 59 +1:10.384 2 4
4 5 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 59 +1:17.753 8 3
5 28 イギリスの旗 ジョン・ワトソン ブラバム-フォード 59 +1:25.804 7 2
6 4 フランスの旗 パトリック・デパイユ ティレル-フォード 59 +1:27.506 13 1
7 33 西ドイツの旗 ヨッヘン・マス マクラーレン-フォード 59 +1:30.012 20
8 26 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ-フォード 58 +1 Lap 24
9 15 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン BRM 57 +2 Laps 12
10 17 フランスの旗 ジャン=ピエール・ジャリエ シャドウ-フォード 57 +2 Laps 10
11 11 スイスの旗 クレイ・レガツォーニ フェラーリ 55 +4 Laps 9
12 27 西ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン ローラ-フォード 54 +5 Laps 21
Ret 1 スウェーデンの旗 ロニー・ピーターソン ロータス-フォード 52 燃料システム 19
NC 22 イギリスの旗 マイク・ワイルズ エンサイン-フォード 50 規定周回数不足 22
NC 16 イギリスの旗 トム・プライス シャドウ-フォード 47 規定周回数不足 18
Ret 3 南アフリカの旗 ジョディー・シェクター ティレル-フォード 44 燃料システム 6
Ret 20 イタリアの旗 アルトゥーロ・メルツァリオ イソ・マールボロ-フォード 43 電気系統 15
Ret 12 オーストリアの旗 ニキ・ラウダ フェラーリ 38 サスペンション 5
Ret 21 フランスの旗 ジャック・ラフィット イソ・マールボロ-フォード 31 エンジン 11
Ret 66 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー ペンスキー-フォード 27 サスペンション 14
Ret 18 フランスの旗 ジョセ・ドレム英語版 サーティース-フォード 25 コイニクの事故後撤退 26
Ret 10 イタリアの旗 ヴィットリオ・ブランビラ マーチ-フォード 21 燃料システム 25
Ret 19 オーストリアの旗 ヘルムート・コイニク サーティース-フォード 9 事故死 23
Ret 2 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス ロータス-フォード 7 サスペンション 16
DSQ 31 オーストラリアの旗 ティム・シェンケン ロータス-フォード 6 失格(無資格出走) 27
DSQ 55 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ パーネリ-フォード 4 失格(アウトサイド・アシスタント) 3
Ret 6 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 4 エンジン 17
DNQ 9 西ドイツの旗 ハンス=ヨアヒム・スタック マーチ-フォード 予選不通過
DNQ 42 イギリスの旗 イアン・アシュレイ ブラバム-フォード 予選不通過
DNQ 14 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ BRM 予選でアクシデント[7]
優勝スピード(勝者ロイテマンの平均速度):191.714 km/h
ファステストラップカルロス・パーチェ - 1:40.608(54周目)[W 2]
出典: [W 12][W 3][W 10][1]
ラップリーダー
ドライバー 周回数 リードラップ
カルロス・ロイテマン 59周 1-59
出典: [W 13]
  • 太字は最多ラップリーダー

主な記録

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(特記のない出典:[W 6]

ドライバー

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コンストラクター

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エンジン

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最終ランキング

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  • : トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。

脚注

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注釈

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  1. 1974年のポイントシステムは、上位6台に9-6-4-3-2-1の各点が与えられ、前半8戦のうち7戦と後半7戦のうち6戦の合計が有効ポイントとなっていた。
  2. 2025年終了時点でドライバーズタイトル争いが同点で最終戦を迎えたケースは、この年と2021年マックス・フェルスタッペンルイス・ハミルトン)の2例しかない。
  3. フィッティパルディが5位の場合は同点となるが、1-3位までは同じ回数であり、4位の回数(フィッティパルディ2回、シェクター1回)でフィッティパルディが上回るためタイトルは獲得できない。レガツォーニが5位の場合、優勝回数の差(シェクター3勝、レガツォーニ1回)でシェクターが上回る。
  4. 1974年のコンストラクターズポイントについては、先述した各ポイントのうちワークスチーム、プライベートチームを問わず、各レースの最上位入賞者のポイントのみ付与されていた。
  5. マクラーレンが3位、フェラーリが優勝した場合は同点となるが、この場合は優勝回数が4回で並び、2位の回数がマクラーレン3回、フェラーリ5回となるため、フェラーリがタイトルを獲得する。
  6. イタリアGPまでトロージャン英語版に在籍していた。
  7. ファイアストンの支援を受けて前戦カナダGPから参戦を開始したパーネリのみ、1975年の開幕戦アルゼンチンGPは在庫品のタイヤを使用したが、次戦ブラジルGP以降グッドイヤーに変更したことにより、グッドイヤーのワンメイクとなっている。
  8. 1965年から1978年までスポーツカークラブ・オブ・アメリカが主催していたフォーミュラカーレース。現在のフォーミュラ・アトランティックの前身にあたる[W 11]
  9. これ以前に母国GPとなる第12戦オーストリアGPスクーデリア・フィノット英語版からブラバム・BT42を走らせたが予選落ちとなっている。
  10. 1976年のシーズン終了後にチームをウォルター・ウルフに譲渡し、ウルフに改称された。チームの譲渡から間もなく、フランク・ウィリアムズは現在も活動している「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を改めて立ち上げたため、全くの別組織である。

出典

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書籍
  1. 1 2 (林信次 1993, p. 129)
  2. (林信次 1993, pp. 76, 79)
  3. (AUTOSPORT 156, p. 17)
  4. (林信次 1993, p. 98)
  5. (AUTOSPORT 156, pp. 12–14)
  6. 1 2 (AUTOSPORT 156, p. 14)
  7. 1 2 (AUTOSPORT 156, p. 13)
  8. (AUTOSPORT 156, pp. 14–16)
  9. 1 2 3 4 (林信次 1993, p. 82)
ウェブサイト
  1. 1 2 USA 1974 - Qualifications (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  2. 1 2 USA 1974 - Best laps (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  3. 1 2 USA 1974 - Result (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  4. F1史上47年ぶり、同一得点で最終戦…フェルスタッペンがハミルトンに敗北してなお戴冠する条件”. Formula1-Data (2021年12月7日). 2025年12月25日閲覧。
  5. United States GP, 1974 (英語). grandprix.com. 2023年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月25日閲覧。
  6. 1 2 3 USA 1974”. STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  7. USA 1974 - Race entrants (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  8. 1974 United States Grand Prix Entry list (英語). RacingSportsCars. 2025年12月25日閲覧。
  9. 1 2 戦績:J.P.ベルトワーズ”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  10. 1 2 USA 1974 - Starting grid (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  11. Formula B (1965-1978) (英語). oldracingcars.com. 2025年12月25日閲覧。
  12. 1974 United States Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月25日閲覧。
  13. USA 1974 - Laps led (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
  14. ドライバーチャンピオン一覧”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  15. 戦績:J.ドレム”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  16. 戦績:M.ワイルズ”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  17. 戦績:D.ハルム”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  18. 戦績:H.コイニク”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  19. 戦績:T.シェンケン”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  20. 1 2 コンストラクタチャンピオン一覧”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
  21. 1 2 FIA Formula One World Championship 1974 United States Grand Prix Standings (英語). Motorsport Stats. 2025年12月25日閲覧。

参照文献

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  • Wikipedia英語版 - en:1974 United States Grand Prix(2025年8月1日 23:23:10(UTC))
  • 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8ASB:FZS19931201 
  • 赤井邦彦「UNITED STATTS GRAND PRIX」『AUTO SPORT No.156 1974年12月1日号』、三栄書房(現:三栄)、1974年、11-17頁、ASB:AST19741201 

関連項目

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外部リンク

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前戦
1974年カナダグランプリ
FIA F1世界選手権
1974年シーズン
前回開催
1973年アメリカグランプリ
アメリカ合衆国の旗 アメリカグランプリ 次回開催
1975年アメリカグランプリ