1974年アメリカグランプリ
| レース詳細 | |||
|---|---|---|---|
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| 日程 | 1974年シーズン第15戦 | ||
| 決勝開催日 | 10月6日 | ||
| 開催地 |
ワトキンズ・グレン・グランプリコース | ||
| コース長 | 5.435 km (3.377 mi) | ||
| レース距離 | 59周 320.665 km (199.252 mi) | ||
| 決勝日天候 | 晴(ドライ)[1] | ||
| ポールポジション | |||
| ドライバー | |||
| タイム | 1:38.978[W 1] | ||
| ファステストラップ | |||
| ドライバー |
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| タイム | 1:40.608(54周目)[W 2] | ||
| 決勝順位 | |||
| 優勝 |
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| 2位 | |||
| 3位 | |||
1974年アメリカグランプリ(1974ねんアメリカグランプリ、英: 1974 United States Grand Prix、正式名称: XVII United States Grand Prix)は、1974年のF1世界選手権の第15戦(最終戦)として、1974年10月6日にワトキンズ・グレン・グランプリコースで開催された自動車レース(アメリカグランプリ)。
概要
[編集]59周で行われたレースは、ポールポジションからスタートしたブラバムのカルロス・ロイテマンが優勝した。同じくブラバムのカルロス・パーチェが2位、ヘスケスのジェームス・ハントが3位でフィニッシュした。
最終戦までもつれ込んだドライバーズタイトルとコンストラクターズタイトル争いは、マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディが4位に入賞し、フィッティパルディが2年ぶり2回目のドライバーズタイトルを獲得し、マクラーレンに初のコンストラクターズタイトルをもたらした。
サーティースのヘルムート・コイニクがレース中の事故により死亡した。
背景
[編集]- チャンピオンシップの行方
- 最終戦のため、ドライバーズタイトル及びコンストラクターズタイトルが決定する[注 1]。
- ドライバーズタイトル争いは、52点で並ぶエマーソン・フィッティパルディとクレイ・レガツォーニ、45点のジョディー・シェクターの3人に絞られた[2]。ドライバーズタイトル争いが同点で最終戦を迎えたのはF1世界選手権の歴史上初である[W 4][注 2]。フィッティパルディとレガツォーニは、相手より1点でも多くポイントを獲得した方がタイトルを獲得できる。両者とも無得点の場合はシェクターが優勝しない限り、優勝回数の差(フィッティパルディ3勝、レガツォーニ1勝)によりフィッティパルディがチャンピオンを獲得する。シェクターは優勝が絶対条件で、フィッティパルディが6位以下、レガツォーニが5位以下にならない限りタイトルの可能性はない[注 3]。
- コンストラクターズタイトル争いは、マクラーレン(70点)がフェラーリ(65点)に5点差を付けており、マクラーレンは2位以上に入賞すれば無条件でタイトルを獲得できる[注 4][注 5]。フェラーリは3位以下に終わればタイトルの可能性が消滅する。
エントリー
[編集](特記のない出典:[W 6])
ロータスは本GPも76を使用するが、スポット参戦のティム・シェンケン[注 6]に託し、レギュラーの2人は72Eに専念する。
サーティースはデレック・ベルに代わり、ジョセ・ドレムが復帰した。
1967年にドライバーズチャンピオンを獲得したデニス・ハルムが本年をもって引退するため、本GPが最後のレースとなる[3]。また、タイヤメーカーのファイアストンも本年をもって撤退を表明し、翌1975年からグッドイヤーのワンメイクとなることが決まった[4][注 7]。
エントリーリスト
[編集]予選
[編集](特記のない出典:[5])
セッションは金曜日・土曜日の各2回、合計4回行われた。
金曜日の第1セッション開始直後、ジャン=ピエール・ベルトワーズが3速で派手に駆け上がる右カーブで大きくアウトに膨らみ、ガードレールに派手にクラッシュした。ベルトワーズは足首の捻挫と指の骨折で済んだが、マシンは決勝までに修復する見込みが立たないほどに大破してしまい、決勝の出走を断念せざるを得なかった。この年をもってベルトワーズはF1のシートを失ったため、これがベルトワーズにとって最後のレースとなった[W 9]。同じく第1セッションでパーネリのマリオ・アンドレッティもクラッシュし、藁束を車一面に被ってしまった。このセッションはカルロス・ロイテマンが1分39秒26のトップタイムを叩き出し、他のブラバム勢やジョディー・シェクターが1分40秒台をマークした。
第2セッションはマシンの修復を終えたアンドレッティが1分39秒20のトップタイムを叩き出し、ワトキンズ・グレンのファンを大いに湧かせた。フェラーリ勢はオーバーステアに悩まされ、タイトル争いの渦中にいるクレイ・レガツォーニはフラット12気筒エンジンのクランクケースに大きな穴を開けてしまった。一方、同じくタイトルを争うエマーソン・フィッティパルディはステディでスムーズな走りを見せ、1分39秒85で初日を終えた。
土曜日もブラバム勢が主導権を握り、ロイテマンが1分38秒台に入る1秒38秒87をマークし、前日のアンドレッティのトップタイム上回り、ポールポジションを獲得した。チームメイトのカルロス・パーチェも1分38秒87をマークした。前戦カナダGPからサイドラジエーターに変更されたヘスケス・308をドライブするジェームス・ハントがロイテマンに次ぐ1分38秒99を叩き出してフロントローに食い込んだ。
ロータス勢は精彩を欠き、ジャッキー・イクスは金曜日に出した1分40秒87がベストタイムとなり、ロニー・ピーターソンは1分41秒を上回ることができず、1分41秒19に終わった。
予選結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | Grid |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 7 | ブラバム-フォード | 1:38.978 | - | 1 | |
| 2 | 24 | ヘスケス-フォード | 1:38.995 | +0.017 | 2 | |
| 3 | 55 | パーネリ-フォード | 1:39.209 | +0.231 | 3 | |
| 4 | 8 | ブラバム-フォード | 1:39.284 | +0.306 | 4 | |
| 5 | 12 | フェラーリ | 1:39.327 | +0.349 | 5 | |
| 6 | 3 | ティレル-フォード | 1:39.478 | +0.500 | 6 | |
| 7 | 28 | ブラバム-フォード | 1:39.527 | +0.549 | 7 | |
| 8 | 5 | マクラーレン-フォード | 1:39.538 | +0.560 | 8 | |
| 9 | 11 | フェラーリ | 1:39.600 | +0.622 | 9 | |
| 10 | 17 | シャドウ-フォード | 1:40.317 | +1.339 | 10 | |
| 11 | 21 | イソ・マールボロ-フォード | 1:40.597 | +1.619 | 11 | |
| 12 | 15 | BRM | 1:40.700 | +1.722 | 12 | |
| 13 | 4 | ティレル-フォード | 1:40.700 | +1.722 | 13 | |
| 14 | 66 | ペンスキー-フォード | 1:40.834 | +1.856 | 14 | |
| 15 | 20 | イソ・マールボロ-フォード | 1:40.854 | +1.876 | 15 | |
| 16 | 2 | ロータス-フォード | 1:40.876 | +1.898 | 16 | |
| 17 | 6 | マクラーレン-フォード | 1:41.027 | +2.049 | 17 | |
| 18 | 16 | シャドウ-フォード | 1:41.188 | +2.210 | 18 | |
| 19 | 1 | ロータス-フォード | 1:41.195 | +2.217 | 19 | |
| 20 | 33 | マクラーレン-フォード | 1:41.300 | +2.392 | 20 | |
| 21 | 27 | ローラ-フォード | 1:41.370 | +2.392 | 21 | |
| 22 | 22 | エンサイン-フォード | 1:41.500 | +2.522 | 22 | |
| 23 | 19 | サーティース-フォード | 1:41.763 | +2.785 | 23 | |
| 24 | 26 | ローラ-フォード | 1:41.901 | +2.923 | 24 | |
| 25 | 10 | マーチ-フォード | 1:42.031 | +3.053 | 25 | |
| 上位25台が決勝進出 | ||||||
| 26 | 18 | サーティース-フォード | 1:42.031 | +3.053 | 26 1 | |
| 27 | 31 | ロータス-フォード | 1:42.243 | +4.265 | 27 2 | |
| 28 | 9 | マーチ-フォード | 1:43.606 | +4.628 | DNQ | |
| 29 | 42 | ブラバム-フォード | 1:43.801 | +4.823 | DNQ | |
| 30 | 14 | BRM | No Time 3 | — | DNQ | |
| 出典: [W 1][W 10] | ||||||
- 追記
決勝
[編集](特記のない出典:[8])
- レース開始前
- 決勝日の朝に行われたウォームアップで、ジェームス・ハントの燃料システム、ジャック・ラフィットのホイールスタッドが割れ、マリオ・アンドレッティの電気系統と、様々なトラブルが発生した。サポートレースのフォーミュラB[注 8]のスタート直後にコースの反対側で黒煙が上がった。この黒煙は事故ではなく、エマーソン・フィッティパルディの応援団がブラジルからチャーターしたグレイハウンドバスが駐車場で炎上したことによるものだった。
- レース開始から9周目まで
- 予選を通過した25台と、スタートできない場合に備えたリザーブドライバー2台(ジョセ・ドレムとティム・シェンケン)がその後方にマシンを並べた。この2台はトラブルがなくスタートすれば、即座にピットに戻されることになっていた。
- 決勝は予定より25分遅れた15時40分にスタートした。ポールポジションからスタートしたカルロス・ロイテマンがハントを従えて好スタートを決めたが、3番手スタートのマリオ・アンドレッティがストップしてしまう。これにより、ドレムは26番手からのスタートが認められたが、同時にシェンケンも走り出してしまった。アンドレッティはメカニックの手によりトラブルが解決し、ロイテマンが2周を消化したところでスタートできたが、5周目に「ピットエリア以外でのメカニックの手による作業」により黒旗が出されて失格となった。同じ周に出走資格のないシェンケンにも黒旗が出された。
- レースはロイテマンがリードし、ハント、ニキ・ラウダ、カルロス・パーチェ、ジョディー・シェクター、フィッティパルディ、クレイ・レガツォーニと続く。2周目、引退を決意していたデニス・ハルムがエンジントラブルでリタイアし、最後のレースはあっけなく終わった。3周目、ラウダがパーチェを抜いて3位に浮上した。フィッティパルディとタイトルを争うレガツォーニは極端なアンダーステアに悩まされて順位を落としていき、タイトル獲得の可能性は急速にしぼんでいく。6周目、ジャッキー・イクスがアームコバリアに接触してサスペンションを壊しリタイアした。
- 10周目:ヘルムート・コイニクの事故死
- 23番手からスタートしたコイニクは10周目[W 6]、コースに新たに設置された上りの右カーブで一直線に飛び出してコースアウトし、コースとガードレールの間に設置されていた二重のアームコバリアをなぎ倒し、3段組となっていたガードレールの下2段を突き破った際に首が切断されてしまい即死した。コースアウトの原因はスロットルかブレーキの故障とみられる[9]。この年予選落ちの常連となっていたサーティースを駆り、前戦カナダGPでF1デビューを果たしてわずか2戦目[注 9]の悲劇となってしまった[9]。アメリカGPにおいては前年のフランソワ・セベールに続く2年連続の事故死であり、本年のF1ドライバーの事故死は第3戦南アフリカGPを前にしたテスト走行中のピーター・レブソン以来2人目である[9]。今回のアクシデントを機にスチール製ガードレールの危険性が再考され、以後はキャッチネットの設置が広がるようになった[9]。
- 11周目からレース終了まで

- コイニクの事故後もレースは続行され、ハントがロイテマンを追い回し続ける。12周目、パーチェの後方につけていたラウダの速度が鈍りだす。チームメイトのレガツォーニのアンダーステアはさらにひどくなり、15周目にフロントタイヤを交換するためにピットインした。コースに復帰する時には20位まで順位を落としてしまった。それでもアンダーステアは収まらず、むしろ酷くなる一方で25周目に再びピットイン。これでタイトル獲得は絶望的な状況となった。さらに悪いことに28周目、ピット直後の右カーブでドライビングミスを犯し、後ろを走るヨッヘン・マスとともにコースアウトしてしまった。2台ともダメージはなくコースに復帰した。ロニー・ピーターソンのロータス・72Eもアンダーステアに悩まされ始めピットインする。その際に右のエキゾーストパイプが1本なくなっていたのに気づいたが、取り付け直すのは困難であったため、そのままコースに送り返す。
- ロイテマンは2位以下の大きく差をつけて独走していく。2位のハントはリアブレーキにわずかな異常を感じ始め次第に速度を落とし、パーチェが背後に迫ってくる。ハントのトラブルはブレーキだけにとどまらず、右コーナーで燃料が底をつき、エンジンも咳き込みだしてしまう。54周目、パーチェがハントをオーバーテイクして2位に浮上し、ブラバムの1-2体制ができあがり、そのまま1-2フィニッシュを決めた。1972年にバーニー・エクレストンがチームを引き継いでからは初めての1-2フィニッシュであった。ハントは息も絶え絶えな状況で3位表彰台を辛うじて守りきった。その直後にフィニッシュした4位のフィッティパルディはレガツォーニに3点差を付け、2年ぶり2度目のドライバーズタイトルを獲得するとともに、マクラーレンに初のコンストラクターズタイトルをもたらした。これは1970年に亡くなった創設者のブルース・マクラーレンの悲願が叶った瞬間でもあった。
レース結果
[編集]| 順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | Grid | Pts. |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 7 | ブラバム-フォード | 59 | 1:40:21.439 | 1 | 9 | |
| 2 | 8 | ブラバム-フォード | 59 | +10.735 | 4 | 6 | |
| 3 | 24 | ヘスケス-フォード | 59 | +1:10.384 | 2 | 4 | |
| 4 | 5 | マクラーレン-フォード | 59 | +1:17.753 | 8 | 3 | |
| 5 | 28 | ブラバム-フォード | 59 | +1:25.804 | 7 | 2 | |
| 6 | 4 | ティレル-フォード | 59 | +1:27.506 | 13 | 1 | |
| 7 | 33 | マクラーレン-フォード | 59 | +1:30.012 | 20 | ||
| 8 | 26 | ローラ-フォード | 58 | +1 Lap | 24 | ||
| 9 | 15 | BRM | 57 | +2 Laps | 12 | ||
| 10 | 17 | シャドウ-フォード | 57 | +2 Laps | 10 | ||
| 11 | 11 | フェラーリ | 55 | +4 Laps | 9 | ||
| 12 | 27 | ローラ-フォード | 54 | +5 Laps | 21 | ||
| Ret | 1 | ロータス-フォード | 52 | 燃料システム | 19 | ||
| NC | 22 | エンサイン-フォード | 50 | 規定周回数不足 | 22 | ||
| NC | 16 | シャドウ-フォード | 47 | 規定周回数不足 | 18 | ||
| Ret | 3 | ティレル-フォード | 44 | 燃料システム | 6 | ||
| Ret | 20 | イソ・マールボロ-フォード | 43 | 電気系統 | 15 | ||
| Ret | 12 | フェラーリ | 38 | サスペンション | 5 | ||
| Ret | 21 | イソ・マールボロ-フォード | 31 | エンジン | 11 | ||
| Ret | 66 | ペンスキー-フォード | 27 | サスペンション | 14 | ||
| Ret | 18 | サーティース-フォード | 25 | コイニクの事故後撤退 | 26 | ||
| Ret | 10 | マーチ-フォード | 21 | 燃料システム | 25 | ||
| Ret | 19 | サーティース-フォード | 9 | 事故死 | 23 | ||
| Ret | 2 | ロータス-フォード | 7 | サスペンション | 16 | ||
| DSQ | 31 | ロータス-フォード | 6 | 失格(無資格出走) | 27 | ||
| DSQ | 55 | パーネリ-フォード | 4 | 失格(アウトサイド・アシスタント) | 3 | ||
| Ret | 6 | マクラーレン-フォード | 4 | エンジン | 17 | ||
| DNQ | 9 | マーチ-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 42 | ブラバム-フォード | 予選不通過 | ||||
| DNQ | 14 | BRM | 予選でアクシデント[7] | ||||
| 優勝スピード(勝者ロイテマンの平均速度):191.714 km/h | |||||||
| ファステストラップ:カルロス・パーチェ - 1:40.608(54周目)[W 2] | |||||||
| 出典: [W 12][W 3][W 10][1] | |||||||
| ドライバー | 周回数 | リードラップ |
|---|---|---|
| カルロス・ロイテマン | 59周 | 1-59 |
| 出典: [W 13] | ||
- 太字は最多ラップリーダー
主な記録
[編集](特記のない出典:[W 6])
ドライバー
[編集]- 2回目のドライバーズチャンピオン:エマーソン・フィッティパルディ - 1972年以来2年ぶり[W 14]
- 初出走:
- 最終エントリー / 最終出走:
- 最終エントリー:ジャン=ピエール・ベルトワーズ[W 9]
コンストラクター
[編集]エンジン
[編集]- 7年連続7回目のコンストラクターズチャンピオン:フォード・コスワース[W 20]
- 70回目のファステストラップ:フォード・コスワース
最終ランキング
[編集]コンストラクターズ・チャンピオンシップの詳細については「1974年のF1世界選手権 § 1974年のコンストラクターズランキング」を参照
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- 注: トップ5のみ表示。有効ポイントは前半8戦のうちベスト7戦と後半7戦のうちベスト6戦の合計。ポイントは有効ポイント、括弧内は総獲得ポイント。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 1974年のポイントシステムは、上位6台に9-6-4-3-2-1の各点が与えられ、前半8戦のうち7戦と後半7戦のうち6戦の合計が有効ポイントとなっていた。
- ↑ 2025年終了時点でドライバーズタイトル争いが同点で最終戦を迎えたケースは、この年と2021年(マックス・フェルスタッペンとルイス・ハミルトン)の2例しかない。
- ↑ フィッティパルディが5位の場合は同点となるが、1-3位までは同じ回数であり、4位の回数(フィッティパルディ2回、シェクター1回)でフィッティパルディが上回るためタイトルは獲得できない。レガツォーニが5位の場合、優勝回数の差(シェクター3勝、レガツォーニ1回)でシェクターが上回る。
- ↑ 1974年のコンストラクターズポイントについては、先述した各ポイントのうちワークスチーム、プライベートチームを問わず、各レースの最上位入賞者のポイントのみ付与されていた。
- ↑ マクラーレンが3位、フェラーリが優勝した場合は同点となるが、この場合は優勝回数が4回で並び、2位の回数がマクラーレン3回、フェラーリ5回となるため、フェラーリがタイトルを獲得する。
- ↑ イタリアGPまでトロージャンに在籍していた。
- ↑ ファイアストンの支援を受けて前戦カナダGPから参戦を開始したパーネリのみ、1975年の開幕戦アルゼンチンGPは在庫品のタイヤを使用したが、次戦ブラジルGP以降グッドイヤーに変更したことにより、グッドイヤーのワンメイクとなっている。
- ↑ 1965年から1978年までスポーツカークラブ・オブ・アメリカが主催していたフォーミュラカーレース。現在のフォーミュラ・アトランティックの前身にあたる[W 11]。
- ↑ これ以前に母国GPとなる第12戦オーストリアGPでスクーデリア・フィノットからブラバム・BT42を走らせたが予選落ちとなっている。
- ↑ 1976年のシーズン終了後にチームをウォルター・ウルフに譲渡し、ウルフに改称された。チームの譲渡から間もなく、フランク・ウィリアムズは現在も活動している「ウィリアムズ・グランプリ・エンジニアリング」を改めて立ち上げたため、全くの別組織である。
出典
[編集]- 書籍
- 1 2 (林信次 1993, p. 129)
- ↑ (林信次 1993, pp. 76, 79)
- ↑ (AUTOSPORT 156, p. 17)
- ↑ (林信次 1993, p. 98)
- ↑ (AUTOSPORT 156, pp. 12–14)
- 1 2 (AUTOSPORT 156, p. 14)
- 1 2 (AUTOSPORT 156, p. 13)
- ↑ (AUTOSPORT 156, pp. 14–16)
- 1 2 3 4 (林信次 1993, p. 82)
- ウェブサイト
- 1 2 “USA 1974 - Qualifications” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “USA 1974 - Best laps” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “USA 1974 - Result” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “F1史上47年ぶり、同一得点で最終戦…フェルスタッペンがハミルトンに敗北してなお戴冠する条件”. Formula1-Data (2021年12月7日). 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “United States GP, 1974” (英語). grandprix.com. 2023年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月25日閲覧。
- 1 2 3 “USA 1974”. STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “USA 1974 - Race entrants” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “1974 United States Grand Prix Entry list” (英語). RacingSportsCars. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “戦績:J.P.ベルトワーズ”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “USA 1974 - Starting grid” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “Formula B (1965-1978)” (英語). oldracingcars.com. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “1974 United States Grand Prix”. formula1.com. 2015年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月25日閲覧。
- ↑ “USA 1974 - Laps led” (英語). STATS F1. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “ドライバーチャンピオン一覧”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “戦績:J.ドレム”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “戦績:M.ワイルズ”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “戦績:D.ハルム”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “戦績:H.コイニク”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- ↑ “戦績:T.シェンケン”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “コンストラクタチャンピオン一覧”. F1 DataWeb. 2025年12月25日閲覧。
- 1 2 “FIA Formula One World Championship 1974 United States Grand Prix Standings” (英語). Motorsport Stats. 2025年12月25日閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1974 United States Grand Prix(2025年8月1日 23:23:10(UTC))
- 林信次『F1全史 1971-1975 [名手スチュワートの退場/若手精鋭たちの新時代]』ニューズ出版(現:三栄)、1993年。ISBN 4-938495-05-8。ASB:FZS19931201。
- 赤井邦彦「UNITED STATTS GRAND PRIX」『AUTO SPORT No.156 1974年12月1日号』、三栄書房(現:三栄)、1974年、11-17頁、ASB:AST19741201。
関連項目
[編集]- F1死亡事故一覧
- 2021年アブダビグランプリ - 本GP同様、2人のドライバーが同点で最終戦を迎えたレース。
外部リンク
[編集]- USA 1974 - STATS F1(レースレポートのみフランス語。他は英語)
- United States GP, 1974 - grandprix.com(英語、2023年1月28日時点のアーカイブ)
- 1974年第15戦アメリカグランプリの結果 - F1 DataWeb
| 前戦 1974年カナダグランプリ |
FIA F1世界選手権 1974年シーズン |
|
| 前回開催 1973年アメリカグランプリ |
次回開催 1975年アメリカグランプリ |