1953年の近鉄パールス

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1953年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ7位
48勝69敗3分 勝率.410[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 芥田武夫
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1953年の近鉄パールスでは、1953年シーズンについての近鉄パールスの動向をまとめる。

この年の近鉄パールスは、芥田武夫監督の1年目のシーズンである。

概要[編集]

1950年から3年間指揮をとった藤田省三前監督に代わって朝日放送の野球解説者だった芥田武夫がこの年から新監督に就任。芥田新監督はプロでの実績がなく、手腕を疑問視する声も上がった。しかし、過去3年間で失敗してきた開幕ダッシュに成功すると、8月までは首位の大映と7ゲーム差の4位でAクラス戦線に踏みとどまった。9月以降は大きく負け越して東急に抜かれて4年連続の最下位に転落するが鈴木武関根潤三などの若手選手が活躍したのに加えて借金が前年より半減したことが翌年のAクラス入り(パ・リーグはこの年まで7球団で、翌年から高橋ユニオンズが新規加盟したことにより偶数球団となった)につながった。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 日下隆
2 鈴木武
3 五井孝蔵
4 甲斐友治
5 杉山光平
6 鬼頭政一
7 小田野柏
8 東口清美
9 関根潤三
1953年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 毎日 -- 南海 -- 南海 -- 大映 -- 大映 -- 南海 --
2位 近鉄 1.0 大映 0.5 大映 南海 0.5 阪急 0.5 阪急 4.0
3位 南海 2.0 近鉄 1.5 近鉄 1.0 阪急 2.0 南海 4.0 大映 6.5
4位 西鉄 4.0 毎日 3.0 毎日 1.5 近鉄 5.0 近鉄 7.0 西鉄 13.5
5位 阪急 4.0 阪急 5.0 阪急 4.0 毎日 7.5 毎日 8.0 毎日 14.5
6位 大映 4.5 西鉄 7.0 西鉄 6.5 西鉄 11.5 西鉄 12.5 東急 20.0
7位 東急 5.5 東急 7.5 東急 8.0 東急 12.0 東急 13.5 近鉄 22.0


1953年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 南海ホークス 71 48 1 .597 ---
2位 阪急ブレーブス 67 52 1 .563 4.0
3位 大映スターズ 63 53 4 .543 6.5
4位 西鉄ライオンズ 57 61 2 .483 13.5
5位 毎日オリオンズ 56 62 2 .475 14.5
6位 東急フライヤーズ 50 67 3 .427 20.0
7位 近鉄パールス 48 69 3 .410 22.0

[1]

オールスターゲーム1953[編集]

ファン投票 関根潤三
監督推薦 沢藤光郎

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

[2]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1953年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年8月6日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138