1952年の広島カープ

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1952年の広島カープ
成績
セントラル・リーグ6位
37勝80敗3分 勝率.316[1]
本拠地
都市 広島県広島市
球場
広島県総合野球場
球団組織
監督 石本秀一
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1952年の広島カープは1952年シーズンの広島カープの動向についてまとめる。

1952年の広島カープは、石本秀一監督の3年目のシーズンである。

概要[編集]

前年に引き続き、セントラル・リーグは所属チームが7チームであり、日程が組みにくかったことから、チームを減らすべきであるという論調が強く、リーグは代表者会議で勝率3割を切ったチームには処罰を与えることを決定した。これは、弱いチームを排除することにより、チーム数を偶数に戻すことを念頭に置いた決定であったと考えられている[2]。前年最下位の広島が処罰の最有力候補と目されており、再びチーム存続の危機を迎えた。シーズンが開幕すると、広島は5月終了時点で勝率3割を大きく割り込み、処罰による消滅が現実的なものとなったが、6月以降やや持ち直し、9月に入ってようやく勝率3割を超えた。9月下旬に7連敗を喫し、再び勝率3割を切ったものの、10月を5割で終え、最終的に勝率3割1分6厘で最下位も免れた。一方、広島と最下位争いをした松竹が勝率3割を切り、大洋と対等合併(実質は吸収合併)し、球団の歴史を閉じることとなった。広島は、前年の経営難回避に続き、編成上の理由による球団消滅も回避し、球団消滅の危機を再び脱した。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 白石勝巳
2 塚本博睦
3 武智修
4 大沢伸夫
5 門前真佐人
6 岩本章
7 長持栄吉
8 磯田憲一
9 大田垣喜夫
1952年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 名古屋 2.5 大洋 3.0 大阪 5.5 大阪 3.0 大阪 6.0 大阪 5.5 大阪 3.5
3位 大洋 4.0 大阪 3.0 名古屋 5.5 名古屋 6.5 名古屋 7.0 名古屋 7.0 名古屋 7.0
4位 大阪 4.5 名古屋 5.0 大洋 12.5 大洋 12.5 大洋 18.5 大洋 21.5 大洋 25.0
5位 国鉄 8.0 松竹 18.0 国鉄 21.0 国鉄 25.0 国鉄 31.5 国鉄 31.5 国鉄 33.0
6位 松竹 9.0 国鉄 18.5 松竹 24.5 松竹 29.0 広島 37.5 広島 43.5 広島 44.5
7位 広島 10.5 広島 19.0 広島 25.5 広島 29.5 松竹 39.5 松竹 44.0 松竹 48.0
期間
成績
6勝16敗1分
勝率.273
2勝11敗
勝率.154
4勝9敗1分
勝率.308
5勝9敗
勝率.357
6勝13敗1分
勝率.316
10勝18敗1分
勝率.357
4勝4敗
勝率.500
1952年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 83 37 0 .692 -
2位 大阪タイガース 79 40 1 .664 3.5
3位 名古屋ドラゴンズ 75 43 2 .636 7.0
4位 大洋ホエールズ 58 62 0 .483 25.0
5位 国鉄スワローズ 50 70 0 .417 33.0
6位 広島カープ 37 80 3 .316 44.5
7位 松竹ロビンス 34 84 2 .288 48.0

[1]

選手・スタッフ[編集]

オールスターゲーム1952[編集]

ファン投票 選出なし
監督推薦 選出なし

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選出なし

脚注[編集]

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出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1952年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2016年6月13日閲覧。
  2. ^ 鈴木龍二 『プロ野球と共に五十年 : 私のプロ野球回顧録(下)』 恒文社、1984年、P56-57頁。ISBN 4770405944