1938年の航空

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航空に関する出来事[編集]

航研機
  • 4月29日 - 漢口で日本海軍の30機の九六式艦上戦闘機に護衛された18機の九六式陸上攻撃機が60から80機の中国軍機の迎撃を受け、空中戦が行われた。日本側の発表で、2機の爆撃機を喪失し、51機を撃墜した。中国側の発表では損失は12機で、日本機21機から45機を撃墜したと発表した。
  • 5月13日〜15日 - 藤田雄蔵が操縦する航研機が、11,651 kmを飛行、周回航続距離世界記録樹立。
  • 5月19日 - 中国の漢口飛行場から出撃し、寧波で給油した中国空軍のマーチン爆撃機(B-10の輸出型)が九州に飛来した。爆弾を積むと航続距離が不足するので、九州上空で宣伝ビラを散布した[1]
  • 6月 - ハインケル He 118が、ターボ・ジェット機としての初の飛行試験を行う。
  • 6月9日 - ニカラグア空軍が、Fuerza Aerea de la Guarda Nacionalとして設立される。
  • 7月1日 - 満州重工業中島飛行機が日本政府の監督の下、奉天郊外の飛行場に満州飛行機製造を設立した。
  • 7月14日 - ハワード・ヒューズが、ロッキード L-14 スーパーエレクトラで3日と19時間17分で世界一周飛行を行い、当時の最速記録を樹立した。
  • 7月18日 - ダグラス・コリガンが、旧式なカーチス ロビンでニューヨーク - アイルランド間の無着陸大西洋横断飛行を行った。
Fw 200
  • 8月10日〜11日 - ルフトハンザフォッケウルフ Fw 200が、ベルリン - ニューヨーク間の無着陸飛行を行う。飛行時間は24時間36分であった。
  • 8月24日 - 羽田飛行場(現在の東京国際空港)から訓練飛行に向かおうとしていた日本飛行学校のアンリオ複葉機と、日本航空輸送フォッカー スーパーユニバーサル旅客機が、大森上空150mで空中衝突事故をおこす。(大森民間機空中衝突墜落事故
  • 9月10日 - ドイツが、1部の航空路を除いてドイツ上空の外国の航空機の飛行を禁止した。
  • 9月24日~25日 -ソビエトの女性飛行家マリーナ・ラスコーヴァ、ワレンチナ・グリゾドゥーボワ、ポリーナ・オシペンコが、DB-2を改修したANT-37"ローヂナ"(АНТ-37 "Родина":「ローヂナ」は「祖国」、「故郷」のこと)でモスクワ・コムソモーリスク・ナ・アムーレ間5908.61 kmの直線無着陸飛行を行った。
  • 11月5日〜7日 - リチャード・ケレットに率いられた、2機のヴィッカース ウェルズレイが、エジプトからオーストラリアのダーウィンまでの11,520 kmを無着陸飛行に成功。
  • 11月28日〜30日 - ルフトハンザのフォッケウルフ Fw 200が、ベルリン - 東京間の無着陸飛行を行う。飛行距離は14,228 kmで飛行時間は46時間18分であった。
  • 12月22日 - デ・ハビランド フラミンゴが初飛行した。

1938年に初飛行した機体の画像[編集]

航空に関する賞の受賞者[編集]

関連項目[編集]

日中戦争のパイロット[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 『あっと驚く飛行機の話』飯山幸伸 NF文庫 (2008年)ISBN 4769825684