Z23型駆逐艦

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Z23型 / Z31型駆逐艦

1936A型駆逐艦の模型。
基本情報
艦種 駆逐艦
命名基準 Z(駆逐艦の識別記号)+番号のみ
建造所 Deschimag(Z23~Z34)
Germaniawerft(Z37~Z39)
運用者 ドイツ海軍(Kriegsmarine)
 イギリス海軍
 フランス海軍
 ソビエト連邦海軍
就役期間 1940年~1945年(ドイツ海軍)
同型艦 8隻(Z23型)+7隻(Z31型)
前級 1936型(Z17型)
次級 1936B型(Z35型)
要目
排水量 基準 : 2,600t、満載 : 3,605t
全長 127m
最大幅 12m
吃水 4.65m
機関方式 ボイラー×6基、ギヤードタービン×2基、2軸推進
出力 70,000馬力
速力 37.5ノット
航続距離 3,650海里(18ノット航行)
乗員 220名
兵装 150mm単装砲塔×4基
後には、砲塔のうち1基を2連装砲塔に換装(Z31型は、当初からこの配置)
37mm対空機関砲×4基
(後に10基に増強。Z31型は14基)
20mm対空機関砲×8基
後には20基に増強。Z31型は18基。
4連装533mm魚雷発射管×2基
爆雷投射機×4基
機雷×60発
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Z23型駆逐艦1936A型駆逐艦Zerstörer 1936A)はナチス・ドイツ海軍(Kriegsmarine)が建造した駆逐艦である。Z31以降は改良型のZ31型駆逐艦1936A(Mob)型駆逐艦Zerstörer 1936A (Mob))として扱われることもある。

連合国からは両者を合わせてナルヴィク級駆逐艦(Nalvik class destroyer)と呼ばれていた。

概要[編集]

1936A型駆逐艦は、1938年度建艦計画において発注された駆逐艦である。最大の改良点は主砲の大口径化であり、1936型までのドイツ海軍駆逐艦は主砲に127mm砲を採用しているのに対し、本型では150mm砲を搭載している。基本的な船体構造は1936型駆逐艦と変わりがないが、主砲の大口径化に合わせた改良が行われているほか、1936A(Mob)型では生産効率向上のために内部構造や機関部の一部簡略化が行われている。

アメリカ軍の1936A型の識別表。
Z28以外の1936A型は、建造当初はこの図と同じ砲塔配置である。

主砲の砲塔配置は前部に1基、後部前寄りに前向きの砲塔が1基、後端部近くに2基搭載されている。ただしZ28だけは後部居住区が大型化しているため、前部と後部に2基ずつ搭載している[1]。当初の計画では前部砲塔を2連装砲塔とする予定であったが、1936A型の建造までに砲塔の製造が間に合わなかったため前面の砲塔も単装砲塔となっている。後に建造された1936A(Mob)型では建造当初から2連装砲塔を搭載していたほか、1936A型もZ23、Z24、Z25、Z29の4隻[2]は連装砲塔への換装が行われている。

15cm砲[編集]

1936A型の150mm砲は軽巡の主砲や大型艦の副砲と共通の設計で、砲弾重量45kg、砲口初速835km/秒、最大射程23,500mとそれまでの127mm砲より強力なものとなっていた[3]。ドイツ海軍は第一次世界大戦末期にも150mm砲搭載の駆逐艦(S113、V116)を建造した実績があり、またドイツの仮想敵国であるポーランド、フランス、イギリスの海軍がいずれも火力に勝る大型駆逐艦を保有しているので、これらの艦への対抗上ドイツ海軍が自らの駆逐艦により強力な砲を載せようとするのは無理のない流れではあった。

しかし、本来大型艦での運用を想定していた15cm砲は、相対的に小さな駆逐艦の上では様々な問題を引き起こした。[要出典]

・人力装填、分離薬莢式のため揺れる狭い艦上では迅速な射撃操作が難しい

・単装砲は開放式であり、荒れる洋上では砲員が海水を被る(そしてしばしば極寒の北海が戦場となった)

・連装砲は密閉式だが砲塔が60.4tと単装砲(19.54t)の約3倍も重く、基本設計の変更なしに載せた結果艦首浮力の低下、凌波性能の低下を招いた

この結果、大戦中トライバル級を含むイギリス海軍の駆逐艦や(数字の上ではほぼ同格の主砲を持つ)軽巡との戦闘は何度か生起したが、ドイツ駆逐艦が互角または有利に戦ったと言える記録はあまりなく(訓練不足も災いした部分があるが)、ドイツ海軍も次級以降また主砲を127mmに戻すという措置を取っている。

同型艦[編集]

1936A型は、1936A(mob)型と合わせて15隻が建造された。15隻中12隻はDeschimagブレーメン造船所で建造され、Z37からZ39までの3隻はGermaniawerftキール造船所で建造された。

さらに3隻が発注されていたが、1941年に捜索巡洋艦SP1型に設計変更され、その後建造中止となった。そのためZ40、Z41、Z42は欠番となっている。

本型以前に建造されたナチス・ドイツ海軍の1934型(Z1型)及び1934A型(Z5型)1936型(Z17型)では第一次世界大戦において戦死したドイツ帝国海軍軍人[4]の名前が命名されていたが、本型からはZ(Zerstörerの頭文字)の艦種記号と2桁の艦番号のみが付与されるだけとなった。

1936A型:Z23型[編集]

艦名 起工 進水 就役 備考
Z23 1938年11月15日 1939年12月15日 1940年9月15日 1944年8月12日の爆撃により大破したため、同年8月12日除籍。戦後はフランス海軍に接収されLeopardと命名されたが、1955年に解体。
Z24 1939年1月2日 1940年3月7日 1940年10月26日 1944年8月25日、ジロンド県Le Verdon-sur-Merにて、英空軍の爆撃により撃沈。
Z25 1939年2月15日 1940年3月16日 1940年11月30日 フランス海軍に接収され、オッシュ(Hoche)と再命名された。1958年に解体。
Z26 1939年4月1日 1940年4月2日 1941年1月11日 1942年3月29日、バルト海にてPQ13船団を攻撃時に撃沈。
Z27 1939年12月27日 1940年8月1日 1941年2月26日 1943年12月28日、ビスケー湾にてイギリス艦隊との交戦時に撃沈。
Z28 1939年11月30日 1940年8月20日 1941年8月9日 1945年3月3日、リューゲン島ザスニッツ近海にて、英空軍の爆撃を受け撃沈。
Z29 1940年3月21日 1940年10月15日 1941年6月25日 イギリスが接収後アメリカに譲渡したが、状態劣悪なため1946年12月16日にユトランド近海に自沈処分。
Z30 1940年4月15日 1940年12月8日 1941年11月15日 ノルウェーが接収後イギリスに譲渡し、標的艦として使用したが1949年に解体。

1936A(Mob)型:Z31型[編集]

艦名 起工 進水 就役 備考
Z31 1940年9月1日 1941年4月15日 1942年4月11日 フランスに接収後、マルソー(Marceau)と再命名。1958年に解体。
Z32 1940年11月1日 1941年8月15日 1942年9月15日 1944年6月9日、ブルターニュ半島Île de Batz近海にてカナダ海軍艦と交戦し座礁。後に空爆で破壊。
Z33 1940年12月22日 1941年9月15日 1943年2月6日 ソ連に接収後、プロヴォールヌイПроворный)と再命名。1961年に標的艦として撃沈。
Z34 1941年1月14日 1942年5月5日 1943年6月5日 イギリスが接収後アメリカに譲渡したが、状態劣悪なため1946年3月26日にユトランド近海に自沈処分。
Z37 1940年 1941年2月24日 1942年7月16日 1944年1月30日にZ32と衝突事故を起こした際の損傷がひどく、同年8月24日に除籍の上でボルドー沖に自沈処分。1949年に解体。
Z38 1940年 1941年8月5日 1943年3月20日 イギリスが接収後、ノンサッチ(HMS Nonsuch)と再命名の上で試験艦として利用。1949年から1950年にかけて解体。
Z39 1940年 1941年12月2日 1943年3月21日 イギリスが接収後アメリカに譲渡。アメリカで試験航海を行った後にフランスに譲渡され、部品取りに利用された。1953年に解体。

備考[編集]

  1. ^ http://www.german-navy.de 2011年3月28日閲覧。
  2. ^ 「ドイツ海軍の駆逐艦1939-1945」23ページ
  3. ^ [1] 2021年3月7日閲覧。
  4. ^ 英雄的とされた人物なら、士官から下士官水兵まで階級は問われなかった。

日本で簡単にプラモキットを入手できる(ピットロード、後にタミヤから発売)、事実上唯一のドイツ駆逐艦の級でもある。

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]