1886年全米選手権 (テニス)

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1886年に行われた、第6回 全米選手権に関する記事。アメリカロードアイランド州ニューポート・カジノにて開催。

大会の流れ[編集]

  • この年までは、男子シングルス・男子ダブルスの2部門がアメリカ・ロードアイランド州「ニューポート・カジノ」において実施された。1887年から女子シングルス、1889年から女子ダブルスが加わり、混合ダブルスは1892年から公式競技になった。
  • 1881年から1967年まで、全米選手権は各部門が個別の名称を持ち、大会会場も別々のテニスクラブで開かれた。これが他の3つのテニス4大大会と大きく異なる点である。
    • 男子シングルス 名称:全米シングルス選手権(U.S. National Singles Championship
    • 男子ダブルス 名称:全米ダブルス選手権(U.S. National Doubles Championship
  • 1884年から、全米選手権にも「チャレンジ・ラウンド」(Challenge Round, 挑戦者決定戦)と「オールカマーズ・ファイナル」(All-Comers Final)が採用された。これは1878年の第2回ウィンブルドン選手権で始まった競技方式である。
    • 大会前年度優勝者を除く選手は「チャレンジ・ラウンド」に出場し、前年度優勝者への挑戦権を争う。前年度優勝者は、無条件で「オールカマーズ・ファイナル」に出場できる。チャレンジ・ラウンドの勝者と前年度優勝者による「オールカマーズ・ファイナル」で、当年度の選手権優勝者を決定した。
    • 全米選手権のチャレンジ・ラウンドは、1886年から大幅な変更が実施され、1回戦から最大5セット・マッチで行われるようになった。1886年の1年間だけ、1883年までのウィンブルドン選手権のように、ゲームカウント 5-5 になった時に次のゲームで勝敗を決めた。そのため、1886年チャレンジ・ラウンドの途中経過には「6-5」の試合結果が多く見られる。
  • 競技ルールは、基本的にはウィンブルドン選手権に準拠して実施された。
  • 初期の全米選手権のように、外国人出場者が少なかった時期は、地元アメリカ人選手の国籍表示を省略する。

大会前年度優勝者[編集]

男子シングルス[編集]

チャレンジラウンド[編集]

準々決勝

  • ジョセフ・クラーク vs. ヘンリー・スローカム 1-6, 6-5, 6-5, 6-2
  • ハワード・テーラー vs. クインシー・ショー 6-3, 6-5, 6-5
  • リビングストン・ビークマン vs. フレッド・マンスフィールド 6-4, 3-6, 6-0, 6-3
  • チャールズ・チェイス vs. モーガン・ポスト 6-0, 6-2, 6-4

準決勝

  • ハワード・テーラー vs. ジョセフ・クラーク 6-5, 6-2, 6-3
  • リビングストン・ビークマン vs. チャールズ・チェイス 6-4, 6-0, 6-2

(チャレンジラウンド準決勝までは、1セットに「6-5」のスコアが多い)

決勝

  • リビングストン・ビークマン vs. ハワード・テーラー 2-6, 6-3, 6-4, 6-2

オールカマーズ決勝[編集]

決勝戦の結果[編集]

外部リンク[編集]

参考文献[編集]

  • Roger M. Williams, “The U.S. Open: Game, Set, Unmatched”(全米オープン-ゲーム・セット・試合は続く) Time-Life Books, New York (1997) ISBN 0-7835-5260-2 各部門ごとの開催地について、本書の189ページを参照した。
  • Lance Tingay, “100 Years of Wimbledon”(ウィンブルドンの100年史) Guinness Superlatives Ltd., London (1977) ISBN 0-900424-71-0 初期のテニス競技ルールについて、本書の26ページを参照した。
  • Bud Collins, “Total Tennis: The Ultimate Tennis Encyclopedia” Sport Classic Books, Toronto (2003 Ed.) ISBN 0-9731443-4-3
先代:
1886年ウィンブルドン選手権
テニス4大大会
1886年 - 1887年
次代:
1887年ウィンブルドン選手権
先代:
1885年全米選手権 (テニス)
全米オープン
1886年
次代:
1887年全米選手権 (テニス)