駒形どぜう
駒形どぜう Komakata Dozeu | |
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駒形どぜう本店 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒105-0001 東京都台東区駒形 一丁目7番12号 |
座標 | 北緯35度42分27.08秒 東経139度47分42.08秒 / 北緯35.7075222度 東経139.7950222度座標: 北緯35度42分27.08秒 東経139度47分42.08秒 / 北緯35.7075222度 東経139.7950222度 |
開業日 | 年中無休 |
閉業日 | 大晦日と元旦 |
施設管理者 | 株式会社駒形どぜう |
営業時間 |
午前11時 - 午後9時 松の内の間は午後8時まで |
駐車台数 | 0台 |
最寄駅 |
東武スカイツリーライン浅草駅 東京メトロ銀座線浅草駅 都営浅草線浅草駅 都営大江戸線蔵前駅 |
最寄IC | 首都高速神田橋出入口 |
外部リンク | https://dozeu.com/ |
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒105-0001 東京都台東区駒形1丁目3番14号 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 8010501029265 |
事業内容 | 飲食店の運営 |
外部リンク | https://dozeu.com/ |
駒形どぜう(こまかたどぜう、英: Komakata Dozeu)は、東京都台東区駒形にある飲食店舗。どぜう鍋で知られる。
店舗が存在するのは「台東区駒形(こまがた)」だが、店舗の名前は「駒形(こまかた)どぜう」である。
概要[編集]
1801年(享和元年)、武蔵国の越後屋助七が江戸に奉公に出て来て、浅草駒形でめし屋を開き、どぜうなべやが始まり。その後、江戸の関東大震災や第二次世界大戦により店が焼失したが再建した。
本来「どぢやう」と表記すべきところを、縁起のいい奇数文字の「どぜう」としたのも初代の発案である[1]。
沿革[編集]
- 年代不詳 - 初代越後屋助七、武蔵国(現・埼玉県北葛飾郡)より江戸に奉公に出る
- 1801年(享和元年) - 浅草駒形にめし屋、駒形どぜうを創業、どぜうなべ、どぜう汁を売り出す
- 1806年(文化3年) - 江戸の大火により店が類焼
- 年代不詳 - 二代目助七は、くじらなべを売り出し、商売はその後順調に続いた
- 1848年(嘉永元年) - 当時の情報誌『江戸名物酒飯手引草』に、駒形どぜうが紹介される
- 1923年(大正12年) - 関東大震災により店が焼失
- 1939年(昭和14年) - 1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦により店が焼失[2]
営業情報[編集]
- 年中無休
- 営業時間 - 平日 午前11時 - 午後9時、土曜 午前11時 - 午後8時
店舗[編集]
本店所在地は東京都台東区駒形1-7-12。江戸通りに面した本店は江戸の商家風の総檜造りで、大名行列を見下ろすことのないよう、2階は黒漆喰で目隠しされている。「柳の下に二匹目のドジョウがいる」の縁起から、店の横には柳の木が植えられている[1]。本店のほか、渋谷にも支店を開設している。
料理[編集]
ドジョウを酒に漬けて酔わせ、江戸甘味噌仕立ての汁で煮たものを平鍋に入れ、鰹出汁のきいたタレでさらに煮込んで刻みネギを載せて食べる。これは、当時高級品だった酒をドジョウに飲ませてみようとの初代の発案によるものである。ほかに柳川鍋や、二代目が始めたくじら鍋なども提供している。
江戸文化道場[編集]
店内において、隔月に一度、江戸を学ぶ講座を開いている。江戸の食文化をはじめ芸能や工芸、文化論の専門家を招いていて、開催は100回を超えている。2011年(平成23年)に、メセナ大賞「地域文化賞」を受賞した。
- 1月 - 本店創業祭
- 2・4・6月 - 江戸文化道場(本店)
- 7月1・2・3日 - うちわ出し(本店・渋谷店)
- 8月 - 江戸文化道場(アサヒビールフラムドーム4F)
- 10・12月 - 江戸文化道場(本店)[4]
交通アクセス[編集]
ギャラリー[編集]
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東側の外観(2009年10月17日撮影)
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入口周り(2009年10月17日撮影)
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店内の様子(2009年10月17日撮影)
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なべ定食(2009年10月17日撮影)
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どぜうなべ(2009年10月17日撮影)
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どぜうなべ(2009年10月17日撮影)
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 越後屋助七『駒形どぜう六代目の浅草案内』小学館、2003年。ISBN 4-09-681581-0。
- 林家いっ平著『「老舗」味めぐり』東京・グラフ社、「母・香葉子とどじょうと、私の髪」、P64、2006年(平成18年)
- 河治和香著『どぜう屋助七』、実業之日本社、2013年(平成25年)12月