エニグマ変奏曲

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2012年ロンドンオリンピックの開会式の一コマ。画面手前の楽団が「ニムロッド」を演奏している。

独創主題による変奏曲』(英語: Variations on an Original Theme for orchestra)、通称『エニグマ変奏曲』または『謎の変奏曲』(英語: Enigma Variations作品36は、エドワード・エルガーが作曲した管弦楽のための変奏曲である。

概説[編集]

『エニグマ変奏曲』というタイトルは通称であり、正式名を『管弦楽のための独創主題による変奏曲』(Variations on an Original Theme for orchestra)という。出版に際して「エニグマ」(Enigma)を付記することをエルガーも認めた。本作品は「描かれた友人たち (My friends pictured within)」に献呈されている。

1898年から1899年にかけて作曲され、1899年にロンドンで初演された。この作品の成功によって、エルガーの名前は世界的に知られるようになった。

愛の挨拶』、行進曲『威風堂々』第1番・第4番やチェロ協奏曲 ホ短調と並んでエルガーの代表作品の一つであり、管弦楽のために作曲された単独の変奏曲のうちでは、ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』や、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲』と並んで重要でもある。

なお、この変奏曲は管弦楽曲として知られるが、エルガー自身によるピアノ独奏版もある。

作曲[編集]

『エニグマ変奏曲』の作曲のきっかけは、1898年10月21日[1]、ヴァイオリンのレッスンを終えて帰宅したエルガーが、夕食後にピアノで何気なく思いついた旋律を弾いているときであった。即興的な旋律の1つが妻キャロライン・アリスの注意を惹き、「気に入ったのでもう一度繰り返して弾いてほしい」と頼まれた。エルガーは妻を喜ばせるために、その主題に基づいて、友人たちを思い浮かべながら「あの人だったら、こんな風に弾くだろう」と即興的に変奏を弾き始めた。これを管弦楽曲に膨らませたものが『エニグマ変奏曲』となった。その作曲過程について、アリスは「きっと、今までに誰もやらなかったこと (Surely [...] something that has never been done before[1])」と述べている。

10月24日、エルガーは批評家のアウグスト・イェーガー(第9変奏“Nimrod” に描かれた親友)への手紙で『変奏曲』に触れ、イェーガーを Nimrod として描いていることを伝えた。11月1日、エルガーは少なくとも6つの変奏を完成させてドラ・ペニー (第10変奏“Dorabella”に描かれた友人)に聞かせた。また翌1899年1月5日にはピアノ曲としてのスコアを完成させ、「この変奏曲を気に入っている (I say — those variations [—] I like ’em.)[1]」との言葉と共にイェーガーに送った。その後、2月5日から19日までの2週間で管弦楽曲として完成させた。

初演[編集]

初演は1899年6月19日ロンドンのセント・ジェームズ・ホールでハンス・リヒターの指揮により行われた。この初演は大成功を収め、エルガーの作曲家としての名声を大いに高めた。初演について、チャールズ・ヒューバート・パリーは次のように述べた。

They [the Variations] are indeed a brilliant success, and will bring the old country as well as yourself honour wherever they are heard. — [2]

類似の先行作品[編集]

前述の通り、エルガー夫妻は本作品について、過去に類を見ない試みだと考えていた。しかし実際には、類似したアイディアの作品は既に存在していた。たとえば、人格描写を試みた変奏曲という点では、本作品の1年前に初演されたリヒャルト・シュトラウスの『ドン・キホーテ——大管弦楽のための騎士的な性格の主題による幻想的変奏曲』や、ロベルト・シューマンの『謝肉祭』が挙げられる。また、管弦楽のための変奏曲としては、アントニン・ドヴォルザークの『交響的変奏曲』や、チャールズ・ヒューバート・パリーの『交響的変奏曲』が挙げられる[1]

「エニグマ」の通称について[編集]

エルガーは自筆譜のスコアに“Variations on an Original Theme for Orchestra”とのみ記しており、“Enigma”はイエーガーが後に鉛筆で書き加えたものである。

エルガー自身も“Enigma”の名称を使っていたものの、作品全体ではなく、主題(より狭い意味では主題の前半部のみ)を指して“Enigma”と呼んでいた。その根拠は次の2点である。第一に、自筆譜において本来ならば“Theme”と書かれるべき箇所に、代わりに“Enigma”と書かれている。また、第二に、エルガーやイエーガーが本作品を一時期“Enigma and Variations”(こんにち一般的に呼ばれている “Enigma Variations”ではないことに注意されたい)と呼んでいたと示唆する書簡が存在する[3]

「謎」(エニグマ)について[編集]

「エニグマ」とはギリシア語で、「なぞなぞ」「謎かけ」「謎解き」といった意味である。この変奏曲には2つのエニグマが込められているという。

第1のエニグマは、「この変奏曲は、主題とは別の、作品中に現われない謎の主題も使われている」というエルガーの発言に基づいている。ストコフスキーは、作曲者が自身に語った言葉として「この曲の主題には、エロティックな意味が隠されている」とも証言している。「謎の主題」の意味を旋律であると解釈するなら、この謎は今日も解けてはいない。

第2のエニグマは、各変奏に付けられたイニシャルや略称などの該当人物であり、謎解きはすでにほぼ完了している。各変奏は、親しい友人たちへの真心のこもった肖像画となっており、この変奏曲は「作品中に描かれた友人たち」に献呈されている。

「謎の主題」の謎解き[編集]

エルガーはピアノロールに記録したピアノ版の『エニグマ変奏曲』に、簡単な解説を寄せている。その解説には「すべての変奏の基盤となっている、もう1つの聞き取ることのできない主題が存在する」と記述している。本人曰く、

The Enigma I will not explain —— its ‘dark saying’ must be left unguessed, and I warn you that the apparent connexion between the Variations and the Theme is often of the slightest texture; further, through and over the whole set another and larger theme ‘goes’ but is not played ... So the principal Theme never appears [...].[1]

その謎については説明しまい。その「陰の声」については想像できないようにしておこう。 諸君に警告しておくが、変奏と主題の明らかなつながりは、しばしば、ごくわずかなテクスチュアの問題でしかない。 もっと言えば、曲集全体を、もう1つのより大きな主題が貫いているのだが、それは演奏されないのである。 (中略)かくて基本主題は、その後の展開においてさえ、決して登場せず、(中略)その主要な性格は決して表舞台には出てこない。

エルガーは「隠された主題」がそれ自体、有名な旋律の変奏であるとも仄めかしている。仮説はいろいろ立ったものの、完全に合点がつくような謎解きはいまだに1つも出されていない。英国国歌国王陛下万歳』とする説、スコットランド民謡オールド・ラング・サイン』(蛍の光)であるとする説、『エニグマ変奏曲』の初演コンサートで一緒に演奏されたモーツァルトの『交響曲第38番「プラハ」』がそうだとする説、などである。[要出典]

こんにち有力な仮説は、「ルール・ブリタニア」の歌詞 “never, never, never” に該当する部分であるとする説である[要出典]。その楽句は、主題の最初の5音にはっきりと聞き取れるし、エルガー自身の記述にも、それを仄めかすような言葉、とりわけ「かくて基本主題は」以下の「決して……ない」(never)を繰り返すくだり、が見受けられるからである。

「作品中に描かれた友人たち」の謎解き[編集]

前述の通り、該当人物はほぼ特定されている。ただし第13変奏の(***)のみが依然未解明のままである(後述)。

描かれた友人たちについて[編集]

本作品には、エルガー自身と妻アリスを含めるならば14人の「友人」たちが描かれているが、エルガーは何らの明確な基準をもって彼らを選んだわけではない。もとより、エルガーに自らの交友関係を余すところなく描く意図はなかった。

描かれた友人の多くはアマチュア音楽家であり、職業音楽家は教会オルガニストの G.R.S. ただ一人である。その彼さえ、音楽家としては描かれておらず、彼の飼い犬に関連して描かれているにすぎない。もっとも、エルガーは最初から私的な友人たちに限った作曲を意図していたわけではなく、アイヴァー・アトキンスニコラス・キルバーン、そしてパリーといった作曲家たちをも描こうと試みていた。しかし、エルガーは彼らの音楽性を自身の『変奏曲』に調和させて取り込むことに苦心したようで、結局彼らのための変奏は下書きさえも作曲されることはなかった。

自身も変奏に描かれたドラ・ペニーは、描かれた友人たちについて、次のように述べている。

The friends were chosen, not because he [Elgar] had any particularly great regard for each one, but because the thought of them gave him ideas which could be described in music.

エルガーが(変奏曲に描かれた)友人たちを選んだのは、彼らに特別な好意を抱いていたからではない。エルガーが彼らについて考えることで、音楽によって描写できるような着想を得たからである。

— [4]

楽器編成[編集]

楽曲構成[編集]

演奏時間はおおよそ30分前後である。

二部形式による主題に、14の変奏が続く。変奏は主題の旋律線和声リズム的要素から飛躍し、最終変奏は大団円を作り出す。エルガーは、各変奏の譜面に、あたかも副題であるかのように、下記のような頭文字や愛称を記入した。これが、「作品中に描かれた友人たち」が誰であるのかを解く手懸かりとなった。

主題[編集]

ト短調、アンダンテ、4分の4拍子。


  \relative c'' { \clef treble \time 4/4 \tempo "Andante" 4 = 63 \key g \minor r4^"legato e sostenuto" bes8--\p_"molto espress." g-- c4( a) | r d(^"ten." bes) a8-- c-- | r4 bes8--\< d--\! g4(\> a,\!) | r\pp f'\>( g,)\! a8-- bes-- | r4 a8--_"cresc." g-- d'4( bes)| r bes(^"ten."_"dim." g) a8-- g-- \bar "||" b4}

B(B♭)で始まりH(B)で終わるが、途中にACも含まれており、BACH主題が分散して埋め込まれている。

第1変奏 "C.A.E."[編集]

There is no break between the theme and this movement. The variation is really a prolongation of the theme with what I wished to be romantic and delicate additions; those who knew C.A.E. will understand this reference to one whose life was a romantic and delicate inspiration.[5]

この楽章は、主題から切れ目なく演奏される。実は、この変奏は、神秘的かつ優雅であってほしいと私が望んだ部分を主題に追加して、主題を延長したものである。C.A.E. を知る人は、この変奏が彼女を表していると理解するだろう。彼女の人生は、神秘的かつ優雅に、私の創作意欲を刺激したものだった。[6]

ト短調、リステッソ・テンポ、4分の4拍子。

作曲者の愛妻キャロライン・アリス・エルガーCaroline Alice Elgar)の頭文字。


  \relative c'' { \clef treble \key g \minor \time 4/4 \tempo "L'istesso tempo." 4 = 63 r4\f^"largamente"_"espress." \times 2/3 {d8( bes d)} c4~ c8 r8 }

第2変奏 "H.D.S-P."[編集]

Hew David Steuart-Powell was a well-known amateur pianist and a great player of chamber music. He was associated with B.G.N. (Cello) and the Composer (Violin) for many years in this playing. His characteristic diatonic run over the keys before beginning to play is here humorously travestied in the semiquaver passages; these should suggest a Toccata, but chromatic beyond H.D.S.-P.’s liking.[5]

Hew David Steuart-Powellは、有名なアマチュアのピアニストで、室内楽の名手だった。彼は、B.G.N.(チェロ)と作曲者(ヴァイオリン)と、長年一緒に室内楽を演奏していた。彼がピアノを弾く前に鍵盤の上で指を滑らせる、特徴ある全音階の動きが、16分音符のパッセージによって滑稽に描写されている。トッカータを連想させるけれども、H.D.S.-P.の好みに反して半音階的なパッセージである。[6]

ト短調、アレグロ、8分の3拍子。

ピアニストのヒュー・デイヴィッド・ステュアート=パウエル(Hew David Stuart-Powell)。エルガーとともに室内楽を演奏した。歯切れのよい跳躍的な旋律は、彼が指慣らしにピアノに触れる様子を描いている。


  \relative c'' { \clef treble \key g \minor \time 3/8 \tempo "Allegro." r16 g-.]\p_"stacc." d'-.[ gis,-.] cis-.[ a-.] | c!-.[ a-.] bes-.[ g!-.] es-.[ c!-.] | cis-. d-. }

第3変奏 "R.B.T."[編集]

Richard Baxter Townshend, whose Tenderfoot books are now so well known and appreciated. The Variation has a reference to R.B.T.’s presentation of an old man in some amateur theatricals — the low voice flying off occasionally into ‘soprano’ timbre. The oboe gives a somewhat pert version of the theme, and the growing grumpiness of the bassoons is important.[5]

Richard Baxter Townshend.彼の著作 (“A Tenderfoot in Colorado”) は、今やたいへん有名である。ときどき“ソプラノの”声色に変わる低い声が、アマチュア劇団の中で老紳士を演じているR.B.T.を連想させる。 オーボエは主題を幾分元気よく演奏する。そして、ファゴットの気難しいうなり声もまた重要である。[6]

ト長調、アレグレット、8分の3拍子。

リチャード・バクスター・タウンゼンド(Richard Baxter Townsend)。アマチュアの俳優・パントマイマー。声質や声域を自在に変えることが得意で、それが音楽にも反映されている。

第4変奏 "W.M.B."[編集]

A country squire, gentleman and scholar. In the days of horses and carriages it was more difficult than in these days of petrol to arrange the carriages for the day to suit a large number of guests. This variation was written after the host had, with a slip of paper in his hand, forcibly read out the arrangements for the day and hurriedly left the music-room with an inadvertent bang of the door. In bars 15‒24 are some suggestions of the teasing attitude of the guests.[5]

土地の名士、紳士であり学者でもあった。大勢の客人のために馬車を調達するのは、こんにちの自動車の時代よりもずっと大変なことだった。この変奏は、彼が手に紙切れを持ち、力強くその日の予定を読み上げ、急いで音楽室を去り、不用意に音を立ててドアを閉める様子を描いている。15‒24小節目は、客人たちのからかうような態度を連想させる。[6]

ト短調、アレグロ・ディ・モルト、4分の3拍子。

グロスタシャー州ハスフィールドの地主で、ストークオントレントの開基に寄与したウィリアム・ミース・ベイカー(William Meath Baker)のこと。とても精力的な人間だったので、変奏もトゥッティによる激しい雰囲気をもっている。

第5変奏 "R.P.A."[編集]

Richard P. Arnold, son of Matthew Arnold. A great lover of music which he played (on the pianoforte) in a self-taught manner, evading difficulties but suggesting in a mysterious way the real feeling. His serious conversation was continually broken up by whimsical and witty remarks. The Theme is given by the basses with solemnity and in the ensuing major portion there is much light-hearted badinage among the wind instruments.[5]

Richard P. Arnold. 彼はMatthew Arnoldの息子で、独学でピアノを弾くのを大変好んでいた。難所は弾かないけれども、不思議と真の感情を思い起こさせる音楽だった。彼のまじめな会話は、気まぐれで冗談めいた物言いによって、ひっきりなしに中断されるのであった。主題は低音群によって厳粛に演奏される。その後に続く主部では、管楽器が気軽な冗談を演奏する。[6]

ハ短調、モデラート、8分の12拍子(4分の4拍子)。

ピアニストのリチャード・P・アーノルド(Richard P. Arnold)、大詩人マシュー・アーノルドの息子。

第6変奏 "Ysobel" (イソベル)[編集]

A Malvern lady, who was learning the viola. It may be noticed that the opening bar, a phrase made use of throughout the variation, is an ‘exercise’ for crossing the strings — a difficulty for beginners; on this is built a pensive and, for a moment, romantic movement.[5]

モルヴァーンの淑女。彼女はヴィオラを習っていた。最初の小節の、この変奏を通じて用いられているフレーズが、移弦の“練習曲”であることに気づくだろう。それは、初心者にとっては難しい練習である。哀愁漂う、時に神秘的なこの変奏は、このフレーズにもとづいて形作られている。[6]

ハ長調、アンダンティーノ、2分の3拍子。

スペイン語風のイソベルとは、エルガーがヴィオラの愛弟子イザベル・フィットン(Isabel Fitton)に付けた愛称。第6変奏でヴィオラ独奏が活躍するのはこのためである。


  \relative c' { \clef alto \time 3/2 \key c \major \tempo "Andantino." 2 = 48 g-.\p c,-. e'2~\<^"espress."( e4\!\> d8)\! r8 }

第7変奏 "Troyte" (トロイト)[編集]

A well-known architect in Malvern. The boisterous mood is mere banter. The uncouth rhythm of the drums and lower strings was really suggested by some maladroit essays to play the pianoforte; later the strong rhythm suggests the attempts of the instructor (E.E.) to make something like order out of chaos, & the final despairing ‘slam’ as the effort proved to be vain.[5]

モルヴァーンの有名な建築家。この変奏は荒々しい印象だが、これは冗談である。不器用にピアノを弾こうとする彼の姿からは、打楽器と低弦の無骨なリズムが実に連想された。その後、ピアノの先生(E.E.)による、混沌から秩序のようなものを作り上げようとする試みが、強いリズムによって描かれる。そして、最後の絶望したような「バタン」という音は、その努力が無駄になったことを示している。[6]

ハ長調、プレスト、1分の1拍子。

建築家アーサー・トロイト・グリフィス(Arthur Troyte Griffiths)のこと。ピアノを弾こうと頑張ったが、なかなか上達しなかったらしい。不向きなことに熱を上げるグリフィスの姿が描かれている。

第8変奏 "W.N."[編集]

Really suggested by an eighteenth-century household. The gracious personalities of the ladies are sedately shown. Winifred Norbury was more connected with music than any others of the family, so her initials head the movement; to justify this position a little suggestion of a characteristic laugh is given.[5]

この楽章は、18世紀のある一家から連想された。静かにゆっくりと、淑女たちの優雅な性格が描かれている。Winifred Norbury は、家族の誰よりも音楽とのつながりが深かった。そのため、楽章の最初には彼女の名前が記されている。彼女の特徴的な笑い声が描写されているのも、その所以である。[6]

ト長調、アレグレット、8分の6拍子。

ウィニフレッド・ノーベリー(Winifred Norbury)。エルガーからのんびり屋と見なされていたので、かなり打ち解けた雰囲気で描かれている。変奏の結びにおいて、ヴァイオリンの1音が、次の変奏に向けて引き伸ばされている。

第9変奏 "Nimrod" (ニムロッド)[編集]

The name is my substitute for Jaeger who was well known as a critic & friend of musicians. The Variations are not all “portraits”; some represent only a mood, while others recall an incident known only to two persons. Something ardent and mercurial, in addition to the slow movement (No. IX), would have been needful to portray the character and temperament of A. J. Jaeger (Nimrod).

During an evening walk my friend discoursed eloquently on the slow movements of Beethoven, & said that no one could approach Beethoven at his best in this field. A view in which I cordially concurred. It will be noticed that the opening bars are made to suggest the slow movement of the eighth Sonata (Pathétique). Jaeger was for years the dear friend, the valued adviser and the stern critic of many musicians besides the writer; his place has been occupied but never filled.[5]

「ニムロッド」は私がJaegerにつけたあだ名であるJaegerは批評家として、そして音楽家たちの友として、よく知られていた。この変奏曲は、すべてが“肖像”であるわけではない。いくつかの変奏は雰囲気だけを表しているし、またいくつかのものは、描かれた人と作曲者の2人だけが知る出来事を描写している。もしA. J. Jaegerの人格と気質を描写しようとすれば、このゆったりした第9変奏に加えて、何か情熱的で気まぐれなものが必要になっただろう。

夕方の散歩をしながら、Jaegerは「緩徐楽章に関して、全盛期のベートーヴェンに匹敵する者はいないだろう」と言った。私はその意見に心から賛成していた。この変奏の最初の小節が、ピアノソナタ第8番『悲愴』の緩徐楽章を暗示するように作曲されていることに気づくだろう。Jaegerは長年の親友であり、私や他の多くの音楽家たちにとっての大切な助言者であるとともに、厳しい批評家であった。Jaegerと同じ立場に立った人はいても、Jaegerに匹敵する人はいなかったのだ。[6]

変ホ長調、アダージョ、4分の3拍子。

アンコール・ピースとして単独で演奏されることもあり、非常に有名な部分である。「ニムロッド」とは、楽譜出版社ノヴェロに勤めるドイツ生まれのアウグスト・イェーガー(August Jaeger, 英語式にはオーガスタス・イェイガー)にエルガーが付けた愛称。ふつう英語の「ニムロッド」は、旧約聖書に登場する狩の名手「ニムロデ」を指すが、この愛称は、ドイツ語の “イェーガー” (Jäger)が「狩人」や「狙撃手」に通ずることにちなんでいる。エルガーは第9変奏において、イェーガーの気高い人柄を自分が感じたままに描き出そうとしただけでなく、2人で散策しながらベートーヴェンについて論じ合った一夜の雰囲気をも描き出そうとしたらしい。また、この曲の旋律は2人が大好きだったというベートーヴェンのピアノソナタ第8番『悲愴』の第2楽章の旋律が下敷きになっている。

11月11日の戦没者追悼記念式典では「ニムロッド」の演奏がささげられる。

本作の中でも第9変奏は、前述のように単独で演奏されることが多く、独立させた編曲も多い。イギリスでは11月11日リメンバランス・デーにおいて、ザ・セノタフ(戦没者追悼記念碑)の前で戦没者を追悼するために王立軍楽隊によって必ず演奏される[7]。これはグスターヴ・ホルストコラール我は汝に誓う、我が祖国よ』と同様の扱いである。しかし本作は愛国主義、追悼といった意図はない。このように作者の意図によらず葬送、追悼の場面に使用されることから、イギリスの音楽家ビル・マクグフィンは『ニムロッド』をアメリカにおけるバーバーの『弦楽のためのアダージョ』になぞらえている。2012年ロンドンオリンピックの開会式に際してもイザムバード・キングダム・ブルネルが『テンペスト』の一説を朗詠する場面で、BGMとして使用された。ギリシャ国立管弦楽団が廃止になった時に最後に演奏された曲も『ニムロッド』であった。

第10変奏「間奏曲」 "Dorabella" (ドラベッラ)[編集]

INTERMEZZO: the pseudonym is adopted from Mozart’s “Cosi fan tutte”. The movement suggests a dance of fairy-like lightness. The inner sustained phrases at first on the viola and later on the flute should be noted. Dorabella was Dora Penny.[5]

間奏曲。この別名は、モーツァルトの“Cosi fan tutte”から採用されたものだ。この楽章は、妖精のような軽さをもった踊りを連想させる。はじめはヴィオラ、のちにフルートによって演奏される中間部の息の長いフレーズは重要である。DorabellaはDora Pennyであった。[6]

ト長調、アレグレット、4分の3拍子。

ドラベッラ(きれいなドラ)とは、ドーラ・ペニー(Dora Penny)の愛称。ウィリアム・ベイカー(第4変奏)の義理の姪で、リチャード・タウンゼンド(第3変奏)の義理の姉妹にあたる。木管楽器は彼女の滑舌や笑い声の模倣であるとされる。


  \relative c'' { \clef treble \time 3/4 \key g \major \tempo "Allegretto." 4 = 80 r4 r4 <b \accent g d>32 \pp (<c g d>32 <b g d>32 ) r32 r8 | <d \accent b g>32 (<e b g>32 <d b g>32) r32 r8  <g d b>16-- <fis d b>-. <fis d b>-. <e d b>-. }

第11変奏 "G.R.S."[編集]

George Robertson Sinclair, Mus. D., late organist of Hereford Cathedral. The Variation, however, has nothing to do with organs or cathedrals, or, except remotely, with G.R.S. The first few bars were suggested by his great bulldog Dan (a well-known character) falling down the steep bank into the river {Wye} (bar 1); his paddling up stream to find a landing place (bars 2 & 3) & his rejoicing bark on landing (2nd half of bar 5). G.R.S. said, “Set that to music”. I did — Here it is.[5]

George Robertson Sinclair, 音楽学博士、Hereford大聖堂の今は亡きオルガニスト。だが、この変奏はオルガンとも聖堂とも関係がないし、直接的にはG.R.S.とも関係がない。最初の数小節は、彼が飼っていたあの有名な大きなブルドッグのダンが川に落ちて(1小節目)、陸に上がれる場所を探してバタバタと進み(2, 3小節目)、陸に上がって喜んで吠えた(5小節目の後半)という出来事から連想された。G.R.S.は「この光景を音楽にしてくれ」と言った。そうしてこの楽章ができた。[6]

ト短調、アレグロ・ディ・モルト、2分の2拍子。

ヘレフォード大聖堂のオルガニスト、ジョージ・ロバートソン・シンクレア(George Robertson Sinclair)のことであるが、音楽に描かれているのはシンクレアの飼い犬ダン(Dan)である。このブルドッグワイ川に飛び込んだことがある。

第12変奏 "B.G.N."[編集]

Basil G. Nevinson, an amateur cello player of some distinction and the associate with H.D.S.-P. and the writer (violin) in performances of many trios — a serious & devoted friend. The Variation is simply a tribute to a very dear friend whose scientific & artistic attainments, & the whole-hearted way they were put at the disposal of his friends, particularly endeared him to the writer.[5]

Basil G. Nevinsonは、名の知れたアマチュアのチェロ奏者で、H.D.S.-P.および筆者(ヴァイオリン)と一緒に多くの3重奏を演奏していた。真剣で、熱心な友人だった。この変奏は大親友への素朴な追悼である。彼は、科学や芸術への造詣が深く、その知識を友人たちに惜しみなく与えてくれるので、筆者は彼をたいへん慕っていた。[6]

ト短調、アンダンテ、4分の4拍子。

ベイジル・G・ネヴィンソン(Basil G. Nevinson)は当時の著名なチェリスト。このためチェロが主旋律を奏でる。後にネヴィンソンに触発されて、エルガーは自作のチェロ協奏曲を作曲することになる。

第13変奏「ロマンツァ」 "* * *"[編集]

The asterisks have been identified as replacing the name of a lady who was, at the time of the composition, on a sea voyage. The drums suggest the distant throb of the engines of a liner, over which the clarinet quotes a phrase from Mendelssohn’s “Calm Sea & a Prosperous Voyage”.[5]

アスタリスクは、作曲当時に航海に出ていた女性の名前を置き換えるものとみなされている。太鼓は遠く離れた定期船のエンジンの振動を連想させる。その上でクラリネットがメンデルスゾーンの『静かな海と楽しい航海』のフレーズを引用する。[6]

ト長調、モデラート、4分の3拍子。

文字で示されていないため人物を特定することは困難で、今日もなお真相は解明されていない。メンデルスゾーン演奏会用序曲静かな海と楽しい航海』からの引用楽句が含まれることから、当時オーストラリア大陸に向かって旅立ったレディ・メアリー・ライゴン(Lady Mary Lygon)のことか、もしくはかつてのエルガーの婚約者で、1884年ニュージーランドに移民したヘレン・ウィーヴァー(Helen Weaver)のいずれではないかと推測されている。


  \relative c'' { \clef treble \time 3/4 \key g \major \tempo "Moderato." 4 = 76 r4^"Solo" r c~(\pp | c^"molto espress." bes4. aes8) | aes4~ aes8 }

第14変奏「終曲」 "E.D.U."[編集]

FINALE: bold and vigorous in general style. Written at a time when my friends were dubious and generally discouraging as to my musical future, this ‘Variation’ is merely to show what ‘E.D.U.’ (a “paraphrase” of a fond name for the writer) intended to do. References made to Var. I (C.A.E.) & to Var. IX (Nimrod), two great influences on the life and art of the composer, are entirely fitting to the intention of the piece. The whole of the work is summed up in the triumphant broad presentation of the theme in the major.[5]

終曲。いわゆる力強さと活気をもって書かれている。作曲当時、友人たちは私の音楽的な将来について懐疑的であり、私を失望させていた。そのため、この“変奏”は、‘E.D.U.’(筆者の愛称をもじったもの)の意図したことを示しているに過ぎない。終曲は、作曲者の人生と芸術へ偉大な影響を与えた第1変奏(C.A.E.)と第9変奏(Nimrod)を引用している。これらの引用は、この作品の意図に申し分なく適うものである。主題が長調で輝かしく大らかに提示され、作品全体が総括される。[6]

ト長調、アレグロ・プレスト、2分の2拍子。

エルガー自身。E.D.U.はすなわち「エドゥー」(Edu)に通じ、これはアリス夫人がエルガーを呼ぶときの愛称であった。第1変奏と第9変奏の余響が聞き取れる。

派生作品[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Hogwood, Christopher (2007). Preface, Variations on an Original Theme for Orchestra, op. 36. Barenreiter 
  • Elgar, Edward (1929). My Friends Pictured Within. Novello and Company. https://imslp.org/wiki/My_Friends_Pictured_Within_(Elgar%2C_Edward) パブリック・ドメイン
  • Elgar, Edward 著、Orchestra Da Vinci 訳『My Friends Pictured Within ―― 変奏曲に描かれた友人たち』2019年(原著1929年)。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス)
  • Rushton, Julian (1999). Elgar, ‘Enigma’ Variations. Cambridge University Press. ISBN 0521631750 
  • Turner, Patrick (1999). Elgar’s Enigma Variations : a Centenary Celebration. Thames. ISBN 9780905211015 

外部リンク[編集]