黒川修三

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黒川 修三(くろかわ しゅうぞう、1855年安政2年2月[1][2]) - 1922年大正11年)4月25日[2])は、日本政治家衆議院議員(1期)。

経歴[編集]

安芸国賀茂郡(のち広島県賀茂郡東志和村志和町、現・東広島市)生まれ[1]。賀茂郡書記、戸長広島県会議員、同副議長となる[2]

1890年第1回衆議院議員総選挙において広島5区から無所属で立候補するが次点で落選した[3]1892年第2回衆議院議員総選挙では中央交渉会から立候補して当選した[4]。衆議院議員を1期務め、1894年第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して次点で落選した[5]

のちに北海道に渡り、鉱山業に従事した[2]。1922年に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ a b 衆議院 編『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第202回』衆議院事務局、1940年、170頁。NDLJP:1278238 
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』234頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』5頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』11頁。
  5. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』16頁。

参考文献[編集]

  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。