鹿子母講堂

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鹿子母講堂(ろくしもこうどう、Skt:Pubbārāma Migāra-mātupāsāda)は、釈迦在世にあった寺院精舎伽藍)の一つ。東園・鹿子母堂(とうえん・ろくしもどう)などともいう。

コーサラ国の長者、ミガーラ(彌伽羅と音写し、鹿子と訳す)の夫人であるヴィサーカー(毘舎佉)という女性の在家信者が寄進して建立された寺院。舎衛城(シュラバスティー)外の東部にあった。ヴィサーカーがある日、九倶胝の晴衣を売って作り、仏僧団に奉じた。2階上下にそれぞれ500の部屋があったという。

寺院の名前はヴィサーカーのことであるが、鹿子長者に嫁した時に「我が母のようだ」と讃嘆したことから、彼女を鹿子の母、すなわち鹿子母と呼ばれるようになった。夫妻共によく仏に帰依し、また供養し祇園精舎の東に建立した。このことから東園鹿子母講堂、東園鹿子堂などというようになった。

ヴィサーカーがある日、九倶胝(倶胝は一説に億とするので、9億か?)の価値のある晴衣をつけて祇園精舎に至った。仏前に至る前に晴衣を脱いで下婢に持たしたが、還る時に下婢がこれを忘れた。阿難がこれを階段の一隅に掛けておいた。後にヴィサーカーがこれを知ったが、上座の手に触れたるものを取る能わずとして、その価値に相当するものを奉献せんと願い、仏の御言に依って精舎建立を決意し、目連を監督として九倶胝を費やし9ヶ月で完成した。上下2階に各々500の室があり、また講堂があり、そのために鹿子母講堂と呼ばれるようになった。建築および安居を願う事などにより、総額二十七倶胝(27億?)を費やしたという。ヴィサーカーはこれが成就すると、歓喜の偈を謳い講堂を巡ったという。