鶴首城

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鶴首城
岡山県
別名 成羽城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 河村四郎秀清
築城年 平安時代終期
主な改修者 三村家親
主な城主 三村氏
廃城年 1617年
遺構 曲輪跡、堀切
指定文化財 なし
位置

鶴首城(かくしゅじょう)は、備中国川上郡成羽(岡山県高梁市成羽町)にあった日本の城である。別名・成羽城。

沿革[編集]

平安時代終わりの文治5年(1189年)に奥州平定に功績のあった河村四郎秀清が築城したと伝えられている。

天文2年(1533年)、星田を本拠としていた備中の戦国大名、三村家親が城郭を整備拡張した。拠点を鶴首城に移した家親は、勢力を拡大した。

永禄4年(1561年)三村家親、元親父子は、本拠を備中松山城に移した。その後は一族の三村親成親宣父子が城主となった。

永禄9年(1566年宇喜多直家によって家親が暗殺されると、備中兵乱が激化した。元親は織田信長に味方し、これに反対した親成父子は三村一族から離反して毛利氏に味方し、鶴首城主には三村親重が城主となった。

天正3年(1575年)毛利軍により攻略され鶴首城は落城、城は再び親成、親宣父子に安堵された。しかし元親の毛利氏からの離反を止められなかったため、所領を削減された。

慶長5年(1600年関ヶ原の戦いの功績により成羽の地で7千石を得た岡家俊が入城した。だが慶長19年(1614年大坂の役で家俊の長男岡平内が大坂方に味方したため、大坂落城後、家俊は切腹させられた。

元和3年(1617年)、成羽に移封された山崎家治が入部したものの鶴首山麓に成羽城を築いて入ったため、鶴首城は廃城となった。

関連項目[編集]