鶴岡啓一
表示
鶴岡 啓一 つるおか けいいち | |
---|---|
生年月日 | 1940年5月18日(84歳) |
出生地 | 千葉県千葉市(現:中央区) |
出身校 | 東京大学法学部第2類[1] |
前職 | 国家公務員(自治省) |
千葉市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年7月1日 - 2009年5月1日 |
鶴岡 啓一(つるおか けいいち、1940年(昭和15年)5月18日[2] - )は、日本の政治家、官僚。千葉市長(第24・25代)等を歴任。
概要
[編集]略歴
[編集]千葉県千葉市(現:中央区)生まれ。千葉県立千葉第一高等学校(現:千葉県立千葉高等学校)、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[1]。1963年、自治省(現:総務省)に入省した。本省での勤務の他建設省、国土庁、福島県、山口県への出向を経験し、自治省大臣官房審議官を最後に退官。1994年4月、千葉市助役に就任し、2000年10月まで務める。
2001年6月17日に行われた千葉市長選挙に自民・公明・保守3党の推薦と連合千葉の支援を受けて立候補。共産党推薦の元市議の千葉通子、民主党推薦の元県議の河野俊紀ら5人の候補者を破り、初当選を果たした[3]。
2005年の市長選でも自民・公明2党の支持を受けて組織型選挙を展開。元郵政省職員の奥野総一郎ら3人の候補者を破り、再選。
2008年12月4日、千葉市議会本会議で次期市長選への不出馬を表明した[4]。
2009年4月22日、千葉市が発注した公共事業で東京都内の建設会社に便宜を図った見返りに100万円を受け取った収賄の容疑で逮捕された。5月1日に千葉市長を辞職[5]。
鶴岡の辞職に伴う千葉市長選挙には、副市長の林孝二郎が事実上、鶴岡後継で出馬したが、林は民主党が擁立した熊谷俊人に敗れた。
2011年3月、東京地裁は収賄罪を認め、懲役2年6月、執行猶予4年、追徴金200万円の判決を言い渡した[6]。鶴岡は控訴するも、2012年2月東京高裁は一審の判決支持、控訴を棄却した[7]。それに対し上告したが、2013年9月、最高裁により棄却され、一審・二審判決が確定した[8]。
年譜
[編集]- 1959年3月 - 千葉県立千葉第一高等学校卒業
- 1963年
- 1968年9月 - 福島県婦人児童家庭課長
- 1969年8月 - 福島県地方課長
- 1973年1月 - 建設省宅地政策課課長補佐
- 1975年4月 - 山口県財政課長
- 1979年3月 - 山口県総務部長
- 1982年7月 - 自治省固定資産税課長
- 1985年4月 - 自治省調整室長
- 1986年
- 7月 - 自治省給与課長
- 10月 - 自治省公務員第一課長
- 1987年7月 - 自治省企画課長
- 1989年7月 - 国土庁長官官房審議官
- 1990年6月
- 自治省大臣官房審議官
- 東京湾横断道路株式会社常務取締役
- 1994年4月 - 千葉市助役
- 2000年10月 - 千葉市助役を退任
- 2001年7月 - 千葉市長選挙に自民・公明・保守3党の推薦で出馬し、初当選
- 2005年7月 - 千葉市長再選
- 2009年5月 - 千葉市長を辞職
- 2011年3月 - 東京地裁が収賄罪で懲役2年6月(執行猶予4年)の有罪判決
- 2012年2月 - 東京高裁が控訴を棄却
- 2013年9月 - 最高裁が上告を棄却、判決確定
脚注
[編集]- ^ a b c 『東大人名録,第1部』1986年発行、p.141
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、116頁。
- ^ 『朝日新聞』2001年6月18日付朝刊、1面「自公保推薦の鶴岡氏当選 千葉市長選」
- ^ 『朝日新聞』2009年4月22日付夕刊、13面、「不正のうわさ絶えず 鶴岡・千葉市長『官僚的、ワンマン」』
- ^ 『朝日新聞』2009年4月28日付朝刊、ちば首都圏、25面、「『市民に迷惑かけた』 容疑は完全否定 収賄容疑の鶴岡・千葉市長が辞職申し出/千葉」
- ^ “汚職事件で前千葉市長に有罪 市発注工事めぐり収賄”. 共同通信. (2011年3月17日) 2012年2月17日閲覧。
- ^ “鶴岡被告、二審も有罪 深く一礼「上告する」 元千葉市長収賄”. 千葉日報. (2012年2月17日) 2012年2月17日閲覧。
- ^ “前千葉市長の有罪確定へ 200万円収賄、上告棄却”. 共同通信. (2013年9月5日) 2013年9月6日閲覧。