鶴岡一成

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鶴岡 一成
千葉ロッテマリーンズ コーチ #77
鶴岡コーチ2.jpg
(2017年1月22日、ロッテ浦和球場にて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県高砂市
生年月日 (1977-05-30) 1977年5月30日(39歳)
身長
体重
184 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1995年 ドラフト5位
初出場 2000年9月1日
最終出場 2016年9月8日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

鶴岡 一成(つるおか かずなり、1977年5月30日 - )は、兵庫県高砂市出身の元プロ野球選手捕手)。

現役時代には、横浜(DeNA)ベイスターズ読売ジャイアンツ(巨人)阪神タイガースに在籍。2017年からは、千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチを務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

高砂市立鹿島中学校では野球部のキャプテンとして全国大会で優勝[1]し、地元兵庫の神港学園神港高等学校に進学。3年時には4番で主将として阪神・淡路大震災の直後に開催された第67回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦は天野勇剛を擁する仙台育英高校に、二回戦は大府高校に勝利。準々決勝で後に同僚となる藤井秀悟を擁する今治西高校と対戦し、適時打を放ったものの延長13回サヨナラ負けを喫し敗退。

1995年プロ野球ドラフト会議にて、横浜ベイスターズから5巡目指名を受けて入団。背番号は「57」。

横浜時代[編集]

1996年から1999年までは二軍生活に終始。2000年9月1日の対阪神戦で、7回表に阿波野秀幸代打石井義人の代打として起用され一軍初出場を果たした。この年は3試合に出場し、プロ初安打も記録したが、一軍に定着するまでには至らなかった。2001年は9試合、2002年は12試合に出場し、アジア大会にも日本代表として出場して銅メダルを獲得。しかし2003年は一軍出場なしに終わった。

2004年には、正捕手の相川亮二アテネオリンピックに出場するため離脱、中村武志も負傷したことで出場機会を得、相川に次ぐ二番手捕手として一軍に定着した。8月24日の対阪神戦でプロ初本塁打を記録。試合数は少ないものの、自己最多の25試合に出場し、打率.400・2本塁打を記録した。

2005年には、前年の好調を保ちつつ、2番手捕手・右の代打として一軍に定着し、シーズンを通して24試合に出場した。2006年は相川の故障や投手陣の不調などにより、スタメンに名を連ねる試合が増え、結果的に自己最多の出場となった。しかし2007年は36試合の出場にとどまり、4年ぶりのシーズン無本塁打で打率.217に終わった。

巨人時代[編集]

巨人時代(2010年10月5日、横浜スタジアム)

2008年6月10日に、真田裕貴との交換トレードで読売ジャイアンツへ移籍。入団を機に、真田の背番号「43」を引き継いだ。

移籍後は、2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズで本塁打を放つなど、日本シリーズ出場に貢献。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは、右肩の故障により守備につけなかった阿部慎之助に代わり、全試合出場した。

2009年には、開幕から週に1・2試合で先発出場の機会を得た。その中でセス・グライシンガーと抜群の相性の良さを見せたため、阿部慎之助の負傷が完治した後も、グライシンガーの先発時は専属バッテリーを組んだ。4月10日の対阪神戦(東京ドーム)では自身初の2打席連続本塁打を記録した。

2010年には32試合へ出場。打率.229に終わった。

2011年には、プロ16年目にして初の開幕スタメン出場を果たした。阿部の復帰後以降は再び二番手捕手としてチームを支え、前年を上回る34試合に出場した。

DeNA時代[編集]

DeNA時代(2012年1月29日、クイーンズスクエア横浜

2011年のシーズン終了後に、出場機会の増加を求めて国内FA権の行使を表明。12月11日には、横浜DeNAベイスターズと契約したことが球団から発表された。横浜球団には4年振りの復帰[2]で、背番号は「10」。

2012年には、7月12日の対東京ヤクルトスワローズ戦で石川雅規からプロ入り初となる満塁本塁打を放つなど、自己最多となる102試合に出場した。

2013年には、開幕一軍入りはしたが開幕捕手は高城俊人に奪われ、二番手捕手としてのスタートとなった。しかし打撃不振に苦しむ高城が7月26日に一軍登録を抹消されて以降は正捕手に定着。前年を上回る108試合に出場し、自己最多となる70安打、40打点を記録。打順は主に8番と下位ながら二塁打が18本と多かった。また、得点圏打率は.303を記録した[3]。この打撃もあり、先発出場した85試合でチームは42勝42敗1分と、9月上旬までチームがクライマックスシリーズ出場を争う原動力となった[4]

阪神時代[編集]

阪神時代、現役最後の日(2016年9月28日、阪神鳴尾浜球場

2014年1月6日に、阪神タイガースが鶴岡の獲得を発表した。久保康友の国内FA権行使によるDeNA移籍に伴う補償措置[5]で、背番号は「40」。

2014年には、4月10日の対DeNA戦で移籍後初の一軍公式戦出場。「8番・捕手」としてスタメンに起用されると、フル出場で4打数2安打1打点を記録した[6]。この試合から、移籍後初のヒーローインタビューを受けた同月30日の対広島東洋カープ戦(いずれも甲子園)までは、スタメンマスクを任された10試合中9試合でチームが勝利[7]。しかし、右脇腹を痛めて5月27日に戦線を離脱[8]。6月30日に一軍へ復帰[9]した直後は、新人の梅野隆太郎と併用された。シーズン終盤からスタメンマスクを被る機会が増える[10]と、チームのシーズン3位で進出したクライマックスシリーズでも、全6試合中4試合でスタメン起用。チームの日本シリーズ進出に貢献した[11]クローザー呉昇桓とバッテリーを組んだ場合には特に相性が良く、シーズン終了後の最優秀バッテリー賞の選考では、菅野智之 - 阿部慎之助(巨人)と1票差の2位に入った[12]

2015年には、公式戦の開幕時点で、一軍正捕手の座を梅野に明け渡した。しかし、梅野が不振に陥ったことから、5月にシーズン初の一軍昇格。同月14日の対ヤクルト戦(神宮)で一軍公式戦の移籍後初本塁打を放つ[13]と、藤浪晋太郎能見篤史が先発で登板する試合で、シーズン終了までバッテリーを組み続けた。一軍公式戦全体では、チームの捕手で最も多い70試合(スタメンで57試合)に出場。とりわけ、リード面で高卒2年目の藤浪を大きく成長させた[14]ことから、シーズン後の契約交渉では推定年俸4,200万円(前年から400万円増)で契約を更改した。なお、シーズン中にFA権の取得条件を再び満たしたものの、契約交渉ではFA権を行使しなかった[15]

2016年には、前年までとは一転して、新任の一軍監督・金本知憲の方針で一軍に捕手2人制を採用。梅野・岡崎太一との間で正捕手の座を争った後に、公式戦の開幕を二軍で迎えた[16]。さらに、 4月下旬以降は、育成契約から支配下登録選手に復帰した原口文仁が一軍で台頭。新人の坂本誠志郎が夏場から一軍に抜擢されたこともあって、シーズン終盤までは一軍公式戦への出場が10試合にとどまった[17]。藤浪の調子がシーズンを通じて安定しなかったことを背景に、一軍帯同中には藤浪が先発する試合でスタメンマスクを任されていたが、9月の出場選手登録抹消を機に現役引退を決意。「野球選手である以上、一軍で戦力にならなかったら引き際」という理由で、9月29日にこのシーズン限りでの現役引退を表明した[18]。10月26日付で、NPBから任意引退選手として公示[19]。11月19日の「ファン感謝デー」では、現役引退セレモニーが催された後に、ナインから胴上げされた。

現役引退後[編集]

2016年12月7日に、千葉ロッテマリーンズの二軍バッテリーコーチに就任することが球団から発表された。背番号は「77[20]

選手としての特徴[編集]

打撃面では、下位の打順で起用されることが多いものの、パンチ力のある打撃を持ち味としている[21]

守備では若手投手を巧みにリードするインサイドワークに定評があり[22]、投手を鼓舞して引っ張っていく強気なリードを持ち味とする[23]

阪神移籍後の2014年から現役最終年の2016年までは、藤浪が先発する一軍公式戦のうち、通算33試合で捕手としてスタメンに起用。この期間に阪神へ在籍した捕手では、最も多く藤浪とバッテリーを組んだ。ちなみに、藤浪とスタメンでバッテリーを組んだ一軍公式戦では、通算で19勝6敗(勝率.760)という好成績を残している[14]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2000 横浜 3 3 3 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .333 .333 .333 .667
2001 9 7 7 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 0 .000 .000 .000 .000
2002 12 10 9 1 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .111 .200 .111 .311
2004 25 60 55 6 22 2 1 2 32 5 0 2 3 0 2 1 0 13 0 .400 .421 .582 1.003
2005 24 30 28 3 8 2 0 1 13 2 0 0 0 0 1 0 1 4 3 .286 .333 .464 .798
2006 60 146 127 7 31 8 1 3 50 16 0 0 5 1 11 1 2 39 5 .244 .312 .394 .706
2007 36 87 69 3 15 3 0 0 18 8 0 0 4 0 11 3 3 10 3 .217 .349 .261 .610
2008 27 61 52 4 15 2 0 0 17 2 1 0 5 0 4 1 0 7 3 .288 .339 .327 .666
巨人 31 56 48 4 8 2 0 2 16 6 0 0 2 0 6 0 0 12 2 .167 .259 .333 .593
'08計 58 117 100 8 23 4 0 2 33 8 1 0 7 0 10 1 0 19 5 .230 .300 .330 .630
2009 59 160 142 17 37 10 0 5 62 18 1 0 8 1 8 3 1 30 4 .261 .303 .437 .739
2010 32 43 35 4 8 1 0 0 9 0 0 0 3 0 3 1 2 8 2 .229 .325 .257 .582
2011 34 63 55 6 12 1 0 0 13 1 0 0 3 0 4 1 1 9 0 .218 .283 .236 .519
2012 DeNA 102 229 201 9 38 8 1 1 51 15 0 0 8 1 19 3 0 39 4 .189 .258 .254 .513
2013 108 318 280 27 70 18 0 3 97 40 1 0 7 4 26 3 1 50 7 .250 .312 .346 .658
2014 阪神 77 163 154 10 34 5 1 0 41 12 0 0 4 1 3 0 1 30 10 .221 .239 .266 .505
2015 70 179 153 16 35 8 0 1 46 15 0 0 10 1 15 1 0 43 2 .229 .296 .301 .597
2016 10 5 5 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
NPB:16年 719 1620 1423 118 335 70 4 18 467 140 3 2 62 9 114 18 12 303 45 .235 .296 .328 .624
  • 2003年は1軍出場なし

年度別守備成績[編集]


捕手
球団 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2000 横浜 1 0 0 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2002 横浜 10 22 10 0 0 0 1.000 0 0 0 -
2004 横浜 19 88 7 0 2 2 .979 10 8 2 .200
2005 横浜 7 24 1 0 0 1 1.000 5 5 0 .000
2006 横浜 34 211 18 0 3 0 1.000 30 22 8 .267
2007 横浜 32 183 14 4 4 3 .980 25 20 5 .200
2008 横浜 26 106 10 1 2 0 .991 17 12 5 .294
2008 巨人 29 116 7 0 1 1 1.000 8 7 1 .125
2009 巨人 54 301 29 1 4 3 .997 31 17 14 .407
2010 巨人 31 93 7 0 1 1 1.000 16 13 3 .188
2011 巨人 29 116 9 1 2 0 .992 7 6 1 .143
2012 DeNA 101 428 46 2 4 4 .996 75 55 20 .267
2013 DeNA 107 606 48 4 13 5 .994 76 53 23 .303
2014 阪神 76 376 41 3 7 3 .993 37 25 12 .324
2015 阪神 70 426 36 1 6 1 .998 31 21 10 .323
2016 阪神 10 24 1 1 0 0 .962 5 4 1 .200
通算 16年 636 3120 284 18 49 24 .995 373 268 105 .282

記録[編集]

その他の記録
  • 1打席19球:2013年8月24日、対読売ジャイアンツ19回戦(横浜スタジアム)、8回裏に山口鉄也から ※NPB最多タイ記録(史上3人目)

背番号[編集]

  • 57 (1996 - 2008途中)
  • 43 (2008途中 - 2011)
  • 10 (2012 - 2013)
  • 40 (2014 - 2016)
  • 77 (2017 - )[20]

登場曲[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 高砂市立鹿島中学校野球部 鹿島中野球部の歴史”. 2013年12月27日閲覧。
  2. ^ 補強着々 横浜DeNAに鶴岡復帰 日本ハムから2投手も獲得発表”. スポーツニッポン (2011年12月11日). 2013年12月27日閲覧。
  3. ^ 抜群の勝負強さ誇った鶴岡一成流出でDeNAの強力打線に暗雲も”. NEWS ポストセブン (2014年1月12日). 2014年1月13日閲覧。
  4. ^ ノリ&鶴岡 戦力外危機 球団“銭闘”認めず、期限は日本S終了まで”. スポーツニッポン (2013年10月30日). 2013年12月27日閲覧。
  5. ^ 阪神がFA補償による選手の獲得について”. 阪神タイガース公式サイト (2014年1月6日). 2014年1月7日閲覧。
  6. ^ 阪神鶴岡スタメン即結果”. 日刊スポーツ (2014年4月10日). 2014年4月12日閲覧。
  7. ^ 阪神 鶴岡 スタメン10試合で9勝目 移籍後初のお立ち台で「鶴岡です」”. スポーツニッポン (2014年4月30日). 2015年2月5日閲覧。
  8. ^ 阪神・鶴岡、負傷で登録抹消 代わりに日高が昇格”. サンケイスポーツ (2014年5月12日). 2014年5月27日閲覧。
  9. ^ 阪神・鶴岡、1カ月ぶりに1軍合流「ベストを尽くします」 サンケイスポーツ 2014年7月1日、同8月20日閲覧。
  10. ^ 歓喜の陰で…梅野&伊藤隼CSの“雪辱”へ汗 Fリーグでアピールへ”. スポーツニッポン (2014年10月21日). 2014年11月16日閲覧。
  11. ^ いよいよ開幕。日本シリーズは今年もベイスターズ祭り!?”. スポルティーバ (2014年10月25日). 2014年11月16日閲覧。
  12. ^ バッテリー賞選考過程 パは満場一致、セは「該当者なし」の意見も”. スポーツニッポン (2014年10月23日). 2015年2月5日閲覧。
  13. ^ 鶴岡、虎移籍1号が決勝弾に!「藤浪に勝ちが付いてほしかった」”. スポーツニッポン (2015年5月15日). 2016年2月13日閲覧。
  14. ^ a b 阪神・鶴岡引退へ 虎党支えた“良妻”決断、29日にも正式発表”. スポーツニッポン (2016年9月29日). 2016年9月30日閲覧。
  15. ^ 阪神鶴岡が400万円増で契約更改、藤浪再生を評価”. 日刊スポーツ (2015年11月25日). 2016年9月30日閲覧。
  16. ^ 阪神鶴岡二軍決定 岡崎、梅野の捕手2人制確実”. 日刊スポーツ (2016年3月22日). 2016年9月30日閲覧。
  17. ^ 阪神鶴岡が引退 21年目の今季は1軍で10試合”. 日刊スポーツ (2016年3月22日). 2016年9月30日閲覧。
  18. ^ 阪神鶴岡が引退会見「戦力にならなかったら引き際」”. 日刊スポーツ (2016年9月29日). 2016年9月30日閲覧。
  19. ^ 任意引退選手 2016年度公示”. 日本野球機構 (2016年10月26日). 2016年10月26日閲覧。
  20. ^ a b “前阪神・鶴岡一成氏 来季ロッテ2軍バッテリーコーチに就任”. スポニチアネックス. (2016年12月7日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/12/07/kiji/K20161207013863950.html 2016年12月7日閲覧。 
  21. ^ 鶴岡が急浮上!阪神、久保の人的補償候補に“ハマの正妻””. サンケイスポーツ (2013年12月26日). 2013年12月27日閲覧。
  22. ^ 阪神 FA久保の人的補償で鶴岡獲得へ 6日にも発表”. スポニチアネックス (2014年1月5日). 2014年1月5日閲覧。
  23. ^ 他球団注目 鶴岡は阪神投壊止める男”. 東スポWeb (2014年4月11日). 2014年4月12日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]