鳥越神社
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| 鳥越神社 | |
|---|---|
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| 所在地 | 東京都台東区鳥越2-4-1 |
| 位置 |
北緯35度42分7秒 東経139度47分8秒座標: 北緯35度42分7秒 東経139度47分8秒 |
| 主祭神 |
日本武尊 天児屋根命 東照宮公 |
| 社格等 | 郷社 |
| 創建 | 寛治6年(1092年) |
| 例祭 | 6月9日に近い土・日曜日 |
| 地図 |
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鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社である。白雉2年(651年)、日本武尊を祀って白鳥神社と称したのに始まるとされ、前九年の役のおり源義家がこの地を訪れ鳥越大明神と改めたと伝えられている。例大祭に出る千貫神輿は都内最大級を誇る。 例大祭(鳥越祭、鳥越まつり)は、例年6月に開催される。
祭神[編集]
- 主祭神 日本武尊
- 合祀 天児屋根命 - 仁明天皇の御代に武蔵国司となった藤原氏が、祖神を合祀した。
- 合祀 東照宮公 - 徳川家康を祀っていた松平神社(現蔵前4丁目16番付近)が関東大震災で焼失したため当社に合祀された。
歴史[編集]
景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀り[1]、その後白鳥村とよばれたこの地に白雉2年(651年)、村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされる[2]。
前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。
江戸時代までにここには三社の神社が成り一帯の約2万坪の広大な敷地を所領していたが、元和6年(1620年)、江戸幕府が全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに蔵(浅草御蔵)を造営することとし、この埋め立て用に大明神のある鳥越山を切り崩すことになり土地を没収されてしまった。さらに、大明神の北側にあった姫ヶ池も鳥越山からの客土で埋め立てられ、大名屋敷などの御用地とされた。
三社のうち熱田神社は今戸へ、第六天榊神社[1]は森田町(現・蔵前3丁目)に遷され、残った大明神が現在の鳥越神社である。
祭礼[編集]
例大祭[編集]
- 御本社宮神輿は、台輪幅4尺3寸の元祖千貫神輿で有名。
- 狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の負担も大きくより重く感じるので、昭和の初めよりその重さから都内で最も重い神輿と言われていた。
- 毎年氏子により担がれ、氏子町内を渡御される神輿としては都内でも最大級で重い神輿である。
- 本社神輿は例年、日曜の朝6時50分(発輿式は6時半から)より宮出しされ午後9時に宮入となり神社に戻る。
- 本社神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き神輿を先導し、夜8時過ぎの宮入道中では神輿の周りに提灯を付け、高張り提灯に囲まれ宮入りする。
- その荘厳かつ幻想的な姿により、夜祭りとしても有名で、暗闇の中を提灯の灯りがユラユラと揺れる事から、お化け神輿の別名もある。
- 平成9年(1997年)9月14日に、東京湾横断道路アクアラインの開通を記念し、「関東三大宮神輿」として浅草・鳥越神社の本社神輿、深川・富岡八幡宮の二之宮神輿、木更津・八剱八幡神社の宮神輿の連合渡御が行われ、木更津の地で合同奉舁が行われた。
氏子地域[編集]
- 台東区鳥越
- 台東区三筋
- 台東区小島
- 台東区元浅草(二丁目7・10・11を除く)
- 台東区松が谷一丁目1~9
- 台東区寿一丁目10~14・20・21、二丁目5~8
- 台東区台東一丁目1~6・13~26・32~38、二丁目1~6・11~17
- 台東区蔵前四丁目18・22~29・33~37
- 台東区浅草橋二丁目2・8・12の一部・13の一部・14・20~28、三丁目1~17・27~34、四丁目、五丁目
- 台東区駒形一丁目2・5(旧浅草新猿屋町)