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魏清泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

魏清泰(? - 乾隆16年(1751年))は、正黄旗包衣管領の役人であり、乾隆帝孝儀純皇后の父、すなわち嘉慶帝の外祖父である。

もとは内管領を務めていた。娘の魏氏は乾隆帝の初年、後宮に入り、後に孝儀純皇后となった。乾隆13年(1748年)、魏清泰は、すでに崩じた孝賢皇后の供物台に供える饅頭(餑餑)の準備を担当していたが、これをずっと引き延ばして備えず、「供饅頭の遅延」によって処罰された。当時、彼には「加四級(四階級の加増)」の官位が与えられていたが、そのうち二級分を剥奪することで罰とされ、結果的に二級降格となった。

乾隆16年(1751年)、娘の恩恵によって、魏清泰の一家は所属していた包衣(下級旗人)牛録(基礎的な編制単位)から抜け出し、後に「抬旗(身分昇格)」によって満洲鑲黄旗に編入された。

嘉慶元年4月、外孫の嘉慶帝の即位により、魏清泰は三等承恩公(恩賞を受けた公爵の一種)に追封され、妻の楊佳氏も一品夫人(第一等の位階を持つ貴婦人)に追贈された。

家系

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魏氏一族の始祖は清泰の高祖父綬恩である。

「綬恩は正黄旗包衣管領下の者であり、代々瀋陽の地に居住していた。入仕の年は不詳。曾孫の五十一はもと内務府総管を務めていた。元孫(孫の子)の清泰は現在、内管領を務め、清寧は現在、六品官であり、玉保住はもと庫掌(倉庫管理官)を務めていた。四世孫の吉慶は現在、筆帖式である。」(『八旗満洲氏族通譜』巻74より)
  • 高祖父:魏綬恩
    • 曾祖父:魏氏(詳細不明)
      • 祖父:魏嗣興(護軍校)
        • 父:武士宜(別名:五十一)、内務府大臣・総管
          • 魏清泰
          • 妻:楊佳氏(雍正年間に宣冊(冊封儀礼)を担当した女官)
            • 娘:孝儀純皇后魏佳氏(嘉慶帝の生母)
            • 息子:和邦額、英敏、徳保、徳馨(いずれも佐領職)
              • 孫:桂林(徳馨の子、佐領)
                • 曾孫:花沙布(桂林の子、三等承恩公、副都統、佐領)

登場作品

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伝記資料

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