魏植

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魏 植(ぎ しょく、生没年不詳)は、西晋末から五胡十六国時代の人物。

生涯[編集]

西晋に仕え、頓丘郡太守に任じられていた。

307年12月、頓丘に避難してきた流民に迫られ、西晋に反旗を翻した。兵を集めるとその規模は5・6万にも及び、それらを従えて兗州を攻撃し、大いに略奪して回った。

都督青州諸軍事苟晞は無塩に駐屯し、魏植を攻撃した。魏植はこれに敗れ、その勢力は散亡した。それ以降の生死は不明である。

参考文献[編集]