宮本身分帳事件

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宮本身分帳事件(みやもとみぶんちょうじけん)とは、1974年に現職裁判官が部外秘の受刑者個人記録(身分帳)を閲覧し、公務員職権濫用罪に問われた事件[1]

概説[編集]

東京地裁八王子支部判事補であった鬼頭史郎が1974年7月24日網走刑務所を訪れ、治安関係事件を研究している、司法研究というものがある等と述べて[2]、所長の許可を得て宮本顕治日本共産党委員長の身分帳簿を閲覧・写真撮影し、一部の写しを入手した[1]。宮本は日本共産党スパイ査問事件によって1945年6月から10月まで網走刑務所で服役していた。

このことは1976年秋に発覚し[1]10月22日からは両院の「ロッキード問題に関する調査特別委員会」や法務委員会で追及された[3][4][5]12月3日、作家の山田清三郎ら4人の一般市民[6]公務員職権濫用罪東京地検特捜部告発した[1]。「裁判官が刑務所長に身分帳簿の閲覧等を要求する行為が裁判官の職務権限にあたるか否か」が争点となり、東京地検特捜部は職権乱用罪を成立させるだけの証拠がないなどとして1977年3月18日不起訴処分にした。告発人が検察審査会に審査を申し立てるとともに[2]付審判請求をしたところ、5月6日東京地裁は請求を棄却7月19日東京第二検察審査会も不起訴相当の議決をした。告発人は抗告し、7月26日東京高裁は請求を認める付審判決定をした。鬼頭は特別抗告を申し立てたものの、8月25日最高裁はこれを棄却[2]刑事訴訟となった[1]

1978年4月28日に東京地裁判決は鬼頭を無罪としたが、控訴され、1979年12月26日に東京高裁は破棄して差し戻し、1982年1月28日最高裁も高裁判決を支持[1]1983年2月28日[7]東京地裁における差戻し一審で懲役10月・執行猶予2年の有罪判決が出て、1987年12月21日に最高裁で有罪が確定した[1]

日本共産党攻撃とのかかわり[編集]

月刊誌『文藝春秋』1976年新年号より立花隆「日本共産党の研究」の連載が始まり、宮本顕治に関係する日本共産党スパイ査問事件が取り上げられた。同誌3月号には、鬼頭の提供した、宮本の出獄直前の1945年10月に書かれた「刑執行停止上申書」と「診断書」が掲載され、国会や論壇で激しい論争を巻き起こすこととなった。

注釈[編集]

関連項目[編集]