高瀬城

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高瀬城
島根県
高瀬城遠景
高瀬城遠景
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 米原氏
築城年 戦国時代
主な城主 米原氏吉川元春
廃城年 元亀2年(1571年)か
遺構 郭、土塁、空堀、虎口
指定文化財 なし
位置 北緯35度21分46.52秒
東経132度51分48.68秒

高瀬城(たかせじょう)は島根県出雲市斐川町神庭にあった日本の城

概要[編集]

高瀬城は、米原氏によって築かれた山城。宍道湖南岸及び出雲平野の押さえとして重要視され、尼子十旗の一つに数えられた。

構造・遺構[編集]

高瀬城は、宍道湖南岸の独立性の高い丘陵上に占地し、山頂の大高瀬、一段下がった小高瀬、山麓付近の鉄砲立、の三段からなる。大高瀬と小高瀬の間の鞍部には駄置場と呼ばれる郭群が築かれ、両段間の接続に加え七曲道を通じて鉄砲立へも接続する。

主郭は大高瀬とされるが、山頂の大高瀬は削平の甘い小規模な郭からなるのに対し、小高瀬は比較的大規模な郭が連なることから、小高瀬を主郭、大高瀬を詰の城と考える向きもある。

城域には自然地形を巧みに利用しながら、横堀や土塁、竪土塁とを複雑に組み合わせて構成した防御施設が数多く存在しており、守備側のさまざまな工夫と激しい攻防戦の事実を伺わせる。

現在は登山道がよく整備され、容易に登城できる。地元では、米原氏が落城時に持ち出せずに埋めたという埋蔵金が城内に眠っているという伝説もある。

沿革[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]