高橋聡文

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髙橋 聡文
阪神タイガース #41
2016T41.jpg
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福井県大飯郡高浜町
生年月日 (1983-05-29) 1983年5月29日(33歳)
身長
体重
176 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト8巡目
初出場 2004年4月13日
年俸 5,000万円(2017年)
※2016年から3年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

髙橋 聡文(たかはし あきふみ、1983年5月29日 - )は、阪神タイガースに所属する福井県大飯郡高浜町出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

実家は和菓子屋を営み、現在は兄が継いでいる。高岡第一高等学校では、2年の時に第72回選抜高等学校野球大会に出場した。1回戦の国士舘戦は、3番右翼手で先発出場したが、小島紳二郎に完封負けを喫した。また、高校時代に中日のスカウトが学校へ高橋の投球練習を見に行ったところ、ちょうど練習試合で高橋は投げていなかったが(ケガをしていたとも言われているらしい)、監督が「バッティングも良いもの持ってますから」と急遽、代打で高橋を出したところ、初球を右翼席へ本塁打を打ち、「投手でダメだったら打者でもいける」と評価され、2001年のドラフト会議中日ドラゴンズから8巡目指名を受け入団。富山県の高校出身の選手が指名されたのは1993年に西武に4位指名で入団した尾山敦以来8年ぶり、また高岡第一高校出身の選手としては、1991年にダイエーに10位指名された田畑一也以来、10年ぶりのことだった。

中日時代[編集]

中日時代 2013年3月6日、阪神甲子園球場

入団した際にはすでに同姓の高橋光信が在籍していたため、スコアボードや報道では「高橋聡」と表記されていた。光信の阪神移籍により同姓がいなくなった為、2007年から2011年までの表記は「高橋」となったが、2012年から同姓の高橋周平が入団したため、表記は再び「高橋聡」となった。

入団後しばらくは怪我が多く、2年間一軍登板がなかった。さらに、高校2年まで野手であったため、打者転向の話もあった。

2004年落合博満監督が就任すると開幕早々に一軍に抜擢される。一軍初登板となった4月13日の対巨人戦(東京ドーム)で、8対8の同点で迎えた9回裏に清水隆行小久保裕紀高橋由伸を抑え延長10回もロベルト・ペタジーニタフィ・ローズ林昌範の計6人を2奪三振を含む凡退に抑える活躍を見せ、堂々としたマウンド捌きで強心臓ぶりをアピールした。この時は地上波テレビ放送の全国中継が既に終了し、実家にいる家族は高橋の勇姿が見られなくなり、ラジオでその後の投球内容を聴いていたという。その後は試合がもつれてきた後半の中継ぎ登板が多くなり、試合の最後までテレビ中継される衛星放送を急いで契約したとのこと。同年は中継ぎとして一軍で活躍。思いきりのいい投球で、日本シリーズでも、第7戦に登板を果たした。

2005年には、一軍公式戦でチーム最多の61試合に登板。球団記録の31試合連続無失点を達成[1]するなど、シーズン中盤までは好調を維持していたが、終盤に疲れの影響からか打ち込まれた。

2006年シーズンは序盤からなかなか波に乗れず、4度も登録抹消と一軍昇格を繰り返した。10月にチームはペナントレースを制したが、その胴上げに参加することなく来季に向けチームメイトの長峰昌司と共にドミニカ共和国ウィンターリーグへ旅立った。ドミニカでは小柄な左腕投手が剛速球を投げ込む姿が人気となり、「エレファンツで一番の火の玉投手 (el lanzallamas de los elefantes)」というあだ名を付けられる。160km/h近いと報道された速球を武器に奪三振を重ねたが、反面四球も多く、所属チームの監督からは「長峰はすぐにでもメジャーに通用するが、高橋は変化球のコントロールを覚える必要がある」とコメントされた。

2007年森繁和コーチからは中里篤史と共にセットアッパーを任されると言われていた。開幕は一軍で迎えるものの、5月に入って二軍落ち。8月から一軍に復帰し、中継ぎとして起用された。8月16日の対阪神戦、8月17日の対横浜戦で連夜の好リリーフをし、横浜戦で同年の初勝利を挙げる。首脳陣の信頼を勝ち取るかに見えたが、その後は制球の乱れから失点を重ねるケースが目立った。

2008年は、シーズン前半から好調を維持し岩瀬仁紀につなぐセットアッパーを浅尾拓也と共に任せられるようになり、また、夏には北京オリンピック野球日本代表の強化試合に故障した吉見一起の代理でセ・リーグ選抜メンバーに選ばれて1回を無安打1三振を奪う快投を見せる。また、8月12日の対広島戦で北京オリンピックで不在の岩瀬に代わり、抑えとして登板してプロ初セーブを挙げる。最終的にチーム最多の54試合に登板した。また、オフには2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の第一次候補にも選出されたが、調整面の不安を理由に辞退した。

2009年2月に4年間交際した家事手伝いの女性と結婚した。4月25日の対巨人戦で通算200試合登板を達成した。中継ぎエースとして申し分のない成績を残した前年度から一転、開幕時から不振が続き、一軍と二軍を往復する苦しいシーズンとなった。それでも後半戦、復調し終盤の試合では河原純一と共に浅尾拓也の前につなぐセットアッパーを任せられるようになり、首脳陣の信頼を勝ち取った。成績も49試合登板して防御率3点台と中継ぎとしてはそこそこな成績を残した。また、9月18日にはプロ初安打を打っている。

2010年には、プロ入り後初めて、開幕からフルシーズン一軍に帯同した。公式戦63試合登板、防御率1.61、31ホールドという成績で、左のセットアッパーの座を完全に確保するとともに、チームのセントラル・リーグ優勝に大きく貢献した。シーズン終了後には、前年から3000万円増の推定年俸6500万円で契約を更改する[2]一方で、左肩を痛めた[3]

2011年には、シーズン終盤までボールを投げられないほど、左肩痛に苦しめられた。10月14日の巨人戦(東京ドーム)で一軍に復帰した[3]が、一軍公式戦への登板は2試合にとどまった。シーズン終了後の契約交渉では、球団から年俸1億円未満の選手に対する野球協約の年俸減額上限(25%)を適用することを提示された末に、推定年俸5,250万円で契約を更改している[4]

2012年には、前年からの左肩痛の影響で開幕に出遅れたが、6月23日の広島戦(富山アルペンスタジアム)5回表に救援で登板。高校時代を過ごした富山県内の球場での登板は、プロ入り後初めてであった[5]。シーズン通算では、一軍公式戦11試合に投げたものの、防御率6.55という成績で終わった。

2013年には、シーズン序盤に出場選手登録を果たすも、故障ですぐに登録を抹消された。7月に再び登録されると、同月9日の阪神戦(沖縄セルラースタジアム那覇)でNPB史上16人目(セントラル・リーグ8人目)の公式戦1イニング4奪三振を達成するなど、一軍公式戦29試合の登板で2勝2敗5ホールド、防御率3.51という成績を残した。その一方で、10月には左小指伸筋腱の形成手術を受けた[6]。シーズン終了後の契約交渉では、球団から2011年と同じく年俸減額上限の適用を提示された末に、「自分としては(シーズン中の投球内容に)達成感がない」として推定年俸3000万円で契約を更改している[7]

2014年には、5月26日付で国内フリーエージェント(FA)権を取得。この時点では、「(権利の行使について)今は何も考えていない」という慎重なコメントを残していた[8]。一軍公式戦では、22試合の登板で0勝0敗6ホールド、防御率2.37でシーズンを終了。シーズン終了後には、国内FA権の行使を表明せず、現状維持の推定年俸3000万円で中日に残留した[9]

2015年には、4月2日の巨人戦(ナゴヤドーム)7回表2死満塁の局面から救援で登板。左打者・阿部慎之助との対戦を無失点で凌いだ直後にチームが勝ち越したため、一軍では自身2年振りの勝利投手になった[10]。一軍公式戦では、35試合の登板で、3勝3敗6ホールド、防御率3.51という成績でシーズンを終了。しかし、終了後も球団からの慰留要請がなかったこと[11]を背景に、「中日以外の球団の話も聞いてみたい」[12]として11月9日に国内FA権の行使を表明[13]同月11日に、国内フリーエージェント宣言選手としてNPBから公示された[14]

阪神時代[編集]

阪神タイガースでは、高橋による国内FA権の行使宣言を受けて、左のセットアッパー候補として高橋を獲得する意向を表明。高橋本人に対する2015年11月14日の初交渉では、選手時代に高橋と何度も対戦している一軍監督の金本知憲が、突然の電話を通じて高橋に入団を勧めるという一幕があった[15]

一方の中日は、高橋を「ぜひとも残ってもらわないといけない戦力」と評価したうえで、残留交渉の際に複数年契約などの条件を提示したことが報じられていた[12]。しかし、阪神は2015年11月23日に、高橋の入団で合意に達したことを発表した[16]。契約期間は3年で、期間中の推定年俸総額は1億5,000万円[17]12月1日の入団記者会見では、背番号41のユニフォーム姿を披露した[18]

2016年には、チームの左腕救援投手でただ1人、開幕からシーズン終盤まで一軍に帯同。54試合に登板し3勝1敗20ホールド、防御率3.76という成績を残した。また、この年にセントラル・リーグ本塁打王打点王を獲得したDeNAの左の強打者・筒香嘉智を、通算で6打数無安打に抑えている[19]

選手としての特徴[編集]

プロの投手としては小柄ながら、柔軟性のある体を躍動させるダイナミックなフォームが特徴。プロ入り後の一軍公式戦登板は、すべて救援による。太りやすい体質とのことで、体調管理などには人一倍気を付けているとのこと。

真上から振り下ろすオーバースローから平均球速145km/h[20]、最速153km/hの速球が投球の7割を占める。変化球はスライダーフォークボール、まれに100km/h台のスローカーブを投げる。絶好調時は面白いように三振を取るが、悪い時は四球を連発することが多い。好調がなかなか持続しないのが課題。2009年はフォークボールによる空振り、奪三振が増え、2010年はさらにフォークボールの精度が向上し投球が安定した。毎年のように投球回数以上、あるいはそれに近い三振を奪っている[21]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2004 中日 24 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 91 22.0 17 2 12 2 0 21 0 0 7 7 2.86 1.32
2005 61 0 0 0 0 2 1 0 13 .667 214 44.1 55 4 20 1 5 56 3 0 27 23 4.67 1.69
2006 26 0 0 0 0 1 3 0 8 .250 70 14.0 19 2 9 2 1 10 1 0 17 16 10.29 2.00
2007 25 0 0 0 0 1 0 0 4 1.000 124 27.2 29 4 10 2 3 27 1 0 14 13 4.23 1.41
2008 54 0 0 0 0 2 1 1 15 .667 222 54.0 47 4 10 2 4 48 0 0 16 14 2.33 1.06
2009 49 0 0 0 0 2 2 0 10 .500 201 49.2 38 6 14 2 2 53 3 0 17 17 3.08 1.05
2010 63 0 0 0 0 4 1 0 31 .800 250 61.1 44 3 24 0 2 62 2 0 15 11 1.61 1.11
2011 2 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 6 2.0 0 0 0 0 0 2 0 0 0 0 0.00 0.00
2012 11 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 49 11.0 11 2 6 0 2 7 0 0 8 8 6.55 1.55
2013 29 0 0 0 0 2 2 0 5 .500 112 25.2 24 2 11 1 1 29 3 0 13 10 3.51 1.40
2014 22 0 0 0 0 0 0 0 6 ---- 81 19.0 17 0 7 0 0 19 3 0 5 5 2.37 1.26
2015 35 0 0 0 0 3 3 0 6 .500 109 25.2 27 1 2 0 1 26 2 0 13 10 3.51 1.13
2016 阪神 54 0 0 0 0 3 1 0 20 .750 166 38.1 38 4 11 0 1 38 3 0 17 16 3.76 1.28
通算:13年 459 0 0 0 0 20 15 1 119 .571 1695 394.2 366 34 125 12 22 398 21 0 169 150 3.42 1.24
  • 2016年度シーズン終了時

記録[編集]

投手記録
打撃記録
その他の記録

登場曲[編集]

背番号[編集]

  • 67 (2002年 - 2015年)
  • 41 (2016年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 達成時点では単独での最長記録だったが、2016年田島慎二が開幕戦からの31試合連続無失点を達成したことから、球団タイ記録になった。
  2. ^ 中日高橋3000万増 体重は現状維持目指す日刊スポーツ 2010年12月9日配信
  3. ^ a b 高橋今季初登板「優勝に貢献したい」日刊スポーツ 2011年10月15日配信
  4. ^ 小林正、倍増の6400万円日刊スポーツ 2011年12月1日配信
  5. ^ 【中日】高橋聡第2の故郷富山で3人斬り日刊スポーツ 2012年6月23日配信
  6. ^ 中日高橋聡に友利コーチ「あのやろう~」日刊スポーツ 2014年3月21日配信
  7. ^ 【中日】高橋聡25%減3000万でサイン日刊スポーツ 2013年11月8日配信
  8. ^ 中日高橋聡、国内FA権に「今は何も…」日刊スポーツ 2014年5月26日配信
  9. ^ 中日高橋聡は現状維持「ダウン提示だと」日刊スポーツ 2014年11月19日配信
  10. ^ 中日高橋聡が2年ぶり白星 2死満塁で好リリーフ日刊スポーツ 2015年4月2日配信
  11. ^ 中日高橋聡FA宣言 球団から慰留なく行使決断日刊スポーツ 2015年11月10日配信
  12. ^ a b 中日高橋聡 球団慰留へ誠意「気持ちは伝わった」日刊スポーツ 2015年11月11日配信
  13. ^ 中日・高橋聡がFA宣言「使うことにしました」阪神などが獲得へスポニチアネックス 2015年11月9日配信
  14. ^ 2015年度 フリーエージェント宣言選手 - 2015年11月17日閲覧
  15. ^ 阪神が中日FA高橋聡と初交渉、入団決定的日刊スポーツ 2015年11月15日配信
  16. ^ 高橋聡文が阪神と契約合意 「金本監督の胴上げを」日刊スポーツ 2015年11月23日配信
  17. ^ 高橋聡の阪神移籍決定=中日からFA-プロ野球時事通信 2015年11月23日配信
  18. ^ 高橋、阪神入団会見「優勝するために」 救援左腕として活躍期すスポーツニッポン 2015年12月1日配信
  19. ^ 阪神高橋「攻められた」筒香キラー今季6打数無安打日刊スポーツ 2016年9月16日配信
  20. ^ 『野球太郎 No.004 プロ野球12球団選手名鑑』 廣済堂出版、2013年、38頁。ISBN 978-4-331-80228-1
  21. ^ 高橋聡文の成長 | プロ野球 データスタジアム | スポーツナビ+ (データスタジアム(株)ブログ 2010年4月8日閲覧)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]