高橋和雄
本来の表記は「髙橋和雄」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。 |
髙橋 和雄 たかはし かずお | |
---|---|
生年月日 | 1930年7月28日(90歳) |
出生地 |
![]() |
出身校 | 東北大学法学部卒業 |
前職 | 山形県職員 |
![]() | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1993年2月14日 - 2005年2月13日 |
髙橋 和雄(たかはし かずお、1930年(昭和5年)7月28日 - )は、山形県の政治家。山形県知事(在任期間・1993年(平成5年)2月14日 - 2005年(平成17年)2月14日)。山形県山形市出身。
経歴[編集]
旧制山形中学(現:山形東高校)、東北大学法学部を経て同大学院を修了後[1]、1953年に山形県庁に入庁。 東京事務所長、 農林水産部長、 教育長等を歴任。1986年副知事に就任し、1988年秋、病に倒れた板垣清一郎知事が東京虎ノ門病院に2ヶ月余り入院した際には板垣に代わり県政の指揮を執った。しかし、庄内空港ビル会社設立の件などから板垣の不興を買い、任期一期で退き、財団法人県生涯学習人材育成機構副理事長に転じた[1]。
1992年7月の参議院選には、金澤忠雄山形市長や社民連の阿部昭吾から連合候補として出馬を打診され、出馬に傾いたとされるが、結局断念した[1]。
板垣の健康不安による辞任で急遽実施された1993年2月の保守乱立の知事選では、岸宏一や近藤鉄雄のほか、一部自民党県議からの支援、さらに日本社会党、日本新党、社民連の推薦を得て立候補。榎本和平、降矢敬義、土田正剛、毛利健治(山形大学名誉教授)を対抗馬として初当選[1][2]、3期務めた。
高速道路整備を積極に推進した。県職員からの叩き上げであるため、県職員労働組合と蜜月の関係を築いていた。そのため、行政改革には及び腰と見られていた。
1999年に「笹かまぼこ献金事件」が発覚。当時は水面下で建設業者との癒着が疑われたが、実質「オール与党」状態の県議会(共産党は除く)や県内マスコミが深く追及しなかった為に事件は程無くして沈静化する。
2005年1月の知事選にも立候補した。県内各団体から支援を受け、オール与党状態の県議会からも強い支持を受け、盤石の体制で選挙は楽勝と思われた。しかし、衆議院議員である加藤紘一が支援する新人の齋藤弘に4477票差で敗れ、落選。敗因は現職の髙橋が年齢的に高齢だった事、県民が長期政権による閉塞感に不満を持っていた事、楽勝かと思われた事で支援団体の選挙活動が疎かになった事、「笹かまぼこ献金事件」といった深刻な髙橋県政不信などと言われている。
2008年12月、翌年1月25日に投開票の山形県知事選挙に現職である齋藤弘への対抗馬で、連合山形、民主党・社民党・共産党の各県連、県選出で自民党所属の県議会議員や国会議員の一部らの支援を受けている吉村美栄子の集会に県議経験者らと共に出席した。これは、前回の県知事選挙以来となる久々の表舞台への登場である[3]。
笹かまぼこ献金事件[編集]
県知事に在職していた1999年、『東北談合のボス』と呼ばれる鹿島建設東北支店の幹部を含む大手ゼネコン4社の幹部らが知事室に挨拶に来たが、あいにく髙橋は不在だったので大手ゼネコン4社の幹部らは髙橋へのお土産として持参した(宮城県仙台市の名産品である)『笹かまぼこ』を置いてそのまま帰った。その後、登庁した髙橋が箱を開けると笹かまぼこの下から2000万円の札束が出てきた為に、慌てて『笹かまぼこ』ごとゼネコンの担当者に返却して処理したという[誰?]。
しかし、当時の県内の公共工事の平均落札率が約97%(90%を越えても談合の可能性が高い)と異常に高く、それに加えて、当時の建設業者の間では「『天の声』が無ければ仕事が来ない」とも言われていた[4]。ただ、オール与党状態の県議会や県内マスコミからはほとんど追及されることも無くこの事件は沈静化した為に現在でも事件の真相は不明である。
なお、この事件について髙橋の支持者は「髙橋の清廉潔白を現すエピソード」というが、批判的な者は「金権体質だからそんな事件が起きた」と主張する。
脚注[編集]
- ^ a b c d 「ドン亡き後の”乱戦山形知事選を読む”史上初の保守乱立知事選 山新・山交グループの彷徨 小田桐誠」『創』1993年3月号
- ^ “県内関係者「古里思う自治の人」 岸宏一さん死去に惜しむ声”. 山形新聞 (2017年10月17日). 2017年10月19日閲覧。
- ^ 「【特報 追う】山形知事選一騎討ちの公算」 産経新聞山形版 2008年12月23日
- ^ 「談合問題の追及」前衛06年12月号
公職 | ||
---|---|---|
先代: 板垣清一郎 |
![]() 公選第13-15代:1993 - 2005 |
次代: 齋藤弘 |
|