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高橋功一 (1971年生の投手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 功一
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 秋田県能代市
生年月日 (1971-07-02) 1971年7月2日(53歳)
身長
体重
183 cm
81 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1989年 ドラフト3位
初出場 1994年5月29日
最終出場 2000年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

高橋 功一(たかはし こういち、1971年7月2日 - )は、秋田県能代市[1]出身の元プロ野球選手投手)。

来歴・人物

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能代高では3年春に県大会優勝し、東北大会でも決勝へ進むが大越基仙台育英高)と投げ合うも敗退[1]1989年のプロ野球ドラフト会議オリックス・ブレーブスから3位指名を受け入団[1]。前身である阪急ブレーブスエース山田久志氏《現・全日本少年硬式野球連盟(ヤングリーグ)会長》は同校の先輩にあたる。

入団以後4年目までは制球難や膝の故障などにより一軍登板が無かったが、5年目の1994年には高校先輩の山田久志がコーチとなりスネーク投法を武器に初の一軍に昇格し、初先発となった日本ハム戦で好投し、続く西武戦ではプロ初勝利を挙げるなど、主に先発、ロングリリーフといった登板でこの年6勝2敗の好成績を残す。スリークォーターからのカーブ、スローカーブ、シュート、スライダー、フォークが武器。

1995年は主に先発として自己最多の7勝を挙げ、初のリーグ優勝に貢献。同年の日本シリーズ第5戦にも先発した[1]

2000年には、リリーフとしてチーム最多及び自己最多となる49試合に登板するも、同年に痛めた肩の故障により2001年は一軍登板は無く現役を引退[1]

引退後は、2002年から球団職員(スコアラー)としてチームに携わる[1]2009年をもって退団した。

2015年1月30日に学生野球資格を回復[2]。現在は、兵庫県加古郡播磨町に事務所を置く「野球屋」代表[3]。野球スクール及び少年硬式野球チーム(ヤングリーグ・東加古川レッドアローズ)の運営にあたっている。年末の帰省時には地元能代市でも野球教室を開いている。

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
1994 オリックス 20 8 1 0 0 6 2 0 -- .750 314 70.0 77 4 32 1 4 45 2 0 38 35 4.50 1.56
1995 18 15 4 1 0 7 6 0 -- .538 449 104.2 100 7 41 1 3 68 2 0 39 31 2.67 1.35
1996 8 2 0 0 0 0 2 0 -- .000 104 24.0 25 2 8 0 1 16 0 0 14 13 4.88 1.38
1997 13 4 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 135 30.1 32 2 13 0 1 15 1 0 14 10 2.97 1.48
1998 21 12 1 1 0 4 5 0 -- .444 353 83.2 83 6 29 0 4 57 0 0 27 27 2.90 1.34
1999 35 8 0 0 0 3 6 0 -- .333 307 68.0 69 9 40 2 2 40 1 1 40 38 5.03 1.60
2000 49 1 0 0 0 2 2 0 -- .500 258 58.0 53 10 37 2 0 42 6 0 33 32 4.97 1.55
通算:7年 164 50 6 2 0 24 23 0 -- .511 1920 438.2 439 40 200 6 15 283 12 1 205 186 3.82 1.46

記録

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  • 初登板:1994年5月29日、対西武ライオンズ7回戦(西武ライオンズ球場)、8回裏1死に3番手で救援登板・完了、2/3回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏に吉竹春樹から
  • 初先発:1994年6月2日、対日本ハムファイターズ12回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回0/3を無失点
  • 初勝利・初先発勝利:1994年6月17日、対西武ライオンズ11回戦(グリーンスタジアム神戸)、5回1/3を2失点(自責点1)
  • 初完投勝利:1994年7月15日、対近鉄バファローズ13回戦(グリーンスタジアム神戸)、9回3失点
  • 初完封勝利:1995年9月30日、対近鉄バファローズ25回戦(グリーンスタジアム神戸)
  • 先発・毎回奪三振:1994年7月15日、対近鉄バファローズ戦(11奪三振:グリーンスタジアム神戸)

背番号

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  • 41 (1990年 - 2001年)

脚注

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  1. ^ a b c d e f プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、320ページ
  2. ^ 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 公益財団法人 日本学生野球協会. 2022年8月2日閲覧。
  3. ^ 野球屋 トップページ”. 2014年11月23日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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