高森泰男
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名前 | ||||||
カタカナ | タカモリ ヤスオ[1] | |||||
ラテン文字 | TAKAMORI Yasuo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1934年3月3日 | |||||
出身地 | 岡山県[2] | |||||
没年月日 | 2016年2月3日/83歳 | |||||
身長 | 168cm[3] | |||||
体重 | 72kg[3] | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FB | |||||
ユース | ||||||
1949-1951 | 関西高等学校 | |||||
1952-1955 | 立教大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1956-1968 | 日本鋼管 | 28 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1955-1963 |
![]() | 30 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
1962-1966 | 日本鋼管 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日 - 2016年以前)は、岡山県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。
経歴[編集]
関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。1952年に立教大学に入学。在学中の1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、第3回国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。
大学2年次の1955年に日本代表に選出され、1月2日のビルマ(保健大臣チーム)戦で初出場を果たした。大学4年次の1956年にメルボルンオリンピック予選の日本代表に選出・出場し、同年11月の本大会にも出場した[3]。
1956年に大学を卒業して日本鋼管サッカー部に入部。闘志を前面に出した激しいディフェンスで中心選手として活躍、高森のプレースタイルは後の日本鋼管のチームカラーとなるなど、強い影響力を与えた。また1962年から1966年まで選手兼任監督を務めた。また、1958年のアジア大会、1959年のローマ五輪予選、1960年の1962 FIFAワールドカップ・予選に出場するなど、通算で国際Aマッチ30試合に出場した。
なお、詳細な没年は不明であるが、2016年7月時点で故人となっている[2]。
所属クラブ[編集]
個人成績[編集]
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | - | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1967 | 鋼管 | JSL | 14 | 0 | - | ||||||
1968 | 14 | 0 | - | - | 14 | 0 | |||||
通算 | 日本 | JSL | 28 | 0 | - | ||||||
総通算 | 28 | 0 | - |
代表歴[編集]
出場大会[編集]
- メルボルン五輪 (1956)
- アジア競技大会 (1958,1962)
- ローマ五輪予選 (1959)
- 1962 FIFAワールドカップ・予選 (1960)
試合数[編集]
- 国際Aマッチ 30試合 0得点(1955-1963)
日本代表 | 国際Aマッチ | その他 | 期間通算 | |||
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年 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
1955 | 5 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 |
1956 | 3 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 |
1957 | 0 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 |
1958 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 |
1959 | 10 | 0 | 7 | 0 | 17 | 0 |
1960 | 1 | 0 | 10 | 1 | 11 | 1 |
1961 | 2 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 |
1962 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
1963 | 2 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 |
通算 | 30 | 0 | 40 | 1 | 70 | 1 |
指導歴[編集]
- 1962年-1966年 日本鋼管 選手兼任監督
監督成績[編集]
- 全国社会人サッカー選手権大会 優勝(1965年)、準優勝(1966年)
- 第21回国民体育大会 準優勝(1966年)
出典[編集]
- ^ 『日本代表公式記録集2008』 日本サッカー協会、2008年、563頁。
- ^ a b “リオへ、ファジ矢島が五輪初出場 岡山勢男子は60年ぶり2人目”. 山陽新聞 (2016年7月1日). 2016年7月8日閲覧。
- ^ a b c “メルボルンオリンピック”. 日本サッカー協会. 2016年7月8日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 高森泰男 - Olympedia (英語)
- 高森泰男 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語)
- 高森泰男 - National-Football-Teams.com (英語)
- 高森泰男 - WorldFootball.net (英語)
- 高森泰男 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- 高森泰男 - FIFA主催大会成績 (英語)
- 日本代表歴代記録 - 日本サッカー協会