高村祐

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本来の表記は「髙村祐」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。
髙村 祐
福岡ソフトバンクホークス 一軍投手コーチ #98
H takamura20150524.jpg
西武プリンスドームにて(2015年、楽天コーチ時代)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県宇都宮市
生年月日 (1969-09-02) 1969年9月2日(47歳)
身長
体重
177 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1991年 ドラフト1位
初出場 1992年4月8日
最終出場 2005年7月6日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

髙村 祐(たかむら ひろし、1969年9月2日 - )は、栃木県宇都宮市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ。現在は福岡ソフトバンクホークス一軍投手コーチ。

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

宇都宮市立西小学校時代、クラブチーム・西あかつきで野球を始める。宇都宮市立一条中学校を経て、栃木県立宇都宮南高等学校に入学。第58回選抜高等学校野球大会で準優勝を果たす。その後、法政大学に進学。野球部同期に諸積兼司がいる。実力は申し分無くチームのエースとして活躍したシーズンもあった(1990年春の東京六大学リーグ戦で防御率1位を獲得)が、最上級生として迎えたシーズンでは目立った活躍もなくプロのスカウトにアピールすることができなかった。しかし4年秋、スポーツ紙に東京六大学野球リーグ戦で150キロを記録したと書かれたこともある。

1991年のドラフトにおいて近鉄バファローズから1位指名を受け、入団。ビデオで高村の投球を見た近鉄監督・仰木彬が、スカウトから競合無しの単独1位で獲得できる状況を説明されて「本当なのか!?」と驚いたエピソードもある。

プロ入り後[編集]

近鉄時代[編集]

1年目から13勝を挙げ、自身と同い年で同じ1991年1位指名の福岡ダイエーホークス・若田部健一を抑え新人王に選出される。学生時代、若田部がバルセロナ五輪予選日本代表入りしたのに対し高村は代表落ちし、ドラフトでも若田部の4球団競合に対し高村は近鉄のみの指名と若田部より低い評価だったが、それを逆転させた(但し若田部も、新人王を争ったことに対してパ・リーグ会長特別賞を受賞している)。通算勝ち星は、高村が若田部より12勝多い。しかし2年目以後は、チームの低迷もあり二桁勝利を挙げた年はなかった。

1993年2年目のジンクスに陥り、5勝11敗、防御率4.96と不本意な成績でシーズンを終えた。

1994年も前年同様防御率4点台と安定感を欠いたが、9勝10敗とやや盛り返した。

1995年は故障の影響で10試合の登板で5勝4敗の成績で終わった。ただ3完投を記録した他、防御率1点台と安定感はあった。

1996年、初の開幕投手を務め4連勝したものの、その後は勝ち星に恵まれず7勝8敗と期待された成績を残すことはできなかった。

1997年、開幕戦では2年連続開幕投手に指名され、大阪ドーム初の公式戦で先発し勝利投手となった。しかし、その後は前年とほぼ同じ成績しか残せず勝ち星を1つ上積みして8勝しただけだった。

1998年、3年連続開幕投手を務たが、負け数が先行してしまいリーグ最多の14敗を記録した。

1999年7月2日の対千葉ロッテマリーンズ戦で、それまで無失点と好投していたが、7回裏2死1、2塁の場面でダブルスチールをしかけられ、その時の投球を的山哲也が捕逸したため二塁走者の大塚明がホームイン。これに切れた高村はグラウンドにグラブを投げつけてしまい、一塁走者の堀幸一まで生還させてしまった。この年は精彩を欠き、16試合の登板に終わり、3勝6敗、防御率4.24の成績で終わった。

2000年も不振を脱却できず、前年同様3勝しか挙げられなかった。

2001年5月1日、対日本ハムファイターズ戦で初回先頭打者の井出竜也に初球を本塁打されるも完投。しかしチームは0-1で敗れ、史上初の“初球負け”を記録する。近鉄はリーグ優勝を果たしたが高村自身は5勝9敗防御率4.92と成績を残せず日本シリーズでの登板機会はなかった。

2002年も安定感を欠いたが、9勝10敗と一定の成績は残した。

2003年は当初は先発だったが、前年オフに絶対的な守護神だった大塚晶文中日ドラゴンズに移籍したことで、抑えを固定できなかったチーム事情からシーズン途中から抑えを任され、9セーブを挙げた。

2004年シーズン途中に巨人元木大介との交換トレード東京中日スポーツで報じられたが誤報であり、訂正記事が出された。同年は近鉄最後の年となり、オフにオリックスブルーウェーブと合併することが決定した。自身は再び先発に戻った。9月24日、近鉄の本拠地・大阪ドーム主催最終戦(対西武ライオンズ戦)で先発投手となる。同年は2勝2敗の成績に終わった。そのオフ、分配ドラフト東北楽天ゴールデンイーグルスに入団。

楽天時代[編集]

2005年はわずか1試合しか登板できなかった。オフに戦力外通告を受けた。

引退後[編集]

戦力外通告後、12球団合同トライアウトに参加し、その後横浜ベイスターズ中日ドラゴンズの入団テストを受ける。しかし不採用となり、自身と同じく近鉄ドラフト1位でプロ入りし自身と同時に楽天を自由契約になった小池秀郎と共に、NOMOベースボールクラブに復帰へ向け参加(小池は現役投手兼コーチ、高村は部外者として練習参加)。

2006年10月6日、楽天の二軍投手育成コーチ就任。2009年より同二軍投手コーチ。2012年より再び二軍投手育成コーチ。2015年より一軍投手コーチ同年10月7日退団[1]。11月9日に2016年からは福岡ソフトバンクホークスの二軍投手コーチに就任することが発表された[2]2017年からは一軍投手コーチ[3]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1992 近鉄 28 28 3 1 0 13 9 0 -- .591 765 180.0 156 26 71 0 9 153 4 0 69 63 3.15 1.26
1993 23 22 5 0 1 5 11 0 -- .313 581 132.1 137 18 52 1 4 128 6 0 78 73 4.96 1.43
1994 24 22 4 2 1 9 10 0 -- .474 551 125.2 142 9 36 2 3 130 2 0 74 65 4.66 1.42
1995 10 10 3 1 0 5 4 0 -- .556 306 75.1 64 4 23 0 5 69 3 0 23 16 1.91 1.15
1996 18 18 7 2 1 7 8 0 -- .467 525 125.2 112 10 50 3 1 82 4 0 61 55 3.94 1.29
1997 23 23 3 1 0 8 9 0 -- .471 657 145.2 171 9 61 1 6 95 3 1 82 77 4.76 1.59
1998 25 25 4 3 0 8 14 0 -- .364 702 159.0 161 20 74 5 9 83 9 0 91 86 4.87 1.48
1999 16 16 0 0 0 3 6 0 -- .333 408 91.1 94 11 50 2 6 48 2 1 49 43 4.24 1.58
2000 17 12 0 0 0 3 5 0 -- .375 301 68.1 65 6 35 1 2 41 4 0 38 37 4.87 1.46
2001 21 21 2 0 0 5 9 0 -- .357 431 93.1 107 18 50 2 4 68 6 0 58 51 4.92 1.68
2002 29 20 0 0 0 9 10 0 -- .474 600 137.0 146 22 49 4 3 97 4 0 67 63 4.14 1.42
2003 39 9 0 0 0 6 4 9 -- .600 358 80.1 87 10 34 2 1 65 4 0 39 37 4.15 1.51
2004 13 11 1 0 0 2 2 0 -- .500 270 60.2 69 11 28 0 3 35 3 0 32 32 4.75 1.60
2005 楽天 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 15 2.0 8 1 1 0 0 0 0 0 9 9 40.50 4.50
通算:14年 287 238 32 10 3 83 102 9 0 .449 6470 1476.2 1519 175 614 23 56 1094 54 2 770 707 4.31 1.44
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初登板・初先発:1992年4月8日、対日本ハムファイターズ2回戦(藤井寺球場)、2回2/3を4失点で敗戦投手
  • 初奪三振:同上、2回表に片岡篤史から
  • 初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1992年5月2日、対千葉ロッテマリーンズ4回戦(千葉マリンスタジアム
  • 初セーブ:2003年6月28日、対日本ハムファイターズ15回戦(東京ドーム)、9回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
節目の記録
  • 1000投球回:1999年6月6日、対福岡ダイエーホークス12回戦(大阪ドーム)、4回表2死目に松中信彦を一塁ゴロで達成 ※史上279人目
  • 1000奪三振:2003年4月10日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、1回裏にサブローから ※史上110人目

背番号[編集]

  • 24 (1992年 - 2005年)
  • 842007年 - 2015年)
  • 98 (2016年 - )

登録名[編集]

  • 高村 祐 (1992年 - 2000年)
  • 髙村 祐 (2001年 - )

脚注[編集]

  1. ^ 来季のコーチ契約に関して”. 東北楽天ゴールデンイーグルス・公式サイト. 2015年10月7日閲覧。
  2. ^ 新入団コーチのお知らせ福岡ソフトバンクホークス公式サイト
  3. ^ 2017年 コーチングスタッフについて - 福岡ソフトバンクホークス・オフィシャルサイト 2016年10月28日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]