高城町 (薩摩川内市)

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高城町
薩摩川内市立高来小学校
薩摩川内市立高来小学校
高城町の位置(鹿児島県内)
高城町
高城町
北緯31度50分58.5秒 東経130度17分21.5秒 / 北緯31.849583度 東経130.289306度 / 31.849583; 130.289306
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口
2011年4月1日現在)
 • 合計 2,206人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
895-0211

高城町(たきちょう Taki-Chō)は、鹿児島県薩摩川内市大字[1]。旧高城郡高城郷麓村、高城郡高城村大字麓薩摩郡高城町大字麓、川内市高城町郵便番号は895-0211。人口は2,206人、世帯数は1,093世帯(2011年4月1日時点)[2]

「高城」という地名は当地に高い城(妹背城)があったことに由来している[3]

地理[編集]

薩摩川内市の西部、高城川下流域に位置し、南流する高城川によって形成された沖積平野は京セラ川内工場や宅地となっている。字域の北方は城上町、南方は御陵下町、南方から西方にかけて上川内町、西方は陽成町、東方は田海町運動公園町国分寺町に接している。

中央部を南北に鹿児島県道341号吉川川内線が通っており、字域の中央部に薩摩川内市立高来小学校があり、南部には京セラ川内工場が所在している。

歴史[編集]

成立から町村制施行まで[編集]

麓という地名は江戸期より見え、薩摩国高城郡高城郷(外城)のうちであった。江戸前期までは妹背城を中心に北方にあたる地域を上之村、南方にあたる地域を下之村と称していた。その後、下之村は麓村、上之村は城上村と称されるようになった[4]

村高は「加増目録」では574石余、「旧高旧領」では1,297石余であった。村域内には薩摩街道が通っており、郷士集落に接する街道筋に位置する旅宿等によって野町が形成された[4]

町村制施行以後[編集]

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、それまでの高城郷の区域より高城村が設置され、江戸期の麓村は高城村の大字「」となった。1960年(昭和35年)には高城村が町制施行し、高城町となったのに伴い高城町の大字となった[4]

1965年(昭和40年)には高城町が川内市に編入され、同時にそれまでの大字麓は「高城町」に改称された[3]1999年平成11年)に陽成町字堀之内の一部を高城町字一戦川の一部に編入し、高城町字妹野尾の一部が陽成町字堂ノ尾口の一部となった[5]2000年平成12年)8月1日には高城町及び中郷町の一部より運動公園町が設置された[6]

2004年(平成16年)には川内市等が新設合併し、薩摩川内市となり、薩摩川内市の大字「高城町」となった。

字域の変遷[編集]

実施後 実施年 実施前
高城町字一戦川の一部 1999年平成11年) 陽成町字堀之内の一部
陽成町字堂ノ尾口の一部 高城町字妹野尾の一部
運動公園町 2000年平成12年) 高城町及び中郷町の各一部

施設[編集]

公共
  • 高来地区コミュニティセンター
教育
郵便局
  • 高城郵便局
寺社
  • 高城神社
  • 光明坊
  • 萩迫教友社
  • 報恩寺
企業

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[7]

大字 番地 小学校 中学校
高城町 全域 薩摩川内市立高来小学校 薩摩川内市立平成中学校

交通[編集]

道路[編集]

県道

著名な出身者[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 川薩地区合併協議会 町・字の取り扱いについて
  2. ^ 統計データ(町別住民基本台帳人口) - 薩摩川内市公式ウェブサイト 2011年4月25日閲覧。
  3. ^ a b 角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.402
  4. ^ a b c 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.568-569
  5. ^ 平成11年鹿児島県告示第1541号(字の区域の変更、平成11年12月17日付鹿児島県公報第1533号所収)
  6. ^ 平成12年鹿児島県告示第885号(町の区域の設定及び変更、鹿児島県公報平成12年7月7日付所収)
  7. ^ 薩摩川内市 義務教育”. 薩摩川内市役所. 2010年9月18日閲覧。
  8. ^ 『鹿児島県薩摩郡高城村沿革史 續編』 p.163 - 高城村史実保存会、1933年出版

関連項目[編集]

座標: 北緯31度50分58.5秒 東経130度17分21.5秒