騒速

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騒速(そはや)は、坂上田村麻呂が奥州征伐に遠征する際、兵庫県加東市清水寺に祈願し、無事帰京したことから奉納したと伝えられる大刀[1]お伽草子浄瑠璃などではそはやのつるきそばやの剱草早丸素早の剣素早丸神通剣などとも表記される[2][3][4][5]

騒速と呼ばれる1口の大刀と、その副剣とされる2口の大刀の合わせて3口が「大刀 三口 附拵金具十箇」として1981年6月9日に重要文化財に指定され、いずれが騒速か判明していないため1号大刀、2号大刀、3号大刀と呼称されている。現在まで清水寺に所蔵され、腐食が進んでいることから東京国立博物館で保管されている[注 1]

ここでは「大刀 三口 附拵金具十箇」として記述する。

概要[編集]

所蔵する清水寺の寺伝によると「桓武天皇の頃、征夷大将軍坂上田村麻呂丹波路より参籠、蝦夷の逆賊高麿を討取り、鈴鹿山鬼神退治を遂げたが、聖者大悲観音の霊験を受けその報謝として佩刀騒速、副剣の2振を奉納す」とある[注 2]

平安期の作。刃長41.1cmの切刃造のものを「1号大刀」、刃長43.2cmと43.1cmの鋒両刃造のものをそれぞれ「2号大刀」「3号大刀」としている[注 3]。これら三口は通常の大刀に比べて寸法がやや短いものの、いずれも鎬筋がやや中央により、特色として浅い反りがある。鍛えは板目肌流れ、刃文は2号大刀が刃を焼き、1号大刀と3号大刀は刃文がない。拵の金具は金銅製の竹の節のような形で、の中央が刻まれていることから唐鐔風のが付属していた可能性がある。奈良末期から平安時代中期にかけて直刀から弯刀へと変遷する過程のものとして極めて資料的価値が高い。坂上田村麻呂の大刀と伝え、『集古十種』にも所載されている[6][7]

『集古十種』では「田村丸剣」として身1尺7寸6分強、身1尺7寸5分、身1尺3寸6分強の3口が記載され、附として竹の節を模した鍔金具の竹作大刀拵であったことが確認できる[注 4]

観智院本銘尽』には安綱の項目に「田村将軍そは矢の剣 作上手也」とあり、安綱作とされる。

伝承[編集]

田村三代記[編集]

奥浄瑠璃『田村三代記』には星丸(後の初代田村)の誕生を書いた「星砕の段」は、妖星[注 5]が大空で砕け降り注いで産まれた星丸が剣と鏑矢を持ち産まれた場面である[2]。このときに星丸と共に産まれた剣がソハヤであり、鏑矢は神通の鏑矢である。この剣と鏑矢は物語中で重要な役回りをもつため、この後も幾度となく登場する。

ソハヤは、初代田村と繁井が池に住む大蛇(龍)の龍佐王との間に産まれた大蛇丸(後の二代田村)へと渡る。大蛇丸が二代田村として成長し、奥州の争乱を鎮める段において、その出立の様子を「長絹の直垂、美精好の大靴、ソハヤの太刀をつけ、漣(さざなみ)と名付けた名馬に金覆輪の鞍を置かせて乗り、金折烏帽子を輝かせ、三千余騎を率いて都から奥州へ出立した」と描かれている。この二代田村と九文屋長者の下女であった悪玉との間に千熊丸(後の三代田村)が産まれた[2]。渡辺本『田村三代記』では悪玉御前の上洛の段で「夫より祖父大納言より、そばやの剱給はりて」とあり、田村三代に渡ってソハヤが受け継がれている描写がされる[8]

千熊丸が成長して三代田村の物語に入ると、ソハヤが振るわれる場面が数多く登場することになる。帝より鈴鹿山の立烏帽子を急ぎ退治せよとの宣旨を受けた三代田村将軍が、紆余曲折を経て御殿で学問をしている立烏帽子を見付けるも、見惚れてしまいなぜ討たねばならぬと葛藤する。しかし「ソハヤを鞘からはずし立烏帽子めがけて障子越しに投げ入れた。立烏帽子も騒がず長い髪の毛をさっと掻き上げ、側の大通連を抜いて投げ懸ける[注 6]。二振りの剣は中空で渡り合う。田村のソハヤは鳥となって立烏帽子に飛び懸かれば、立烏帽子の持った大通連は鷹と成って追い出し、ソハヤが火焔となって吹き懸かれば、大通連は水となって消す。」田村将軍は太刀では敵わぬと障子を開いて飛び込んだが立烏帽子から「私は三明の剣で貴方の御首を一瞬に討ち落とすことができます。しかしあなたのやさしさを知りました。今日より悪心を翻して貴方に馴れ初め、日本の悪魔共を随わせて進ぜましょう。ご返事は」と決断を突きつけられ比翼連理、偕老同穴の契りを交わした[2]

高丸討伐の段では、立烏帽子の十二の星が天下り稚児の舞に釣られた高丸親子を鏑矢で打ち取った。残る鬼神が火焔を吹き出して抵抗するも、三代田村と立烏帽子はソハヤ、大通連、小通連、顕明連の四振りの剣を投げ掛ける。剣は虚空に飛び上がり雨や霰のように振り懸かり、鬼神は残らず討たれてしまった[2]

その後、大嶽丸退治の段においても大嶽丸の眷属の鬼神たちにソハヤなど四振りの剣を投げかけ打ち取った。しかし霧山禅定へ追い詰めた大嶽丸へ四振りの剣を投げ掛けるも、大嶽丸を逃がしてしまう。麒麟が窟へ逃れ籠った大嶽丸に再度四振りの剣を投げると、大嶽丸の体は四つに切り裂かれた[2]

『田村三代記』の末尾には屋代本『平家物語』や『源平盛衰記』の「剱の巻」に相当する部分が挿入される。古態を残す渡辺本『田村三代記』の「つるぎ譚」によると、鈴鹿御前の形見として田村に託された大通連・小通連が田村に暇乞いをして天に登り、3つの黒金となったものを箱根の小鍛冶に打たせたものがあざ丸しし丸友切丸の3つの剣であり、ソハヤは毘沙門堂に納め置いた[9][3]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 播州清水寺 御開帳”. 清水寺 (加東市). 2017年10月6日閲覧。
  2. ^ 境内に『坂上田村麿呂佩刀を奉納す』の由緒書きがある
  3. ^ 三口のうちいずれが騒速であるか明確ではないため
  4. ^ 『集古十種 刀剣之部』播磨国清水寺蔵田村丸剣太刀図
  5. ^ 妖星は彗星や流星など凶事の前兆とされる
  6. ^ 松本幸三郎『田村三代記 全』ではそはや丸を投げたあとに「こんじゃく丸」という剣を投げ、立烏帽子は小通連を投げ返している

出典[編集]

  1. ^ 森戌 2001, pp. 72-73.
  2. ^ a b c d e f 阿部幹男 2004, pp. 9-38.
  3. ^ a b 阿部幹男 2004, pp. 308-319.
  4. ^ 室町時代物語大成』「第七 しみ‐すす」横山重、松本隆信編、角川書店、1979年
  5. ^ 室町時代物語大成』「第九 たま-てん」横山重、松本隆信編、角川書店、1979年
  6. ^ 日本刀図鑑 2015, p. 32.
  7. ^ “国指定文化財データベース”. 文化庁. 2015年4月26日閲覧。「大刀」より
  8. ^ 阿部幹男 2004, p. 292.
  9. ^ 阿部幹男 2004, pp. 180-183.

参考文献[編集]

  • 御伽草子『鈴鹿の草子』
  • 御伽草子『鈴鹿の物語』
  • 奥浄瑠璃『田村三代記』
  • 森戌 『百観音霊場巡拝記』 文芸社、2001年ISBN 978-4-8355-1591-5
  • 阿部幹男 『東北の田村語り』 三弥井書店〈三弥井民俗選書〉、2004年1月ISBN 4-8382-9063-2
  • 『別冊宝島 2346号 日本刀図鑑』 宝島社2015年、32頁。ISBN 978-4-8002-4090-3

外部リンク[編集]

関連項目[編集]