駒形十吉

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駒形 十吉(こまがた じゅうきち、1901年2月4日 - 1999年2月7日)は、日本実業家。元大光相互銀行会長、新潟総合テレビ(NST)社長。新潟県長岡市出身。

来歴・人物[編集]

米穀商・醤油醸造業を営んでいた駒形宇多七の三男(11人兄弟の10番目)として生まれる。新潟県立長岡中学校卒業、旧制新潟高等学校中退。大阪の株式取引商で実務経験を積む。1922年に父の死去に伴い長岡へ帰郷、家業に従事する。1928年には北陸産業無尽の設立に参画、1941年には国民無尽商会との合併に伴い1942年3月10日に大光無尽を開業、代表取締役社長に就任(1951年大光相互銀行へ改組)。1946年から1962年まで長岡商工会議所会頭を務め、長岡地区は元より新潟県内の経済振興、発展に寄与した。1972年には前社長桜井督三の後を受け、開業当時から個人大株主であった新潟総合テレビ(NST)社長に就任。大光相互銀行の社長職は後に子息の斉へと譲る。

1970年代、地元選出の国会議員である田中角栄との交友を最大限に生かし、新潟県外に積極的に進出した。しかし東京支店を中心に大口融資の拡大を続けた結果、融資額と債務保証額が預金額を大幅に超えるオーバーローン状態に陥り、簿外債務保証が1979年4月に743億円に達している事が発覚、214億円の累積赤字を計上した。そして1979年秋に強制捜査を受けてこの件が白日の下に曝されると、1980年春には上場廃止となり、これを引責する形で駒形一族は大光を追われた。なお大光相互銀行は都市銀行・地元地方銀行・全相互銀行等88機関から540億円の低利融資を受け再建を図り、1988年9月に融資返済により再建を完了している。

また、NST社長については個人大株主であったことから留任し、1990年代半ばまで実権を掌握し続けた。NSTはかつて大晦日深夜(元日未明)にはキー局フジテレビのネット受けを行わず、駒形自らの出演による10分間の「社長挨拶」を放映していたことからも、それが窺える。銀行と同様、NSTでも積極的な営業を実施しており、その結果同社の広告等での営業収益が開局時よりも大幅に伸長したことでも知られている。

現代美術収集家としても知られ、大光やNSTの社内には「大光コレクション」と呼ばれる数多くの美術品が飾られていた他、大光は長岡市内に私設美術館も持ち(長岡現代美術館)、一般にもこれらコレクションを公開していた。しかしこの乱脈融資事件をきっかけに経営危機に陥った大光は、国や各地の金融機関から融資を受けるため現代美術館を閉鎖し、これら収蔵品の約半分が全国各地の美術館などへ売却され散逸することとなった。その際、売却を免れた一部の作品は現在、同市の新潟県立近代美術館とNST長岡支社敷地内にある駒形十吉記念美術館に収蔵されている。

関連項目[編集]