香良洲神社

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香良洲神社
Karasu shrine 1st Torii.jpg
香良洲神社(2013年)
所在地 三重県津市香良洲町3675-1
位置 北緯34度38分39.8秒
東経136度32分37.4秒
座標: 北緯34度38分39.8秒 東経136度32分37.4秒
主祭神 稚日女尊
御歳大神(相殿神)
社格 県社
創建 欽明天皇代(539年 - 571年
大同2年(807年
本殿の様式 神明造
別名 お加良須さん
例祭 夜がらす祭(7月15日
主な神事 宮踊り(8月15日 - 8月16日
地図
香良洲神社の位置(三重県内)
香良洲神社
香良洲神社
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本殿(2013年)
2012年8月、落雷で被災した[1]
小香良洲社(2013年)
落雷で被災した香良洲神社の仮本殿にもなっている。

香良洲神社(からすじんじゃ)は、三重県津市香良洲町にある神社近代社格制度に基づく旧社格は県社で、香良洲町の町名の由来となった神社である[2]

伊勢神宮皇大神宮(内宮)の祭神・天照大御神の妹神とされる稚日女命(わかひるめのみこと、天稚日女命とも)を祀る[3]。このため「お伊勢詣りをして加良須に詣らぬは片参宮」と言われ、年中参拝者が絶えなかったという[4]

概要[編集]

主祭神は稚日女命、相殿神として御歳大神を祀る[5]社殿神明造で、天照大御神の妹神とされる稚日女命を祀るが、文献には伊勢神宮との関係は書かれていない[6]神体は石で、本殿内に白木の箱に入れて納められている[1]。20年に一度遷宮を行う[7]。主祭神の稚日女命は婦人の守護神だとされ、機織との関係があることから紡績業界からの信仰、神功皇后の軍船を守護し導いたという神話から航海の神・海の守り神としても信仰されている[6]。神宮との関係から教派神道大本の関係者の参拝も多く行われてきた[8]

神域は伊勢湾に面した松林の中にある[9]境内は9,997あり[10]、本殿や拝殿[9]のほかに境内社の小香良洲社、大国社、稲荷社、浜宮、忠魂社、厩社、絵馬写真を奉納する絵馬殿がある[11]。小香良洲社は稚日女命の荒魂と香良洲町内11社から合祀した神々を祀る[12]。社宝として、「伯爵東郷平八郎元帥自筆の額」と「徳富蘇峰自筆の額」を有する[10]

歴史[編集]

社伝では飛鳥時代欽明天皇の代(539年 - 571年)に香良洲の浜に夜ごと御神火が現れ、住民が祟り(たたり)だと恐れを成し、一志直青木が祈りを捧げ、神の御心を問うた[6]。すると稚日女命のお告げがあり、生田神社兵庫県神戸市)から勧請して創建された[6]。別の説では大同2年(807年)創建という[3][13]。大同2年は、大伴文守が平定のために伊勢国に赴き、平定後に香良洲神社へ参詣し、和平の誓約としてを奉納した年である[13]

延喜式』には稲葉神社として記載され、祭神は稲羽八上比売命とその子木俣神の2柱であり、俗称が加良須社だとしている[6]。ただし、香良洲神社ではなく津市稲葉町の稲葉神社を『延喜式』の稲葉神社であるとする説もあり、内務省1874年(明治7年)9月に調査を行い、1875年(明治8年)6月に稲葉町の稲葉神社を式内社に比定、可良須社は式外社の香良洲神社となった[14]

社殿の造営修理には慶長1596年 - 1615年)まで伊勢国司が、慶長以降は津藩主の藤堂氏が資金を拠出し、藤堂氏は寛延年中(1748年 - 1750年)に30石余を神領として寄進した[13]。このように香良洲神社は半ば官幣社としての待遇を受けた一方で、境内にある小香良洲社は純粋に産土神として祀られてきた[13]。社務は山田三方の上部家が預かった[15]。香良洲神社に参らなければ片参宮と言われたことから、江戸時代に一年中多くの人々がお伊勢参りの往路または帰路に香良洲神社へ参っていた[4]

1875年(明治8年)に郷社に列せられ、1882年(明治15年)に県社に昇格、1906年(明治39年)に神饌幣帛料供進社に指定された[13]2012年(平成24年)8月11日午後2時50分頃、落雷が原因と見られる火災が発生し、茅葺きの本殿屋根全面が焼けた[1]。神体は無事であった[1]

分社[編集]

以下の4社が香良洲神社の分社である[16]

祭事[編集]

例祭は、7月15日夜がらす祭8月15日から8月16日宮踊りの2つが大きく、4月21日に遷座記念祭兼春祭(祈年祭)、11月25日に秋祭(新嘗祭)も行われる[17]6月30日には茅の輪くぐりがある[9]。そのほか毎月1日と15日の月次祭、祝日の祭礼がある[10]

夜がらす祭[編集]

夜がらす祭は、その名の通り夜に行われる祭りであり、三重県では珍しい夜に参拝する神事である[18]。境内では地元の青年団婦人会などの会員による手踊りが奉納され、花火も行われる[18]。 婦人会の会員はそろいの浴衣を着て踊り、祭りの客も輪に入って踊る[19]

宮踊り[編集]

三重県の他の地域で「かんこ踊り」[注 1]と呼ばれるものと同様であるが、「かんこ」よりも大きな太鼓を使うのが特徴である[2]。香良洲町外では「けんか踊り」の名で呼ばれるが、香良洲神社で催行させるため香良洲町民は「宮踊り」と呼ぶ[2]。「風采踊」とも称する[10]。1970年(昭和45年)2月25日に、「香良洲町の宮踊」として三重県指定無形民俗文化財となった[10][21]

毎年8月15日に行われ、町内の馬場・地家・砂原・小松の4つの小字がそれぞれ4人で1組を作り、頭にオナガドリの尾の羽を付け、威勢よく夜を徹して踊り続ける[2]衣装や踊りは各区独特のもので、各区が順番に踊り終える頃には翌朝になることもある[22]。踊る順番は神社の境内でくじ引きで決定する[7]

式年遷座[編集]

20年に一度、本殿と拝殿を建て替える式年遷座が行われる[23]2014年(平成26年)4月21日1885年(明治18年)以来7度目となる遷座が行われた[24]。遷座費用はすべて氏子負担であることから、2014年実施の式年遷座では、人口減少による氏子の負担を圧縮するため、拝殿の建て替えを取りやめて移築とし、萱葺から銅板葺へと変更された[23]

遷座では、午後8時に宮司が祝詞を読み上げた後、天岩戸の故事になぞらえて「カケコー」とニワトリの鳴き真似を行い、提灯の明かりだけの中、新殿へ向けて白布に覆われた神体と宝物が運び出される[24]。宝物は自治会長や神社の造営委員が運ぶ[24]。新殿へ神体・宝物を納め、宮司が鍵をかけて遷座の行事は終了する[24]

お木曳き[編集]

お木曳き(おきひき)は、香良洲神社で20年に一度行われる、香良洲町内の9つの自治会がそれぞれ神社境内へ社殿造営のための用材を曳き込む祭事[25]。津市指定無形民俗文化財である[23]

2013年(平成25年)3月29日から3月31日に行われたお木曳きでは、香良洲町を管轄する津南警察署勤務の大半の警察官が現場警備に当たり、に酔った若者らが畑に転落するなどしたが、大きな事件事故はなく無事に終了した[26]山車を曳き回すため、香良洲町内の幹線道路は通行止めとなる[26]

カラスの扇[編集]

香良洲神社では、カラスを描いた扇子を祭礼の時に販売し、参拝者が絶えなかった江戸時代には多くの者が買い求めた[27]。「香良洲」の名の由来として、「カラスの住まう地であったことから」または「香良洲神社でカラスの扇を売っていたことから」という説もあり[28]、香良洲神社とカラスは縁がある。

香良洲神社の「烏扇」には、次のような伝説がある[29]。相殿神の大歳神の子が香良洲の地を訪れた時、地主神が田人(農民)に牛肉を食べさせているのを目撃して怒り[注 2]、田へイナゴを放った[29]。イナゴはイネを食い荒らし、困った地主神が大歳神に伺いを立てると、「麻枝をもってかせ(挊、てへんに上下)を作り、そのかせを使って苗代の苗を払い、葉で掃き、天押草(あめのおしぐさ)を押し付け、烏扇であおぎ飛ばすように」と言われたため、その通りにすると、イナゴ被害は収まった[30]。この伝説は『古語拾遺』にあるものと同様である。

香良洲道[編集]

香良洲大橋付近に残る常夜灯

伊勢参宮街道から分岐し、香良洲神社に至る参道香良洲道(からす道)という[31]。伊勢参宮街道の分岐点は津市藤枝町の思案橋、松阪市曽原町の御門橋、松阪市中林町の昭和橋の3か所である[7]。香良洲町内の区間は、三重県道575号香良洲公園島貫線に指定されている。

香良洲大橋のたもとには、常夜灯と道標が残る[31]。常夜灯は元治2年(1865年)のもので、参拝者の安全のために建てられた[3]。また、JA一志東部香良洲支店の向かい側には、コンクリートに半分埋まった道標がある[7]

香良洲神社へ公共交通で行く場合、JR近鉄伊勢鉄道津駅より三重交通路線バス32系統香良洲公園行きに乗車、または近鉄久居駅より三重交通路線バス21系統香良洲公園行きに乗車、香良洲神社前下車すぐである。神社周辺には津市サンデルタ香良洲・高砂公園・香良洲公園・津市立香良洲小学校などの公共施設がある。

脚注[編集]

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注釈
  1. ^ 「かんこ」と呼ばれる締太鼓を打ち鳴らしながら舞う踊りで、日本各地で行われる「太鼓踊り」の系統に位置付けられる[20]
  2. ^ 近代に入るまで、日本では獣肉食をすべきではないという考えが持たれてきたため、大歳神の子は牛肉を食べさせていることに怒ったのである[27]
出典
  1. ^ a b c d 加藤・南(2012):26ページ
  2. ^ a b c d 桂樹社グループ 編(1984):177ページ
  3. ^ a b c 三重県観光連盟 監修(1989):130ページ
  4. ^ a b 三重県観光連盟 監修(1989):131ページ
  5. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):517ページ
  6. ^ a b c d e 香良洲町教育委員会 編(1993):518ページ
  7. ^ a b c d みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会(2002):27ページ
  8. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):523ページ
  9. ^ a b c ワークス 編(1997):39ページ
  10. ^ a b c d e 香良洲町教育委員会 編(1993):520ページ
  11. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):520 - 522ページ
  12. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):520 - 521ページ
  13. ^ a b c d e 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1983):358ページ
  14. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):73 - 74ページ
  15. ^ 平凡社(1983):428ページ
  16. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):525ページ
  17. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):519 - 520ページ
  18. ^ a b 香良洲町教育委員会 編(1993):519ページ
  19. ^ 津市役所"夏の訪れ「夜がらす祭」 - 津市"<ウェブ魚拓>(2012年9月1日閲覧。)
  20. ^ 中西(2001):149ページ
  21. ^ 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護課"みんなで、守ろう!活かそう!三重の文化財/情報データベース/香良洲町の宮踊"(2012年8月20日閲覧。)
  22. ^ 読売新聞社"三重 : 地域情報とニュース/連載:垣根を越えて 香良洲町"<ウェブ魚拓>2003年6月28日(2012年8月20日閲覧。)
  23. ^ a b c 河北彬光「祭りを守る ①津市の香良洲神社 変化受け入れ遷座維持」中日新聞2012年1月3日付朝刊、三重版16ページ
  24. ^ a b c d ご神体を厳かに遷座 津・香良洲神社”. 中日新聞 (2014年4月22日). 2014年5月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月3日閲覧。
  25. ^ 香良洲お木曳き行事 - 津市”. 津市役所香良洲総合支所地域振興課. 2013年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月10日閲覧。
  26. ^ a b 「"宴"の下の力持ち」2013年4月7日付中日新聞朝刊、三重総合版25ページ
  27. ^ a b 香良洲町教育委員会 編(1993):166ページ
  28. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):17ページ
  29. ^ a b 香良洲町教育委員会 編(1993):166 - 167ページ
  30. ^ 香良洲町教育委員会 編(1993):167ページ
  31. ^ a b みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会(2002):28ページ

参考文献[編集]

  • 加藤弘二・南拡大朗"落雷か?本殿屋根燃える 津 式年遷座控える香良洲神社 ご神体無事運び出す"中日新聞2012年8月12日付朝刊、三重版26ページ
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
  • 香良洲町教育委員会 編『香良洲町史』香良洲町教育委員会、平成5年3月31日、1019pp.
  • 桂樹社グループ 編『文化誌日本 三重県』講談社、昭和59年6月27日、396pp.
  • 中西智子(2001)"かんこ踊りの研究(I)―かんこ踊りの文化的背景―"三重大学教育学部研究紀要.教育科学.52:149-157.
  • 三重県観光連盟 監修『ふるさとの散歩道 (三重県)』国土地理協会、平成元年9月第4版、426pp.
  • ワークス 編『ふるさとの文化遺産 郷土資料事典 24 三重県』人文社、1997年10月1日、235pp.
  • 『三重県の地名』日本歴史地名大系24、平凡社、1983年5月20日、1081pp.
  • 『みえまんなか学のすすめ vol.2』みえ歴史街道構想津安芸久居一志地域推進協議会、平成14年3月、79pp.

関連項目[編集]

  • 神社一覧
  • 金剛證寺 - 「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」と呼ばれた寺院

外部リンク[編集]