香山哲 (実業家)

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香山 哲(かやま てつ、1960年6月20日 - )は、日本実業家1990年代から2000年代にかけてコンピュータゲーム産業の経営者として活動した。2021年現在はコムウェアの代表取締役社長を務めている[1]

来歴[編集]

京都大学を卒業後、1985年4月[2]リクルートに入社、広告事業本部企画室企画課に配属[3]。新規事業開発室兼次世代事業開発グループのエグゼクティブマネージャーを経験する[3]

1996年6月、リクルートと任天堂合弁会社である株式会社マリーガル・マネジメントを設立し、取締役社長に就任。1997年4月、メディアファクトリーの取締役に就任。任天堂のゲーム機向けソフトの企画を行う「シーリオスタジオ」をメディアファクトリーの関連会社として設立し、代表に就任。

メディアファクトリーから発売されたゲームボーイカラー用ソフト「サクラ大戦GB 檄・花組入隊!」の開発販売プロジェクトを立ち上げた[4]サクラ大戦シリーズの「サクラ大戦4 〜恋せよ乙女〜」では、制作総指揮を担当していた。

1998年ファクトリーオルモック取締役就任、エクスタシージャパン取締役就任、CCR取締役就任[5]1999年7月、メディアファクトリーの常務取締役に就任。

2000年11月1日付でセガの特別顧問に就任し、家庭用ゲーム機ハード事業(ドリームキャスト)からの撤退と他社家庭用ゲーム機プラットフォームへのソフト供給を開始する経営再建策「構造改革プラン」を立案、発表する[6][7]2001年2月よりセガの共同最高執行責任者 (CO-COO)[8]、6月からは代表取締役最高執行責任者(COO)となる。社長にも内定していたが、マリーガルマネジメント時代に任天堂に不義理を働いており、任天堂に睨まれていることが発覚し、ソフトメーカーになっていたセガの社長に相応しくないとの理由で社長就任は見送られた[9]2001年トムス・エンタテインメント取締役就任、セガトイズ取締役就任。

2003年6月に肩書きのない取締役となり、1年後の2004年6月に退任した[10]

セガ取締役退任後はゲーム業界を離れ、複数の企業で経営幹部を務めている[3][11]

2005年、カザアナ取締役就任、ディースリー・パブリッシャー取締役就任。2010年プライム取締役就任。2011年円谷プロダクション取締役就任。

関与した作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 会社概要│コムウェア株式会社(2022年11月20日閲覧)
  2. ^ セガ 2003年3月期 有価証券報告書”. セガサミー. 2021年5月21日閲覧。
  3. ^ a b c 役員一覧 - UcarPAK(2021年5月22日閲覧)
  4. ^ GBC版「サクラ大戦」の件でマリーガルが正式コメント”. ITmedia. 2021年5月13日閲覧。
  5. ^ Photolize 会社概要”. Photolize. 2022年11月3日閲覧。
  6. ^ 不安を抱えつつもソフト開発力に賭けるセガ”. ITmedia. 2021年5月21日閲覧。
  7. ^ 日経ビジネス 2001/04/02号 セガ 編集長インタビュー・人物 佐藤 秀樹氏[セガ社長]”. 日経ビジネス. 2021年5月21日閲覧。
  8. ^ “香山特別顧問が語るセガ復活プラン~その2~”. SOFTBANK GAME NEWS. (2001年1月31日). https://nlab.itmedia.co.jp/games/gsnews/0101/31/news17.html 2021年5月22日閲覧。 
  9. ^ 佐藤秀樹『元社長が語る! セガ家庭用ゲーム機 開発秘史 ~SG-1000、メガドライブ、サターンからドリームキャストまで~』徳間書店、2019年9月20日、160頁。ISBN 978-4198649845 
  10. ^ “現会長の佐藤秀樹氏、取締役の香山哲氏ら退任、大きく変更されたセガの新取締役”. 電撃ネットワーク. (2004年5月18日). https://dengekionline.com/data/news/2004/5/18/1b50d3ebb06e939876c748d3db464cfe.html 2021年5月22日閲覧。 
  11. ^ アドバイザー就任のお知らせ - Shinonome(2021年4月1日)2021年5月22日閲覧。