養寿寺

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養寿寺
養寿寺
養寿寺
所在地 愛知県西尾市下矢田町
位置 北緯34度50分52.94秒
東経137度1分38.88秒
座標: 北緯34度50分52.94秒 東経137度1分38.88秒
山号 亀休山
院号 松樹院
宗派 浄土宗西山深草派
本尊 阿弥陀如来
創建年 (伝)806年大同元年)
開山 勤操阿闍梨(勤操僧都
中興年 1461年寛正2年)
中興 彰空宗永上人[1]
正式名 龜休山松樹院養壽寺
略体: 亀休山松樹院養寿寺
札所等 三河十二本寺
法人番号 4180305007017 ウィキデータを編集
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養寿寺(ようじゅじ)は、愛知県西尾市下矢田町[2]にある浄土宗西山深草派寺院山号亀休山本尊阿弥陀如来。「矢田のおかげん(御管弦)」としてつとに知られる[3]

概要[編集]

毎年3月に開催される「矢田のおかげん」
養寿寺の山門

伝承によれば、806年大同元年)、勤操阿闍梨(ごんそう-あじゃり)がこの地を訪れ、当時海であった東方の砂浜に霊亀が休み、その背に弁財天が座っているのを見て、堂を建立したという。

当初は天台宗だったが、1461年寛正2年)に浄土宗に改宗し、彰空宗永上人が堂宇を再興して西山派となる。

文明年間(1469~1486年)頃、本堂南側の墓地に徳川家康の大伯母であり、吉良義安夫人である矢田姫が埋葬される。

1602年慶長7年)、本寺は家康より寺領36石を受ける。

1683年天和3年)建立の鐘楼門、1699年元禄12年)建立の山門、1851年嘉永4年)建立の大本堂、江戸時代中期建立の地蔵堂など、境内には江戸期の建造物が数多く存在する[4]

毎年、旧暦2月15日頃(3月の最終土・日曜日)に行われる涅槃会では、読経に合わせて笙・笛・太鼓などの管弦が奏される。この催しは江戸時代から「矢田のおかげん」として親しまれ、多くの露店が並び、参拝者で賑わう[4]。毎年8月24日の地蔵盆には「地蔵会」と呼ばれるお施餓鬼が行われる。

文化財[編集]

以下のものが文化財に指定されている。絵画などは西尾市岩瀬文庫に寄託されている[5]

愛知県指定有形文化財

指定名称 種別 時代 所在地
絹本著色楊柳観音像[6] 絵画 高麗時代 西尾市岩瀬文庫
絹本著色地蔵菩薩像 絵画 高麗時代 西尾市岩瀬文庫
雲版 工芸 1395年(応永2年) 西尾市岩瀬文庫

西尾市指定有形文化財

指定名称 種別 時代 所在地
養寿寺鐘楼門 建造物 1683年(天和3年) 養寿寺
蓮鷺 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
天満宮御影 絵画 桃山時代 西尾市岩瀬文庫
寒山拾得 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
弥陀三尊
(阿弥陀三尊来迎図)
絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
釈迦一尊 絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
薬師如来
(薬師三尊十二神将図)
絵画 室町時代 西尾市岩瀬文庫
太子伝 典籍 1483年(文明15年) 養寿寺

交通手段[編集]

参考文献[編集]

  • 『西尾市悉皆調査報告 二 社寺文化財(寺院建築Ⅰ)報告書』愛知県西尾市教育委員会、1997年3月25日、98-100頁。
  • 矢田のおかげん
  • [3]
  • [4]

脚注[編集]

  1. ^ [1]
  2. ^ 三河国幡豆郡西尾藩下矢田村奥津村下矢田、平坂村(のち平坂町)下矢田
  3. ^ 観光情報詳細:養寿寺|愛知県観光ガイド
  4. ^ a b 養寿寺 – 西尾市役所
  5. ^ 西尾市の文化財一覧 – 西尾市役所
  6. ^ 名称は愛知県公式サイトの「文化財ナビ愛知」による(参照:[2])。「西尾市の文化財一覧」(西尾市サイト)には「絹本著色観音菩薩像」とある。

周囲[編集]