飯沼正明

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いいぬま まさあき
飯沼 正明
Mitsubishi Ki-15, Kamikaze 02.png
神風号の出発準備をする飯沼正明
生誕 1912年8月2日
日本の旗 日本長野県南安曇郡南穂高村
死没 (1941-12-11) 1941年12月11日(29歳没)
Flag of Colonial Annam.svg フランス領インドシナ連邦プノンペン
国籍 日本の旗 日本
職業 パイロット

飯沼 正明(いいぬま まさあき、1912年8月2日 - 1941年12月11日)は日本のパイロット1937年純国産機、神風号によって東京-ロンドン間の飛行に成功した。

生涯[編集]

長野県南安曇郡南穂高村(現・安曇野市)に生まれた。

1931年(昭和6年)3月、旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を卒業し、第11期逓信省陸軍委託航空機操縦生として所沢陸軍飛行学校入学。同年10月、卒業し二等飛行機操縦士、二等航空士の免許を受ける。11月より陸軍伍長任官、所沢陸軍飛行学校に勤務し、二等操縦士を経て翌年、一等操縦士となり、朝日新聞社航空部に入社。

1935年(昭和10年)台湾地震の時、台北-羽田間を10時間23分で飛行し、初の亜欧連絡大飛行の飛行士に抜擢された。

1937年(昭和12年)4月6日午前2時12分4秒、英国王室戴冠式奉祝を兼ねて、塚越賢爾機関士とともに朝日新聞社の「神風号」に機上し立川飛行場を出発、村山貯水池の上空を祝賀飛行した後、午前2時55分に御前崎、午前3時8分に紀州半島を通過、その後、台北、ヴィエンチャンカルカッタカラチバスラバグダッドアテネローマパリなどを中継し、4月9日午後3時30分にロンドンクロイドン飛行場に到着。15357kmの距離を94時間17分56秒で飛行し、これは当時の世界新記録となった[1]。同年、朝日賞などを受賞した。

1941年(昭和16年)東京‐ニューヨーク間の記録に挑戦しようとするが、その矢先に第二次世界大戦が勃発。陸軍技師として従軍するが、同年12月マレー半島プノンペンの飛行場で友軍機の事故に巻き込まれ死亡[2]

1989年(平成元年)、飯沼の生家跡地に飯沼飛行士記念館が設立された。

エピソード[編集]

1937年、フランス、パリ郊外のル・ブルジェ空港に立ち寄った飯沼飛行士を、当時パリで日刊の日本語新聞・日仏通信を発行していた彫刻家・高田博厚が取材している様子(淡徳三郎の背中でメモを取る高田の写真)が残されている[3]。また、フランスのラジオ放送で飯沼飛行士が挨拶するフランス語の文章をカタカナにして提供し、立派に通じたという高田のインタビュー記事が、1957年発行の週刊朝日12月1日号に掲載されている[4]

脚注[編集]

  1. ^ 『東大和市史資料編2 多摩湖の原風景』東大和市史編さん委員会、東大和市、1995年、113頁。
  2. ^ 異説としては、真珠湾攻撃の報がもたらされ、絶句して色を失った飯沼は、飛行場の滑走路にふらふらと出て、軍用機のプロペラに挟まれ死亡したともいわれる。
  3. ^ 高田博厚作品集(資料編). 福井市美術館. (1997) 
  4. ^ “豊科近代美術館蔵 彫刻家・高田博厚 飯沼飛行士と不思議な縁”. 市民タイムス(安曇野). (2017年4月6日) 

参考文献[編集]

  • 『長野県歴史人物大事典』 郷土出版社、1989年
  • 滝澤忠義『信州の人物余聞』2010年

外部リンク[編集]