飯島清

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いいじま きよし
飯島 清
生誕 (1930-02-21) 1930年2月21日
日本の旗 日本 埼玉県児玉郡
死没 (1996-04-26) 1996年4月26日(66歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 中央大学法学部
職業 政治評論家

飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 1996年4月26日)は、日本の政治評論家コメンテーター

略歴[編集]

埼玉県児玉郡児玉町生まれ。中央大学法学部卒業。

商事会社経営、サラリーマンを経て、仲間と政治研究会を結成。タレントの藤原あきの選挙参謀として、藤原を1962年の参院選全国区トップ当選に導く[1]。しかし藤原は任期中の1967年8月8日に死去[2]1968年の参院選では石原慎太郎の下につき、石原もトップ当選を果たした[1]マーケティング理論や社会心理学を応用した、イメージ重視の選挙キャンペーンの先駆者であった[3]

その後は選挙解説、政治評論、コメンテーターとして、テレビ出演多数。「日曜放談」レギュラーなど。

中曽根康弘元首相のブレーンとして知られ、1985年9月に政府税制調査会特別委員に任命された。1988年11月、譲り受けたリクルートコスモスの未公開株1万株で約2,200万円の売却益を得ていたことが発覚(リクルート事件[4]。このため同特別委員を辞任した[5]。また「日曜放談」など、一時ほぼ全てのメディアから降板となる。後に復活するが事件以前ほどの活躍はできないままであった。

著書・編書[編集]

  • (著) 『人の心をつかむ法 : 科学的選挙戦術応用』 番町書房、1969年。
  • (著) 『近代選挙入門』 ごま書房、1976年。
  • (編) 『選挙の読み方』 潮出版社、1979年2月
  • (編) 『わが家の行革 : スリム時代を生きる技術』 広池学園出版部、1983年6月。

脚注[編集]

  1. ^ a b 飯島 清とは”. コトバンク. 2019年6月14日閲覧。
  2. ^ 藤原 あきとは”. コトバンク. 2019年6月14日閲覧。
  3. ^ 河村直幸 「現代日本の選挙キャンペーン広告史-草創期-」(現代社会文化研究N0.21)
  4. ^ 朝日新聞』1988年11月27日付朝刊、30面、「政府税調の『暴れ馬』、飯島氏も1万株(追跡・リクルート疑惑)」。
  5. ^ 飯島清/政府税調特別委員辞任/1988年12月16日”. 2月13日の今日は何の日?. 2017年7月31日閲覧。