飛べ!ダコタ

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飛べ!ダコタ
監督 油谷誠至
脚本 安井国穂
友松直之
油谷誠至
製作 アッシュジャパン
エグゼクティブプロデューサー
伊与木敏郎
出演者 比嘉愛未
窪田正孝
柄本明
音楽 宇崎竜童
主題歌 石井里佳
ホームシック・ララバイ
撮影 小松原茂
編集 宮澤誠一
配給 アステア
公開 日本の旗 2013年10月5日
(新潟先行2013年9月7日)
上映時間 109分
製作国 日本
言語 日本語
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飛べ!ダコタ』(とべ!ダコタ)は、2013年公開の日本の歴史映画。監督は油谷誠至

太平洋戦争の終結から5か月後に佐渡島で起きた実話を基に、脚色を加えている。撮影に際し、タイに現存する「ダコタ」(DC-3)の同型機を佐渡に移送して復元[1]ロケはすべて同地で行われた。

あらすじ[編集]

終戦から5か月後の1946年1月14日。佐渡島の高千村の海岸に飛行機が不時着した。その飛行機は上海総領事とその秘書を乗せて東京に向かう途中、エンジントラブルで緊急着陸したイギリス空軍の輸送機「ダコタ」だった。村人たちは英語教師を通訳にして何とか意思疎通を図る。旅館の娘・森本千代子は、幼なじみで元海軍兵学校の木村健一に通訳を依頼するが断られる。健一は兵学校在学中に右足を負傷して帰郷し、その不自由な右足を引きずりながら職に就かずに暮らしていた。

飛行機は前傾して機首が砂浜に埋まった状態であった上、現地には滑走路もなかった。領事たちは船で東京に向かったが、飛行機の乗員は引き続き飛行機で寝泊まりしていた。千代子の父で村長を務める新太郎は村役場の会議で、困っている者を助けるのが佐渡の者(もん)だとして、自分の旅館で逗留させることを提案した。「村長が責任を取るなら」と提案は受け入れられる。娘を敦賀空襲で亡くした消防団長の高橋は、「頭では分かっているが心が受け入れない」と述べた。

乗員の旅館暮らしが始まり、傾いた飛行機を村人の協力で正しい姿勢に戻す作業が行われ、乗員たちは村人に感謝する。健一は恩師でもある国民学校の校長・浜中から、相川の国民学校で臨時教員に就く話を紹介される。しかし、健一は「国のために鬼畜米英を殺せと教えられた自分は、今の子どもに何も教えられない」と答え、浜中は沈黙した。まもなく、「ノタ」と呼ばれる強い風雨が来そうになり、ダコタを今より高い場所に引き上げる必要が生じた。千代子たちは飛行機に綱を結わえて引き上げようとするが、容易には動かなかった。そのとき、高橋が集められるだけの村人を連れて現れ、無事ダコタは引き上げられた。

健一の親友だった村上義治は、ビルマ方面での戦死公報が届いていたが、母の敏江はそれを信じず帰還を待っていた。敏江は海岸で、ダコタ乗員の母親の写真が入ったロケットを拾って返し、乗員に無事母の元に帰ってほしいと話す。だがその直後、戦友によって義治の遺骨が届けられた。悲しみから海に身を投じようとした敏江はダコタ乗員に助けられた。

ダコタ乗員から村に、離陸に必要な滑走路建設への協力依頼が来る。村人たちは海岸を地ならしして石を敷き詰める作業にあたった。一方、健一は知り合いから、海岸のダコタがビルマ方面の司令官マウントバッテンの専用機であったと聞かされる。健一は書き置きを残して夜の海岸に向かい、義治のためダコタに火を付けようとする。だが、イギリス人乗員との格闘で動けなくなったところに、駆けつけた千代子から「殺し合う世の中の方がいいのか」と泣きながら問われ、答えることができなかった。

健一は自首しようとするが、高橋が「自分が間違えて火を付けそうになったのだ」と主張する。高橋による謝罪をイギリス人たちは気にすることはないと受け入れた。やがて滑走路は完成し、祝宴が新太郎の旅館で開かれた。国民学校の生徒たちが「蛍の光」の合唱を披露すると、イギリス人たちは自分たちの知っている歌(オールド・ラング・サイン)が歌われていることに喜び、日英両語の歌声が室内に響いた。

離陸の日、海岸には多くの村人が集まった。「こんなにイギリス人はいい人なのに、自分たちは騙されて戦争に巻き込まれた」という主婦たちに、新太郎は「国民皆が戦争を始めたんだ」と述べるが、「村長さんの言うことは難しい」とかわされてしまう。健一が浜中に、臨時教員になって自分のような人間になるなと教えたいと言うと、浜中は頭を下げて詫びた。村人の見送る中、ダコタは無事に佐渡を飛び立っていった。

キャスト[編集]

関連書籍[編集]

  • 石坂智惠美『飛べ!ダコタ 銀翼の渡り鳥』東邦出版、2013年 - 本作のノベライズ。

脚注[編集]

  1. ^ 詳細は下記外部リンク(DC3PUBLISHING)を参照。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]