風花 (アーティスト)

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風花(ふうか)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
ロック
レーベル デリシャス・デリ・レコーズ
2009年 - )
事務所 ビルウェル
公式サイト 風花オフィシャルサイト
メンバー ミズマケンジ (ギターボーカル
kakky (アコースティック・ギター )
チョリソー越石 (ベース
香深井ヒロキ(ドラムス

風花(ふうか)は日本4人組ロックバンド

概要[編集]

2004年結成。2009年デリシャス・デリ・レコーズ[1]からメジャーデビュー

バンド名は、ヴォーカルのミズマケンジが命名。曲作りを担当するミズマとKakkyが京都出身ということ、アコースティック・サウンドで風景を音にするという“サウンド感”(コンセプト)から、ミズマが京都の情景を思い起こさせる言葉を選んでつけた。

京都出身のミズマケンジ(V&G)と同じく京都出身のKakky(AG)、北海道は礼文島出身の香深井ヒロキ(D)、群馬出身のチョリソー越石(B)からなる。

2004年はじめ、メンバー募集告知をネット上に出していたミズマケンジのもとに香深井ヒロキが応募をしたのがきっかけでバンドがスタートする。

事務所、スタジオは、埼玉県入間市ジョンソン・タウン(元米軍将校住居跡地)という異国情緒の地区にある。

メンバー[編集]

ミズマケンジ(1979年7月10日 - )

ギターボーカル担当。血液型A型。京都府宇治市出身。

kakky(1980年9月30日 - )

ギター担当。血液型A型。京都市伏見区出身。

チョリソー越石(1982年9月24日 - )

ベース担当。血液型O型。群馬県富岡市出身。

香深井 ヒロキ(1982年4月28日 - )

ドラム担当。血液型O型。北海道礼文島出身。

略歴[編集]

2004年
  • 5月 はじめて4人が顔を合わせた吉祥寺Becker'sにて結成を決める。当初のリーダーはミズマケンジ。当時のケンジの口癖は「がむしゃらにライヴをやる」、「1年でメーカーを決める」。
  • 7月 吉祥寺駅前にてストリート・ライヴ開始。
  • 8月 西荻窪ターニングにて初ライヴ。
  • 9月 - 12月 東京、千葉にて月5、6本ペースでライヴハウスでの活動開始。同時に各地で週2ペースでの吉祥寺、土日の代々木公園でのストリートライヴ、立川駅前、八王子駅前でゲリラ・ストリートも行う。
    • この頃、チョリソーの実家が全焼。
2005年
  • 5月 Shibuya O-Crestでのライヴ会場で現在のマネージャー高田と出会う。BBMC(アーティストハウスホールディングス内のインディーズ・メーカー)に在籍していた高田のもとを頻繁に訪ねるようになる。
  • 6月 自主制作盤「幼い頃見上げたあの空は大人になればとどくと思ってた」リリース。自主企画イベント「歌っていいとぉもぅょ!」開催。レコード発売後、ツアー・スタート。関西(京都、大阪)東京、千葉などを廻る。楽曲制作も継続。
  • 9月 吉祥寺ギター事件勃発(Kakkyの愛用していた中古のギターにダメだしをした高田がTAKAMINE(現在も使用)を買い与え(ついてきたヒロキにもカホーンを購入)、喜び勇んだその日、体調を崩していた父の傍に戻るとケンジが京都帰りの決意を告白)。ケンジは父親の得意先の工場で働こうと京都に帰ることを決意、リーダーの発言に他のメンバーは動揺、「風花」解散の危機かと思われるもKakkyも出身地ということで共に京都帰りを決意。チョリソー、ヒロキは、悩んだ末やはり京都行きを決意し、「風花」存続決定。
  • 11月 「歌っていいとぉもぅょ! Vol, 2」開催。この会場で、京都行きとBBMC契約を発表(「とにかくミズマケンジの“声”に魅力を感じた。」高田)。
2006年
  • 1月 京都引越し開始。
  • 2月 全員が関西へ引越し完了。
  • 3月 - 9月 関西と関東を行き来しながら各地でのライヴ、ストリート・パフォーマンス活動に励む。ケンジが就職したためライヴの数は激減、活動の中心はスタジオでの楽曲制作にシフトするも、アルバイト中心の生活になる。風花のデモを作りBBMCにプレゼンテーションするもなかなかOK出ず、“悶々とした時代”を過ごす。その想いをもとに、「センキュフォーエバー」、「ルーレット」を制作。
  • 10月後半 高田がシェアメンバーとなっていた入間のスタジオでレコーディングを開始。
  • 11月半 ミニ・アルバム『青い花』のレコーディング完成。
2007年
  • 1月 「アーティスト・ハウス・ホールディングス」のエンターテインメント・コンテンツ部門閉鎖に伴いBBMC休眠。高田が風花の原盤権取得。
  • 3月 MBS(毎日放送)プロモーション時に、突然京都で音楽生活が思うようにいかないストレスをかかえていたチョリソーがキレて内紛勃発、チョリソー脱退の危機に(あっさりと収束)。
  • 4月 ビルウェル株式会社(マネージメント)内グラウンドレコーズ立ち上げと同時に契約、風花の所属が決定。
  • 8月 ケンジ、フル・タイムの仕事を辞めて音楽活動に打ち込み始める。
  • 9月 「冬花火」を気に入ってくれたプロデューサー鈴木惣一郎と出会い、大きな影響を受ける。
  • 7月 ミニ・アルバム『青い花』リリース
  • 10月 パナソニック主催「ミナミホイール2007」出演。パフォーマンス会場であるライヴ・ハウス“CLAPPER”が満杯になり、入場規制[2]。大阪、神戸でストリート中心にパフォーマンス。神戸みなと祭りメインステージに出演。
  • 11月 学園祭やラジオ番組にも出演。神戸電子専門学校「GWCCプロジェクト」テーマ曲「タイマー」を提供。
  • 12月 西宮でのライヴで07年を閉じるも、曲作りは順調にいかず制作での悩みの時期を迎える。
2008年
  • 1月 拠点を関東に戻すことを決意。
  • 2月 それぞれの音楽活動や生活に悩んだ「風花」、リーダーをケンジからKakkyに交代することで危機を打開。
  • 3月 マネージメント兼スタジオのあるジョンソン・タウン(埼玉県入間市)に拠点を移す。
  • 4月 背水の陣の意識のもと特にストリート・ライヴを強化。
  • 10月2日 自主企画イベント@吉祥寺シャッフル 「歌っていいとぉもぅょ! Vol.3」開催。
  • 11月 パナソニック主催「ミナミホイール2008」(大阪muse)出演。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

  1. サクラサクナ(2009年2月18日)
  2. 花咲く日まで(2009年5月27日)

出演[編集]

ラジオ番組[編集]

レギュラー番組

  • 2009年1月5日開始 - α Station 「FULL BLOOM」 毎週月曜 24:00 - 25:00
  • FM AICHI 「今夜もそこそこです。」 毎週土曜 21:00 - 21:30

脚注[編集]

  1. ^ Delicious Deli Records - 宇宙戦隊NOIZらが所属。ユニバーサル・ミュージック・インターナショナル傘下レコードレーベル
  2. ^ http://www.barks.jp/news/?id=1000045903

外部リンク[編集]