風俗店の歴史

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この項目では、日本における風俗店やそれに準ずる各種商業等の歴史を解説する。

RAA[編集]

1945年8月15日の太平洋戦争(もしくは第二次世界大戦)終戦後、日本政府は「進駐軍が良家の婦女を強姦するのではないか」と危惧し、急遽、遊廓私娼芸妓屋などの業者を集め、RAAという組織を作らせた。

パンパン[編集]

戦後の売春婦、街娼、私娼。進駐軍を主な客とした。詳しくはパンパンを参照。

オンリー[編集]

進駐軍の特定の相手とだけ交渉をもった売春婦。

赤線[編集]

GHQの指令による公娼制度廃止以後、戦前の遊廓・私娼などが看板を変えて営業していたもの。1958年売春防止法施行に伴い、“日本古来の社会風俗”であった売春が姿を消した。

トルコ風呂[編集]

個室付きのサウナ風呂。個室であることから、間もなく性的なサービスが行われるようになった。当初は手で男性器に刺激を加える「スペシャルサービス」(おスペ)が主流であった。次第に「本番サービス」(性交)を行う店が多くなり、取締り当局も次第に黙認するようになった。単なる性交を行うだけでなく、「アワ踊り」「マット」などの性技が次々に開発されていった。1984年、トルコ人留学生の抗議によりソープランドに改称された。

なお、本場のトルコ風呂についてはハンマーム参照。

ピンクサロン[編集]

ピンクサロンは法的には飲食店であり酒類を提供する。詳しくは当該項目を参照。

ノーパン喫茶[編集]

従業員が下着を履かない喫茶店。上半身は乳房を露わにし、下半身は見えそうで見えないがやはり見えるミニスカートと言うのが典型的なコスチュームで、最盛期には東京で200店舗近く、大阪でも100 - 140店舗以上が見られたと言う[1]

1978年または1981年京都西賀茂で誕生したとの説があるが緒論あり[2]。『週刊現代』によれば、1978年10月に「ジャーニー」または「ジャニー」と言う店舗が開店したのが嚆矢だという[3][4]山本信也は、発祥の地については大阪・福岡(『週刊新潮』によれば1979年、博多に「ピンク喫茶」[4])・京都(『週刊新潮』によれば1980年に博多の「ピンク喫茶」から飛び火して「ノーパン喫茶」が成立)・東京と所説あり、よくわからないとする[5]。その後1980年12月には大阪に「あべのスキャンダル」が開店した(『週刊現代』によれば、この店舗は、ノーパンラーメンやノーパン牛丼にも手を広げたと言う)[3]

『週刊現代』によれば、当初はノーパンにストッキングと言ういでたちが一般的であったが、サービスは過激化し、前張りで済ませる店舗や、従業員のスカートの下は何もなしの、正真正銘のノーパンと言う店舗もあったと言う[5]。陰毛を剃っていなければセーフだ、いや陰毛はすぐに生えてくるから剃った部分も陰毛と見なすべきだ、などとのやりとりもあったという[5]

また、広岡はこの産業に個室と抜き、即ち射精に至る性的サービスが加わり、ファッションヘルスが産まれたとする。『週刊現代』も、客を射精させるようなサービスがあったとしている[3]

なお後述するイヴによれば、従業員の給与は2時間で6000円と、当時の貨幣価値としては高額と言えるものであった[5]

ノーパン喫茶の大流行は『週刊新潮』によれば、大阪天王寺駅近くの「スキャンダル」(前述した「あべのスキャンダル」と同一店舗であるかどうかは不明)からであったと言う[4]

1981年3月の週刊誌では、『週刊新潮』昭和56年3月5日号では関西を席巻したノーパン喫茶が東京進出、『週刊現代』3月12日号では大増殖したノーパン・トップレス喫茶の内幕、『週刊サンケイ』3月19日号ではノーパン喫茶突撃体験、などといった言及が見られていたという[4]

しかしブームは長くは続かず、『週刊サンケイ』が昭和56年7月16日号(1981年)ではノーパン喫茶は夏を越せないとされ、『週刊現代』(昭和58年5月14日号と思われる)によれば、1982年にはブームは鎮静化し、店舗数は最盛期の1/18程度になっていたという[3][4]

その後1984年の改正風俗営業法が施行されると、フロア+個室という業態に対する規定がないため、営業が認められなくなる。その際に少なくない店舗がファッションヘルスなどに転業した[4]

新宿歌舞伎町のノーパン喫茶嬢出身[5]のイヴはテレビ番組トゥナイトで紹介されたほか、1983年9月に風俗雑誌に紹介され人気を博し、1984年には日活ロマンポルノにも出演した[6][3]

みうらじゅんによれば、1998年ごろに話題となったノーパンしゃぶしゃぶに比べ、利用者層は若い傾向があったという[3]

その他ノーパン喫茶以前の、セクシー系喫茶店として、イエロージャーナルに言及がある。同サイトによれば、永井荷風 1932年 『摘録 断腸亭日乗(上)』(岩波文庫)に「エロ喫茶」が紹介されており、「女給テーブルの下にもぐり込み、男の物を口に入れて気をやらせる由評判あり」というものであったと言い、これはピンサロの原点ではないかとしているが、その後『サンデー毎日』 昭和30年12月18日号 には「ヌード喫茶よ、さようなら」なる記事が確認でき、ヌード喫茶の嚆矢は1955年9月、大阪にできた店舗。従業員は下着を着けていたいたものの、その後3カ月で27店舗が立ち上げられたという。サービスの過激派も進んだが、公安委員会の介入により、大阪・京都・神戸の各ヌード喫茶は閉店の憂き目にあったとしている[4]

その後、『週刊平凡』昭和35年8月3日号では、「百円のセクシー・ムードはいかが?」との記事で、東京で「お色気喫茶が流行している」と報じられた。従業員の衣装は水着に近いものだったが、乳房や太ももに触れること、いわゆる「お触り」が可能であると紹介されていたらしい。『週刊朝日』 昭和42年11月10日号でも、「下着喫茶」が言及されている[4]

ノーパンしゃぶしゃぶ[編集]

愛人バンク[編集]

愛人を持ちたい男性と、愛人になってお金を得たい女性を取り持つクラブや業者。

1981年、当時23歳であった美貌の女性社長が創業したとのふれこみで、「愛人バンク 夕ぐれ族」が社会現象となった。

社長自ら「笑っていいとも」(フジテレビ)や「トゥナイト」(テレビ朝日)等のマスコミに、大きく電話番号を記したTシャツで登場し、ブームに拍車をかけた。この女性社長は自らを「両親は外交官、自分は上智大卒」と称していた。

社名の「夕暮れ族」とは“中高年サラリーマン”のことで、中高年サラリーマンがデート(実際には売春)をするデートクラブである。

所属する女性たちは女子大生が中心と宣伝していたが、実際は女子大生もいたという程度であった。

1982年には、有閑マダムと愛人男性という男女逆のケースも企画し、「笑っていいとも」の美少年コンテストに、実際には所属していないタレント志望の美少年を「夕暮れ族」所属として社長推薦で出場、優勝させた。この番組を見て、小遣い目当ての若い男性 200人以上が登録したが、女性夕暮れ族となる有閑マダムの登録はゼロだった。

1983年、警視庁が売春斡旋容疑で14軒を摘発し、595件、68人を検挙、夕暮れ族は壊滅した[7]。逮捕された女性社長はただの雇われ社長で、実質の経営者はキャッチセールス等、詐欺まがいの商売を複数行っていた。また、広告塔でもあった女性社長の実家はクリーニング屋で、学歴は夜間高校卒であった。

のちの時代に「愛人バンク」を名乗るデートクラブが誕生するが、「愛人バンク」と言えば80年代の「夕暮れ族」を意味するほどの一大ブームであった。

マントル[編集]

マンショントルコ風呂の略。

普通のマンションで風俗営業を行う。非合法の売春行為であり、暴力団の資金源となった。

賃貸マンションの室内を区分けして個室空間をつくり、そこで売春を行う。売春を行う女性従業員を「マントル嬢」という。

客の頻繁出入り・マントル嬢の悶え声等でマンション隣人からの苦情が多く、警察に摘発されるケースが相次いだ。そのため業者およびマントル嬢にとってより安全なホテトルへ移行していった。

ホテトル[編集]

ホテルトルコの略。ホテルで、女の子を呼び出しができる風俗の出張サービス。非合法の売春行為であり、暴力団の資金源となった。

性感エステ[編集]

女性従業員が男性客にマッサージを行う店。疲労回復のための本格的なリンパマッサージがしたのち、手コキでの射精が行われる。

SMクラブ[編集]

主にマゾ客をサディスト役の女性従業員(女王様(S嬢))がいたぶるMプレイと、サド客がマゾヒスト役の女性従業員(M嬢)をいたぶるSプレイに分かれる。店・女性従業員・客のそれぞれの傾向によって様々なプレイが展開する。主なプレイ内容には、軽い縛り・低温蝋燭などのソフトなプレイから、鞭・ビンタ・蹴り・吊るしなどのハードもの、その他パンティストッキングを履かせたりするフェチストや、排泄関連のマニアックなもの(スカトロ)も存在し、客は通常の性風俗に比べて特殊な性向を満たすことが出来る。

出典[編集]

  1. ^ 『風俗あらかると』 p.22
  2. ^ 1978年説は 中村彰、1984、『インタビューとデータでつづる 風俗あらかると - 「ほん」情報からノーパン喫茶まで』、幻想社 ISBN 4-87468-033-X - による。広岡敬一『戦後性風俗大系 わが女神たち』によれば、発祥は1981年頃の京都
  3. ^ a b c d e f 風俗界の大発明『ノーパン喫茶』は、こうして男たちをトリコにした(週刊現代)”. 講談社/週刊現代 (2016年12月17日). 2016年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月17日閲覧。 - みうらじゅん山本晋也イヴ による対談。
  4. ^ a b c d e f g h 【無料記事】ニッポン〝フーゾク〟小史──喫茶店とエロスの不思議な関係性とは”. ユニベルシテ/イエロージャーナル. 2017年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月17日閲覧。
  5. ^ a b c d e 風俗界の大発明『ノーパン喫茶』は、こうして男たちをトリコにした”. 講談社/週刊現代 (2016年12月17日). 2017年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年8月17日閲覧。 - みうらじゅん山本晋也イヴ による対談。
  6. ^ 週刊アサヒ芸能 2012年6月28日特大号 日本と世界の「熟女シネマ」
  7. ^ 『戦後性風俗大系 わが女神たち』p.321

参考文献[編集]

  • 広岡敬一 『戦後性風俗大系 わが女神たち』朝日出版社 2000年4月 文庫版:新潮社 2007年3月

関連項目[編集]