顧忠琛
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| 顧忠琛 | |
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| プロフィール | |
| 出生: | 1880年(清光緒6年) |
| 死去: |
1945年(民国34年)7月31日 |
| 出身地: |
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| 職業: | 軍人・政治家 |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 顧忠琛 |
| 簡体字: | 顾忠琛 |
| 拼音: | Gù Zhōngchēn |
| ラテン字: | Ku Chong-ch'en |
| 和名表記: | こ ちゅうちん |
| 発音転記: | グー ジョンチェン |
顧 忠琛(こ ちゅうちん、1880年〈光緒6年〉 - 1945年〈民国34年〉7月31日)は、清末民初の軍人・政治家である。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人。
事績
[編集]清末に安慶(安徽)武備学堂監督をつとめた。しかし、学生の柏文蔚らが中国同盟会に参加したため、顧忠琛は清朝に猜疑されて、南京の閑職に左遷された。
辛亥革命に際しては、顧忠琛は江浙聯軍総参議として革命派に加わった。1924年(民国13年)5月、孫文(孫中山)の下で北伐討賊軍第4軍軍長に任命されている。
1940年(民国29年)3月、汪兆銘(汪精衛)の南京国民政府において監察院副院長に任命された。1944年(民国33年)11月、立法院長に転じた梁鴻志の後任として監察院院長に昇格している。
日本敗北直前の1945年(民国34年)7月31日、死去。享年66。
参考文献
[編集]- 徐友春主 編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1。
- 劉寿林ほか 編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1。
- 東亜問題調査会編『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。
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