須川信行

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須川 信行(すがわ のぶゆき、天保10年10月25日1839年11月30日)- 大正6年(1917年11月13日)は、江戸時代末期・明治時代の歌人、医師。宮内省御歌所寄人(よりゅうど)、「明治天皇御集」の編纂委員を務めた。

略歴[編集]

須川信行は、天保10年10月25日(1839年11月30日)に近江高島郡西万木村(現滋賀県高島市)の医師清水玄孝の次男として生まれ、19歳の時に御所出入り医師須川覚性(須川検校)の養子となった[1]。医業を修める傍らで早くから和歌に興味を覚え、香川景樹の高弟で故郷高島出身の歌人渡忠秋に入門し、同人死去後小出粲に師事した。養嗣子鶴吉に医業を譲り自身は歌道に専念し、明治23年(1890年)宮中御歌会始の勅題詠進歌『いにしへに 照して今を仰ぐにも  余るは国の光なりけり』が入選した[1]。常葉園と号した。

関連事項[編集]

著作・関連書籍
  • 「梔園紀行文草」(小出粲著 須川信行出版 1903年)
  • 「紀貫之朝臣墳墓勘文」(須川信行作 須川信行出版 1904年)
  • 「常葉歌集 全2巻」(須川信行著 須川鶴吉編 1918年)
  • 「禁延廿六大家抄」 P348「須川信行」の項(大町五城著 大日本歌道奨励会 1925年)
  • 「御歌所の研究」 P347「須川信行」の項(恒川平一著 還暦記念出版会 1939年)
その他

脚注[編集]

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  1. ^ a b 「滋賀近代文学事典」(日本近代文学会関西支部滋賀近代文学事典編集委員会編 和泉書院 2008年)