韓静観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

韓 静観(かん せいかん、1111年 - ?)は、北宋欽宗の側妃。正五品の才人に封じられた。

経歴[編集]

靖康の変の際、17歳だった韓才人は軍の俘虜となり、凌辱を受けて妊娠させられた。金の上京へ連行された韓才人は、天会5年12月21日(西暦で1128年)に男児を生んでいるが、この男児はすぐに亡くなった。同じく欽宗の妃嬪である朱慎徳妃や才人鄭慶雲・才人狄玉輝らも妊娠させられている。

のちに、完顔斜保(完顔宗翰の次男)の妾とされた。このとき、欽宗の3人の夫人(盧順淑[1]・戚小玉[2]・鮑春蝶[3])も斜保の妾とされた。

伝記資料[編集]

  • 『靖康稗史箋證』

脚注[編集]

  1. ^ 靖康の変の際には16歳。
  2. ^ 靖康の変の際には19歳。
  3. ^ 靖康の変の際には18歳。