韓昌祐
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ハン・チャンウ
韓 昌祐 |
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| 生誕 | 1931年2月15日(86歳)[1] |
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| 出身校 | 法政大学(経済学部) | ||||||||||||||||
| 職業 | 実業家 | ||||||||||||||||
| 団体 | マルハン(会長)[2] 韓哲文化財団(理事長)[1] |
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| 配偶者 | あり | ||||||||||||||||
| 子供 | 5男2女(長男・韓哲は故人) | ||||||||||||||||
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韓 昌祐(ハン・チャンウ、かん しょうゆう、Han Chang-Woo[3]、1931年2月15日[2][1] - )は、日本の実業家。大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者で代表取締役会長[2]。財団法人韓哲文化財団理事長[1]。
来歴[編集]
韓国慶尚南道泗川郡三千浦で[1]小作農をする家庭に生まれる。別名・西原昌佑[要出典][4]。1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて密航船に乗り込み、同年10月22日に日本へ下関市から密入国[5]。すぐに日本の戦後の混乱に紛れて特別永住者資格を取得[5]。その後法政大学経済学部に進学し[5]、卒業後の1952年、就職先のなかった韓は京都府峰山町(現・京丹後市)において20台でパチンコ事業をしていた義兄のところへ身を寄せ、その後に義兄からパチンコ事業を受け継いだ。1957年にはパチンコ事業で稼いだ資金を元手に喫茶店の経営、1967年には当時日本で流行していたボウリングに目をつけ、ボウリング場事業を始めたが、行きすぎた拡張戦略をしたために1972年に60億円の借金を抱えることとなった。同年「西原産業株式会社(現;株式会社マルハン)」も設立しており、借金を抱えた韓は返済のために本業のパチンコ事業に本腰を入れ、必死な事業活動を展開したことで借金を完済。1995年には東京進出も果たし、マルハンを最大手のパチンコ店へと成長させるまでに至った[5]。
資産[編集]
2015年のフォーブス誌のランキングでは日本で7番目に資産が多い人物で資産42億ドル相当だった[3]。2014年は12位だった[3]。2002年の米国フォーブス誌が選定した世界億万長者ランキングでは日本国内の22位(個人資産1320億円)にランキングされている。(なお2013年7月10日の朝鮮日報日本語版では約3400億円と報じられている。)
社会貢献[編集]
1988年の夏に、在日朝鮮人の歴史研究家で、好太王碑改竄説で知られる李進熙に『季刊 三千里』(1975年 - 1988年)に続く次世代季刊誌の出版を依頼されたことから、1990年に私財を投じて、日本と朝鮮半島の歴史と文化の研究を支援する目的の「財団法人 韓国文化研究振興財団」を設立し理事長に就任した。韓が発行人、李進熙が編集長となり『季刊 青丘』(1989 - 1996)を発行し、後に日本と朝鮮半島の歴史と文化についての論文集『青丘学術論集』(1991 - 2005)を発行した。
2005年には、亡くなった息子の名前を冠した「財団法人 韓哲文化財団」に名称を変更し、助成範囲を芸術やスポーツや福祉などの分野にも拡大し、個人や団体に対して助成基金を授与している。2010年春の助成金対象者には、「在日差別への憤りが行動の原点。(戦争での)加害者の立場であることをきちんと受け止めたうえで友好の土台を築いていきたい」との信念の下「韓国の田舎」を紹介するテレビ番組を企画中の黒田福美や、2007年に「被差別日系研究所」を設立した辛淑玉が選ばれ、授与式が開かれた[7]。
韓が経営するマルハンはパチンコ事業の収益金の1%を地域社会の奉仕に充てている[5]。
私生活[編集]
結婚しており、子が6人いる[3]。2001年に日本へ帰化[8]。28歳のときに結婚した日本人の妻との間に5男2女をもうけ、次男の韓裕(現・マルハン代表取締役社長)をはじめ4人の息子がマルハンに勤めている[9]。長男の哲(チョル)を16歳のときにヨセミテ国立公園での研修中の事故で失っている[9]。
発言[編集]
- 「世界中どこにでも差別はあります。日本人が韓国人を差別するといいますが、韓国人の中国人差別はどうだ、と訊くんです。それほど韓国では中国人を差別する。世界でチャイナタウンがないのは韓国だけです。差別に打ち勝つ、差別を撥ね返すたったひとつの道は、自分たち自身が教養と見識をもって社会貢献する。これしかないんです。」[10]
- 2013年7月9日、東京都内で行った記者会見の席上、日韓関係が悪化していることに懸念を示し、「日本の政治家たちが過去の植民地支配について知らないふりをしている。日本の政治家たちがドイツのように、周辺国に対しきちんと謝罪すべきだ」と語った[11]。
「マルハン」社名の由来とデマ[編集]
会長・韓昌祐がボウリングの玉、パチンコの玉を連想させる玉、地球、円満の「マル(丸)」に社長名の「ハン(韓)」からマルハンとした[12]。
なお、韓国のとある新聞で「(マルハンの由来は)日の丸のマルと恨みのハン(恨の朝鮮語読み)という記事が出た」とされるが、韓はテレビ朝日の取材の中で「そんな理由で付けるわけがない」と否定し、上記の由来をインタビュアーの山本晋也に述べている[13]。
備考[編集]
- 1960年代に関西のJC(青年会議所)入会を希望するも、拒否されたという[1]。
- 「必要以上の金は使わない」「損は一円でもしてはいけない」が信条であり、人に何かをおごったりプレゼントする事はほとんどしないという。[要出典]
栄典[編集]
- 韓国・国民勲章冬柏章 (1984)
- 韓国・体育勲章青龍章 (1987)[2]
- 韓国・国民勲章無窮花章 (1995)[2][14]
- 日本・勲三等瑞宝章 (1999)[2]
- 日本・紺綬褒章 (2016)[6]
参考文献[編集]
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- 『十六歳漂流難民から始まった2兆円企業』 韓昌祐著, 出版文化社, 2008/3/7. ISBN 978-4883383887
脚注[編集]
- ^ a b c d e f 理事長メッセージ|公益財団法人 韓昌祐・哲文化財団
- ^ a b c d e f 代表者経歴(代表取締役会長) マルハン
- ^ a b c d Han Chang-Woo & family - Forbes
- ^ 1981年夏の甲子園準V マルハン社長の激闘人生 - 東京スポーツ・2017年4月9日
- ^ a b c d e f 「底から這い上がって億万長者」…パチンコ業界ナンバーワン経営者の韓昌祐会長2005年6月9日中央日報
- ^ a b マルハン韓会長が「紺綬褒章」受章
- ^ 人模様:日韓交流への思いさらに--黒田福美さん、辛淑玉さん(毎日新聞 2010年4月10日 東京夕刊)
- ^ 趙正薫(チョ・ジョンフン) 2001年に韓国名のまま日本に帰化 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(5/6) 記事入力 : 2007/06/24 11:40:15
- ^ a b 趙正薫(チョ・ジョンフン) 26歳でパチンコ業開始 マルハン・韓昌祐会長インタビュー(朝鮮日報) archive
- ^ 「マルハン会長 「それほど韓国人は中国人を差別する」と語る」、『週刊ポスト』2011年11月18日号、NEWSポストセブン、2011年11月13日、2014年1月14日閲覧。
- ^ 大阪に韓流テーマパーク構想、マルハン会長の思い 朝鮮日報 2013年7月10日
- ^ 「「マルハン」の由来 玉の「丸い」に民族名の「ハン(韓)」」、『週刊ポスト』2011年11月18日号、NEWSポストセブン、2011年11月10日、2014年1月15日閲覧。
- ^ pachinko(maruhan)/Youtube、2014年11月10日閲覧
- ^ <在日社会>◆在日商工人列伝◆パチンコ業界の最大手・韓昌祐 マルハン会長, 東洋経済日報, 2004/04/23.
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