韋皇后 (唐中宗)

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韋皇后(いこうごう、? - 唐隆元年6月20日710年7月21日))は、中宗の皇后。韋玄貞の娘。京兆万年(現在の陝西省西安)出身。しばしば韋后と呼ばれる。

中宗が即位すると、皇后となったが、やがて中宗が廃位され、湖北に流された。それに随行した。夫婦は苦難の日々を送った。二人の仲が良かったという。

神龍元年(705年)、武則天より譲位されて中宗が復位すると、武三思らと結託し、従兄の韋温とともに朝政を掌握した。景雲4年(710年)には自らの即位を意図し、娘の安楽公主とともに中宗を毒殺、温王李重茂(殤帝)を皇帝に擁立した。しかし間もなく李隆基(玄宗)が政変を起こし、その父である相王李旦(睿宗)が復位した。韋后は殺害され、その身分も庶人に落とされた。

子女[編集]