青木慈雲

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青木 慈雲(あおき じうん、本名:青木理、1929年2月 - 1998年4月11日)は、僧侶画家。大本山妙尊寺(三重県)、総本山龍覚寺・慈雲院(山梨県)、妙海寺(山口県)管主[1]

生涯[編集]

美術家として[編集]

現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。美術家として多くの作品を残している。

  • 1953年 - 現代美術協会展新人賞受賞。
  • 1954年 - 現代美術協会展マツダ賞受賞と同時に会友に推挙される。
  • 1955年 - 現代美術協会展現代美術協会賞受賞と同時に会友に推挙される。東京銀座の村松画廊で個展を開催。
  • 1956年 - 東京画廊で個展。
  • 1957年 - 武蔵野美術大学油絵科卒業。
  • 1957年 - 一線美術展新人賞受賞。一線美術会員展出品(東京銀座松坂屋)。
  • 1958年 - 東京銀座・村松画廊に於いて個展。一線美術展プールブ賞受賞。
  • 1959年 - 一線美術展、一線美術文化賞受賞を機に画壇を離れる。以後30年間、作品を発表せず。この間、心象的絵画の研鑽を行っていたとされる。
  • 1990年 - 30年間の沈黙を破り画壇にカムバック。国際アカデミー賞受賞。国際美術団体美展名誉会長に就任。同展・京都美術館に200号を発表。
  • 1991年 - 国際美術団体美展秀作展出品「東京芸術劇場」。国際美術団体美展京都美術館に大作発表。国際親善美術展・内閣総理大臣賞受賞。水潮会展大賞受賞。近代美術協会顧問に就任。韓国より国際文化大賞を受賞。国際親善美術展出品、愛知県知事賞受賞。国際財団展設立展初代総裁に就任する。
  • 1997年 - 国際美術文化賞(フランス)受賞[2]

その他[編集]

  • 初期のピンク映画助監督をしていたこともあり、自ら管主を務める宗教団体の宣伝ビデオなども制作[3]
  • TVのオカルト、心霊番組などにしばしば出演し、全国の霊場などを弟子尼僧らとともに鎮魂行脚を行う様子などが放映され、その精力的な姿と真っ白なあご鬚を蓄えた独特の風貌、あくの強いだみ声などで織田無道宜保愛子などとともにお茶の間の人気を博す[3]
  • 慈雲美術館を計画建設中であった[1]

著書・作品[編集]

  • 小説「誘い」[1]
  • 「慈雲の独白(ひとりごと)」[1]
  • 『霊的知性学』青木慈雲/妙法山(レーザーディスク[1]
  • 『日本人の魂は死なず - 慈雲死後の世界』[1]
  • 『縄文の血族』[1]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]