青木伊平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

青木 伊平(あおき いへい、1930年12月9日 - 1989年4月26日)は、竹下登(第74代内閣総理大臣)の元秘書

概要[編集]

島根県大社町出身。島根県立大社高等学校明治大学工学部卒。大学卒業後、一般企業に就職したが1953年高橋円三郎の秘書となり、1956年に高橋が死亡したため小滝彬の秘書となる。1958年、小滝の死去に伴い竹下登の秘書に登用され、以後死ぬまで竹下に仕えた。竹下の下で公設秘書、官房長官秘書官、建設大臣秘書官を歴任した。また、株式会社新樹企画(しんじゅきかく)というコンサルティング会社の代表取締役を務めていた。

竹下の金庫番」と呼ばれていたが未公開株であるリクルートコスモス株の名義人になっていたため、竹下首相がリクルート事件で追及を受けた。しかし、竹下が首相退陣を表明した翌日に自宅で手首を切った後に首吊り自殺を遂げた。その時の状況が不自然であったために一部には疑問の声がある[1]

竹下の元・在島根秘書で政治家の青木幹雄との血縁関係はないが同僚である。幹雄の弟の青木文雄は伊平の部下にあたる。

真相[編集]

事件の捜査を主導した佐渡賢一によるとリクルートから5000万円借りていたことは分かっていたため、青木を聴取したところ事務所の出納記録を持参して説明し単純な金の貸し借りだったため、「事件性無し、シロ」と上層部と青木に伝えた。青木から念のため公表すべきか相談されため、あなた達の判断と返答し、竹下首相側は公表しなかった、その後朝日新聞がこの借金話を報道して世論が沸き、それにより竹下首相が辞任表明した翌日の1986年4月26日朝に自殺したと裏側を語った[2]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 例えば、岩瀬達哉『われ万死に値す―ドキュメント竹下登』(新潮文庫・2002年)が挙げられる。
  2. ^ “経済事件に目を光らせ”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2016年12月5日) 

参考文献[編集]

関連項目[編集]