青塚古墳 (犬山市)

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青塚古墳

墳丘全景(左に前方部、右奥に後円部)
別名 茶臼山古墳[1]/王塚[1]/青塚砦[1]
所属 青塚古墳群
所在地 愛知県犬山市字青塚
(青塚古墳史跡公園内)
位置 北緯35度19分35.03秒 東経136度55分44.19秒 / 北緯35.3263972度 東経136.9289417度 / 35.3263972; 136.9289417座標: 北緯35度19分35.03秒 東経136度55分44.19秒 / 北緯35.3263972度 東経136.9289417度 / 35.3263972; 136.9289417
形状 前方後円墳
規模 墳丘長123m
高さ12m(後円部)
埋葬施設 不明
出土品 埴輪・石製品
築造時期 4世紀中葉
被葬者 (伝)大荒田命(邇波県君祖)
史跡 国の史跡「青塚古墳」
特記事項 愛知県第2位の規模
地図
愛知県内の位置
地図
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青塚古墳(あおつかこふん)は、愛知県犬山市青塚にある古墳。形状は前方後円墳。青塚古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

愛知県では第2位の規模の古墳で[注 1]4世紀中葉(古墳時代前期)頃の築造と推定される。

概要[編集]

愛知県西部、犬山扇状地を形成する洪積台地の南西端に築造された大型前方後円墳である[2]。周辺にはかつて10数基の古墳が分布し、青塚古墳群として認知された(現在までにほとんどが消滅)[2][1]。これまでに古墳域は大縣神社(犬山市宮山、尾張国二宮)の社地として推移し[2]1979年昭和54年)以後には発掘調査が実施されている[1]

墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける。墳丘は前方後円形の基壇の上に構築され、後円部が3段築成、前方部が2段築成[2]。墳丘長は約123メートルを測り、愛知県では断夫山古墳名古屋市熱田区旗屋町、151メートル)に次ぐ第2位の規模になる[1][注 1]。墳丘外表では全面に河原石の葺石が、各段に壺形埴輪列が認められる[2]。また前方部上に方形壇状遺構を有するという特色を有し、同遺構周囲には円筒埴輪列が認められる[2]。墳丘周囲では、やや不定形な盾形の周濠・外堤が巡らされる[2]。出土品としては、前述の埴輪片のほかに鏃形石製品がある[2][1]

この青塚古墳は、出土埴輪・土器より古墳時代前期の4世紀中葉頃の築造と推定される[2][1]。被葬者は明らかでないが、大縣神社では『先代旧事本紀』「天孫本紀」に見える邇波県君(にわのあがたのきみ)の祖の大荒田命(おおあらたのみこと)の墓と伝承しており、現在も毎年同社による祭祀が行われている[3][1]

古墳域は1983年(昭和58年)に国の史跡に指定された[4]。現在は史跡整備の上で青塚古墳史跡公園として公開されている。

遺跡歴[編集]

墳丘[編集]

青塚古墳の空中写真。2007年。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

墳丘の規模は次の通り[1]

  • 墳丘長:約123メートル
  • 後円部
    • 直径:約78メートル
    • 高さ:約12メートル
  • 前方部
    • 長さ:約45メートル
    • 幅:約62メートル
    • 高さ:約7メートル
  • くびれ部
    • 幅:約43メートル

墳丘上では、前方部墳頂において方形壇状遺構が認められる[2]。この方形壇状遺構は東西9メートル・南北7メートル・高さ推定0.5メートル弱の低墳丘状で、遺構周囲では河原石・割石の配石、石敷き、円筒埴輪列が認められる[2]。この遺構の東側石列内では、鏃形石製品3点が検出されている[2]

墳丘の各段では、壺形埴輪が約2メートル間隔で配置される[2]。ただし円筒埴輪列については、方形壇状遺構以外では認められていない[2]。また墳丘周囲には周濠が巡らされており、東側では周濠内に陸橋が認められる[5]

なお、青塚古墳の墳丘では天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際に平城の「青塚砦」が築城されている[注 2]。かつての墳丘ではテラス部分を広げて平坦面を広くした様子が認められていたが、現在は古墳として復元整備されているため地表面に痕跡はない[6]。また現在の後円部墳頂には三等三角点(標高43.39メートル、点名「学伝」)が設置されている[7]

出土品[編集]

古墳からの出土品としては次のものがある。

  • 壺形埴輪
    墳丘各段において約2メートル間隔で置かれる[5]。胴長形・しもぶくれ形の2種類で、大きさは高さ約60-70センチメートル、口縁部径約35センチメートル[5]。底部には円形孔が開けられ、表面には赤色顔料が塗られる[5]
  • 円筒埴輪
    前方部墳頂の方形壇状遺構の周囲に巡らされる[5]。鰭付朝顔形埴輪・円筒埴輪の2種類[5]。表面には赤色顔料が塗られる[5]
  • 樽形埴輪
    くびれ部や後円部墳頂に置かれたとされる[5]。特殊な埴輪になる[5]
  • 鏃形石製品
    前方部墳頂の方形壇状遺構から3点が検出されている[5]。石材は緑色凝灰岩[5]。祭祀用の非実用品で、長さ約6センチメートル[5]

文化財[編集]

国の史跡[編集]

現地情報[編集]

青塚古墳ガイダンス施設
「まほらの館」
所在地
交通アクセス
関連施設
  • 青塚古墳ガイダンス施設「まほらの館」(犬山市青塚) - 青塚古墳に隣接。
    • 開館時間:午前9時 - 午後5時
    • 休館日:毎週月曜日、年末年始

脚注[編集]

注釈
  1. ^ a b 愛知県における主な古墳は次の通り(いずれも尾張地方)。
    1. 断夫山古墳(名古屋市熱田区旗屋町) - 墳丘長151メートル。
    2. 青塚古墳(犬山市青塚) - 墳丘長123メートル。
    3. 白鳥塚古墳(名古屋市守山区上志段味) - 墳丘長115メートル。
    なお近年では、三河地方の甲山1号墳(岡崎市六供町)について墳丘長120メートルとする説がある。
  2. ^ a b 小牧・長久手の戦いの「青塚砦」については、他の伝承地として豊山町豊場青塚屋敷(富士神社鎮座地)がある。ただし同地は、布陣・行軍経路の点では疑わしいとされる(「青塚」『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』 平凡社、1981年)。
出典
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 史跡 青塚古墳(犬山市ホームページ、2016年12月21日更新版)。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 青塚古墳(続古墳) & 2002年.
  3. ^ a b 青塚古墳(愛知県ホームページ「文化財ナビ愛知」)。
  4. ^ a b c 青塚古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 青塚古墳パンフレット。
  6. ^ まほらの館展示解説。
  7. ^ 基準点成果等閲覧サービス(学伝)”. 国土地理院. 2016年1月10日閲覧。
  8. ^ 青塚古墳(国指定史跡).

参考文献[編集]

(記事執筆に使用した文献)

  • 青塚古墳公式パンフレット
  • 史跡説明板(犬山市設置)
  • 「青塚古墳」『日本歴史地名大系 23 愛知県の地名』平凡社、1981年。ISBN 4582490239 
  • 田端勉「青塚古墳」『日本古墳大辞典東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607 
  • 赤塚次郎「青塚古墳」『続 日本古墳大辞典東京堂出版、2002年。ISBN 4490105991 
  • 青塚古墳」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。

関連文献[編集]

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『史跡青塚古墳調査報告書(犬山市埋蔵文化財調査報告書 第1集)』犬山市教育委員会、2001年。  - 2004年改版。
  • 『史跡青塚古墳整備報告書』犬山市教育委員会、2002年。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]