青い部屋

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青い部屋(あおいへや)は1967年江戸川乱歩賞受賞作家でシャンソン歌手の戸川昌子によって渋谷二丁目に創られたサロンである。

概要[編集]

もともとは戸川昌子が江戸川乱歩賞受賞の賞金を元に始めた喫茶店であった。『青い部屋』の店名はマヨルカ島で開かれたショパンのサロンに由来する。喫茶店時代から店内全てをキャンバスとして絵画アートで埋め尽くすなど、戸川昌子独特の世界観と雰囲気を持つ異様な店内装飾を施し、大勢の文士・ミュージシャン・アーティスト等が集うようになり次第に酒場へと変わっていった。 長谷川きよしキャロル以前のジョニー大倉など、幾多のミュージシャン・アーティスト等が青い部屋にて修業時代を過ごし、一種の『文壇Bar』として三島由紀夫川端康成野坂昭如岡本太郎なかにし礼美輪明宏寺山修司ピエール・バルーなどをはじめとする戸川と親交の厚い沢山の著名人達が夜々訪れた。

セクシャルマイノリティ文化との融合[編集]

まだ、セクシャルマイノリティに対する偏見が多かった時代。戸川昌子は好んでそういったレズビアン・ホモセクシャルの方々を集め従業員に登用したことでも知られている。 そのため財界・政界・マスコミ界など、業種を問わず『大人の遊び場』として認知され、近所からは『戸川動物園』と呼ばれ、遊び人・文化人・アーティストの『自由な表現の場』となった。

その後、『蒼ざめた肌』という姉妹店を新宿2丁目にオープン。入り口が全面ガラス張りで床には蝋人形が埋められているという、これまた異様な店内装飾でひときわ異彩を放ち、そこで篠山紀信をはじめとした多数のカメラマンが撮影をおこなった。

クラブカルチャーとの融合[編集]

2000年12月、戸川昌子は大幅なリニューアルを敢行。X-JAPANのギタリストhideミュージアムのデザインなどを担当した、現代美術家:松蔭浩之の店内デザイン等を採用し、クラブ・ライブハウス文化との融合を目指した。初期のプロデューサーとして永瀧達治ソワレが活躍。クラブカルチャーとの融合を果たす。それを引き継ぎNEROが新たなキャバレー・バーレスク文化とつながる流れを作り出していった。 その流れは、フレンチポップ歌謡曲渋谷系ロックジャズアバンギャルドまで広がり、ドラァグ・クイーンバーレスクフェティッシュ文化など、様々なジャンルの交差点として熱烈に支持され、サブカルチャーアングラアート文化の聖地とされた。

青い部屋レーベル[編集]

2005年よりレーベル活動も開始。NEROプロデュースによりシャンソンアルバム計画が立ち上がる。

*『ラスト・チャンス・キャバレット/戸川昌子』(ジャケットデザイン:宇野亜喜良 スペシャルゲスト:ピエール・バルー&ちんどんブラス金魚)

*『怪奇実況録音盤/ROLLY

*『悪の彼方に/NERO』

などの作品を世に送り出す。

現在[編集]

2010年12月に43年の歴史に終止符を打ち閉店。閉店ライブには様々な青い部屋ゆかりの方々訪れた。 なかにし礼シーナ&ロケッツ石川セリエミ・エレオノーラジョニー大倉など多数が出演した。以後、店舗型からスピリッツへと変貌。全国各地にてコンサート、イベント、インターネットメディアに活動の場所を移した。 現在は戸川昌子の長男であり、シャンソンアーティストのNEROが主宰を引き継いでいる。

関係アーティスト[編集]

三島由紀夫川端康成美輪明宏寺山修司野坂昭如岡本太郎赤塚不二夫石原裕次郎石原慎太郎林家三平篠山紀信立川談志長谷川きよし石井好子淡谷のり子ピエール・バルーオノ・ヨーコ有吉佐和子柴田錬三郎渚ようこソワレヨネヤマ・ママコなど他多数。

外部リンク[編集]